お酒、弱かったんですね

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お酒、弱かったんですね

 強引だった男がことばを濁しながら離れて行ったので、私は仕方なしに一応お礼を言った。 「ギルモア、どうもありがとう。しつこくて困っていたの。まあ私も言い返そうかと思っていたのだけど」 「……全く呑気だね相変わらず。パティー、あの男、あちこちのパーティーで女性に一夜限りの関係を強要してるって噂のある男だよ? 下手したら無理やり手籠めにされてたかも知れないってのに」 「一夜限りの……って、え? まさか体の……?」  話を聞いてぞわっと鳥肌が立った。  何が悲しくて好きでもない男との一晩の関係に処女を捧げなければいけないのよ。寒気を感じるのと同時に腹も立って来た。 「そんな尻の軽そうな女と見られていたなんて……一言文句でも言わなきゃ気が済まないわ!」 「そうじゃなくて、パティーが可愛かったからだろう? 今夜は実際いつもより可愛いからね。普段と違い過ぎて気づかなかったよ」  ギルモアの言葉は、嬉しいというより呆れるものだった。普段は全く可愛くないと言っているのと同様だ。本人は褒めているつもりかも知れないが、マルタ様のメイク技術だけを賛美されてもありがたくない。 「それはありがとう。──とりあえず感謝するわ。それじゃ」 「待ってよ。パティーにはちゃんと謝罪したかったんだ。本当にあれは自分でも最低だったよ。ジャックがどうもパティーのことを、いい人だとかお淑やかで女性らしいみたいなことを言うもので、モヤモヤして言ってしまったというか……本気であんなことを思っていた訳ではないんだ」 「別に謝罪してくれなくていいのよ。私はもう気にしてないし」  実際、本当にもうどうでもよくなっていた。仕事も充実しているし、たまにお菓子をつまみながらレオン様と世間話をするのも楽しいし、あれはとうに過ぎた過去の話なのだ、と思えていた。 「それじゃ、今まで通り友だちとして仲直り出来るかな?」  だが、大らかに許そうと思う気持ちをギルモアは台無しにしてくれた。神経を逆なでされて私はきつい口調になる。 「──は? ギルモア、あなたはモニカ様というれっきとした恋人がいるのに、女性の幼馴染みに仲直りとかどういう了見なの? 恋人に誤解されたくないから異性の友人とは疎遠になるのが普通じゃないの?」 「いや、でもそれとこれとは──」 「違わないわよ。私だって変に誤解されたりするのも迷惑よ。ロゼッタ姉様とはこれからもお付き合いは続けるけど、あなたはもう友人とも思ってないわ。その場にいたと知らなくても、思ってもいなかったことを言って、友人である人間を貶しめるような言動を取れる人は信用出来ないもの」 「パティー……本当にすまない。君をとても傷つけてしまったんだね」  ああレオン様。『一応主催者には挨拶しないとね。すぐ戻るからあまり動かず待ってて』と耳打ちして下さったのに、ウロチョロ動く羽目になって、戻るまでに色んなゴタゴタが起きてますわ私。いえ、私がトラブルメーカーなのかしら。 「悪かったよ。モニカはとても美人だけどワガママで性格がきつい時があってね。一緒にいるとピリピリすることもあって。ああパティーと一緒の時はそんなことなかったのになあ、と考えてたら、さっき君を見かけたからつい声を掛けてしまったんだ」  そりゃあ存在感がないと思われていたのだからノーストレスでしょうよ。  今まで認めたくはなかったが、はっきりと認めよう。この男は誰にでも優しいのではなく、誰にでもいい顔をしたいだけの人なのだ。 「ワガママで気が強くても美人なのだからいいじゃない。ギルモアが付き合ったのも顔が好みだからでしょう? 枝葉は気にしなければいいでしょ。それに、異性に恋人の陰口を叩くって、かなり失礼な行為だと分かっているかしら? 相手の身になって考えれば分かるでしょうに。……私が同情してそれは可哀想ね、とでも言うと思った?」 「っっ……」 「助けて貰った立場で申し訳ないけど、もう町で会ったとしても、私には二度と声を掛けないで貰える? ギルモアの話を聞いていると不快になってくるのよ。自分は不幸だ、自分は可哀想だってアピールされているみたいで」 「そんな。僕はただ──」 「ああ! やっと見つけた! 探したよパトリシア!」  声のした方を振り向くと、レオン様が早足でこちらにやって来るところだった。 「レオン様、申し訳ございませんでした移動してしまって」 「いや、それは気にしないでくれ。なかなか戻れなかった私が悪いんだから。……ところで、君はパトリシアの元幼馴染みかな? もう用事は済んだのなら、私のパトリシアを返して頂けるだろうか?」 「──はい。失礼致しました」  何か言いたげな顔をしていたが、そのまま静かに一礼してギルモアは立ち去って行く。 「パトリシア、本当にごめんよ。……あいつに何か言われたのかい?」 「いえ大したことは。……ああ、今夜はいつもより可愛いとか何とか」 「……は? あいつアホなのか? パトリシアは普段だって可愛いじゃないか! 今夜は別の可愛さがあるってだけだろう? 君の幼馴染みは、単純に審美眼が歪んでいただけだと気づけて良かったな! うん、パトリシアはいつも可愛い!」  違う違う、そういうことじゃないんですレオン様。何でそういうこと言うんですか。恥ずかしいじゃないですか。  ──いや、だがいつものレオン様とちょっと違う。いつもならもっと冷静な感じなのに……と彼を改めて見ると、目のふちと頬が少し赤い。  かなり酔っ払っているようだ。 「レオン様、かなりお酒をお過ごしになられましたか?」 「……いや、今回の事業の話がワイナリーの買収とワインの販売ということで、試飲と称して赤と白のを何杯か味見をしただけだ」 「──レオン様はお酒はお強いのですか?」 「普段は弱いので余り飲まない……」 「べろんべろんじゃないですかそれじゃ! もうお仕事の話が終わったのでしたら帰りましょう」 「うん……ごめんねパトリシア」  本当に困った伯爵様だ。私がいなければ泥酔して歩けなくなって、下手すればそこらの女性に、介抱という名目で襲われていたかも知れないのに。お酒で普段の注意力がポロポロ落ちてしまっているではないか。 (少しはご自身の美貌を自覚して頂きたいものだわ……)  肩を貸して馬車まで歩きつつも、私は少し心配していた。  普段沢山の本も読んでいらして博識だし、仕事の様子を見ていても頭の切れる方なのに、おかしな所で抜けているというか、どこか放っておけないところがあるのよねえ。  馬車の中でレオン様はうたた寝をしている。  それにしても長いまつ毛だこと。寝顔も綺麗って卑怯よね。  屋敷に戻りながら、私は結果的に見返してやったのだろうか、と首を捻る。確かにギルモアにはいつもより可愛いとか言われたけれど。……でも別に爽快感はないわね。あ、そうだわモニカにもドレスが似合ってるとか言われたかしら。あれも褒められたと言えるのかしらねえ?  少し考えて、結局ローストビーフとマリネを少し食べただけ、という切ない結果でしかなかったような気がする。  お洒落をして綺麗なメイクもして貰えて、心が浮き立ったのは事実だけど、得たことは変な男に声を掛けられたことと、昔の幼馴染みの幻滅する言葉を聞いただけだ。 「華やかな場所って、やっぱり私には居心地は良くないのよね……」  屋敷で掃除をしたり、たまにレオン様とお茶が出来ることで満足だ。人間向き不向きがあることを痛感した。 「レオン様、足元にお気をつけて」  馬車が到着して降りてからも、足元がおぼつかないレオン様を寝室まで案内し、靴だけ脱がせシワにならないよう上着だけハンガーに掛けると、すっかり夢の中のレオン様を、何とかベッドに横になって頂くことには成功した。流石にズボンやシャツまで脱がすことは出来ないものね。  私も着替えて化粧を落としたら早く明日のために眠らないと。  そう思ってレオン様から離れようとすると、ん、と声にならないような声を発していきなり私を掴んで引き寄せた。 「──えっ?」  気がつけば、毛布に抱き着くように私に抱き着いているレオン様の顔が真横にある。寝ぼけていらっしゃるのね、と腕を外そうとしたがビクともしない。 「レオン様、レオン様」  囁いて気づいて貰おうとするが、寝息の乱れる様子もない。  こんなところマルタ様に見られたら大変なことになりますよーレオン様ってば起きて下さーい。冷や汗と心臓のバクバクが収まらない。  何とか体を動かそうとしたり、腕の位置を徐々にずらしたりすることで、三十分ほど奮闘した挙句にようやく離れることが出来た。  足元に蹴飛ばされている毛布を丸めてレオン様の手元に持って行くと、毛布をぎゅうっと掴んで嬉しそうに微笑んでいた。何か良い夢でも見ているのかも知れない。  私はそっと寝室を出て自室に戻ると、深く深く息をついた。  危険が回避できた安心と、良く分からない一抹の心残りのような思いで。
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