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あんなに祈ったのに
スタンレー伯爵家は、ロンダルド家よりは町の中心部に近く、モニカの父、婿入りしたスタンレー伯爵が商売上手で、高級衣服やアクセサリーの販売で一代でかなりの財力を築いたらしい。
「私もそろそろ領地経営以外にもビジネスを広げて、屋敷で働いてくれる者や領民にも還元したいと思っていたから、パトリシアの件は別として誘われたのはラッキーだったしね。スタンレー伯爵は元々商人の息子だったそうだし努力家でもある。人柄も良いと聞いているし、以前から才覚は周囲が認めていたんだよ」
彼の父は、私の母のように元は平民だったようだ。その割には家柄がどうだの私の家への見下しがひどくて少々腹立たしい。
「そうなのですね。良いビジネスパートナーが見つかるとよろしいですね」
「うん。ただ、薬のおかげで花は何とかなりそうだけど、香水がね……自然の香りとかは平気なんだけど、人工的な香りって、香りの成分を凝縮してるからなのかも知れないけど、頭痛がしてくるんだよ」
レオン様は憂鬱そうな顔を見せる。
「分かりますわ。私も付けてしばらくすると頭が痛くなるので使えないのです。女性にはお洒落の一つでもありますし、体臭などを気にする方もおられるので、便利なものではあるのですけれど」
「大抵の場合、目がしぱしぱするぐらい大量につけている人も多いからかな。──そんな人が多くないことを祈ろう」
世間話をしていると、スタンレー伯爵家に到着していた。
財力のある家であることが分かる立派な白壁の美しい豪華な屋敷である。かなりの招待客もいるようで、敷地内に馬車が十台以上は止まっているし、人の出入りも多い。
人が多いのは気疲れするので苦手だわ。だからパーティーって好きじゃないのよね……と思い少しため息をついていると、レオン様に顔を覗き込まれた。
「パトリシア、大丈夫?」
「あ、ええ。すみません。人混みがあまり好きではないので気分が盛り上がらないと申しますか。ため息などついて申し訳ありません」
「いいんだよ。私も好きじゃないからね。長居をするつもりもないし──でもせっかくマルタに綺麗にして貰えたんだし、あの失言野郎もとい幼馴染みに、逃した魚の大きさを知らしめるのも良いんじゃないかな?」
「ふふっ。モニカ様のような方が好きなのですから、逃した魚とも思っていないと思いますが。……でも見直して頂けたら少しは溜飲も下がりますね。気を強く持って行きますわ」
「そうそう。私の良さが分からない男なんて、こちらから願い下げって気持ちでね。さ、どうぞパトリシア嬢」
レオン様は馬車からさっと降りると、私にうやうやしく手を差し出した。
止めて下さい、ちょっとドキドキするじゃないですかもう。
少し顔を熱くしながらも、彼の手に私の手を乗せた。
彼は私を降ろすと、私の腕をそのまま自分の腕に絡ませて会場に入る。
思えば、腕を組む以前にレオン様の体にこんなに密着するのは今回が初めてだ。いや、ギルモアどころか男性自体にこんな真似をしたこともない。考えれば考えるほど恥ずかしさに頭にカーっと血が登る。顔をうつむけて床だけを見て歩きたい。
(……いけない。私は今夜はレオン様のパートナーとして出席しているのだ。彼に恥ずかしい思いをさせてはならない。ここは女優になるのよ)
恥ずかしさを心に押し込めると、無理やりだがゆったりと笑みをたたえて堂々と歩くことにした。
「──レオン様! ようこそいらっしゃいました。父に紹介致しますわ」
モニカがこちらを見てパッと笑顔になると優雅な足取りでやって来た。真っ赤なドレスが美しい彼女に似合っており、いかにも主役である。
「……あらパトリシア、見違えたわね。ドレスもお似合いだわ。では少しレオン様をお借りするわね。シャンパンでも飲んでゆっくりしてて」
こちらをちらりと見たモニカだが、お愛想程度に一言挨拶すると、そのままレオン様を連れて人だかりのする方へ連れて行った。
あんな男性ばかりの輪に行くつもりもなかったので良かったけれど。
やはりビュッフェ形式だったわと思いながらテーブルの方を見て、自分が少しお腹が空いていることに思い至った。
そういえば仕事終わりにマルタ様に連れて行かれてから、おやつどころか夕食も食べてなかったんだったわ。
少しお腹を満たそうとテーブルの方へ向かうが、周りの男性の視線が気になる。何かこちらを眺めては言いたげな顔をするのだが、一体何が言いたいのだろうか。汚れでもあるのかとドレスを見下ろしチェックするが、特に何か問題がある様子はない。
まあ良いわ、と皿を取り、いそいそとローストビーフやマリネを取り分けていると、二十代半ばぐらいの男性が声を掛けて来た。
「あなたが余りに可愛らしい方なので見惚れておりました。失礼ですが、どちらのご令嬢でしょうか? あ、僕はマリオ・ボールバーグ、ボールバーグ伯爵家の長男です」
「え? あ、パトリシア・ケイロンと申します。ケイロン男爵家の長女でございます」
「パトリシア、お名前も可愛いですね。よろしければ落ち着いたところで少しお話しませんか?」
嫌ですけど? とすっぱり断れないのは爵位が上で、両親に何か影響が出たらいけないと咄嗟に思ったからだ。
でも笑顔が何かいやらしいのよね。目も笑っているようで鋭く光っており不気味だし。
「……申し訳ございません。私、連れがおりますので」
そう言ってその場を離れようとしたのだが、男はしつこく食い下がる。
「お連れの方は女性を放置してビジネスの話ですか? 男の風上にも置けないなあ。ま、お戻りになるまででも構いませんので」
と腕を掴み、強引に連れ出そうとする。
(だから連れがいるって言ってるのに。あなた人がローストビーフ食べようとしてるの分からないの? マリネだってサーモンにかかったソースがたまらなく美味しそうじゃないの!)
たまらず言い返そうとした時に、
「──失礼。私の友人に何か?」
と私を掴んでいた相手の腕をさり気なく外してくれた男性がいた。
「……ギルモア……」
元幼馴染みの顔をぼんやりと眺め、これは助かったと思えば良いのか、助かってないと考えた方がいいのか、と内心の焦りを出さないようにするので精一杯であった。
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