280人が本棚に入れています
本棚に追加
ある書物の発見
「……退屈だわ……」
私は窓を拭きながら独り言を呟いていた。
スタンレー伯爵家で話していたワイナリーの買収の件が本決まりになったようで、商談のためレオン様は泊りがけでの外出が増えた。ワイナリー見学のため数日不在のこともあったし、酒を販売している店などへの卸の問題など、やることはいくらでもあるようで、今まで以上に忙しくなっているようだ。
私が休みでお菓子を買って帰る際も、生菓子はいつ食べられるか分からないからと焼き菓子のみになり、それも戻りが遅い日が多いので書斎の執務机のテーブルに乗せておくのみで、レオン様ともお茶を頂きながらの話をする機会もお目にかかる機会も激減した。
最初のうちは「不在なら掃除する時に気を遣わずに済むわね」と思い、いつもより丁寧に掃除をしていたのだが、レオン様ととりとめのない話をするのは私にとってもいい気分転換になっていたので、不在であることがかなり寂しく感じられる。
丁寧にやろうとしても、もう慣れた場所のため手際良く片付いてしまい、最初の頃よりかかる時間は格段に減っていた。だけど、まだメイド仲間が仕事をしているであろう時間に、私だけゆっくり自室でくつろぐというのも気が引けてしまう。
そこで、今まで気になっていたものの、レオン様が殆ど使ってないから時間がある時でいいよ、と言われて後回しにしていた書庫の整理を行うことにした。
図書室から奥にある扉を開くと、古い本など利用頻度が低い書物が納められている小部屋がある。まあ小部屋といっても図書室に比べてというだけで、私の自室の二倍以上はあると思うけれど。
かなり埃まみれなのは予想していたが、書物の数も多かった。乱雑に床に山積みされているところもある。天井の隅にはクモの巣まで張っているのが見えた。
「……これはやりがいがありそうね……」
少々時間を持て余している私には、このような仕事はとても有り難かった。レオン様が帰る予定は四日後だ。綺麗になった書庫を案内したらきっと驚いてくれるのではないか、と思うとやる気も高まるというものだ。
私は腕まくりをしてから鼻と口をスカーフで覆い、はたきを手に笑みを浮かべると、よし、と気合を入れるのだった。
「……ふぅ」
クモの巣や本棚、積まれている本などの埃を一通りはたきで床に落とし、ほうきでゴミをちり取りで集めて袋に入れる。何度も同じ動作をしている気がするが、埃の山はなくならない。一体何年出入りしていないのかしら。
これはもしや永遠に終わらないのでは、と思うほど長い時間が経ったような気がしたが、終わってから一息ついて壁掛けの時計を見ると、まだ二時間ほどしか経っていない。まあ埃を払ってゴミを集めるだけの作業に二時間かかるというのも大概だが、それでもまだメイド仲間が仕事を終える時間まで二時間以上はある。
後は本を分類し、本棚に並べれば見違えるように綺麗になるはずだ。
私はいったん床に置きっ放しになっている本を図書室の大テーブルの上に移動し始めた。床に置いてある本を全部運び出すと、また隠れていた大量の埃が現れた。虫の死骸まであって立ち眩みを起こしそうになる。
「……ふふん。私のやる気を削ごうだなんて百年早いわ。もう今だって服も体も埃だらけなのよ。逆に言えば、今なら多少埃が増えたところで痛くもかゆくもないってことなのよ」
私は一人そう呟くと、またほうきとちり取りを掴んで、ちょっと折れかけそうになる気持ちをぐっと踏みとどまらせるのだった。
本棚の本も取り出し拭き掃除をしながら本を戻し、綺麗な書庫に戻った頃には夕方の五時をとうに回っていた。
エマリアたちも掃除を終えて大浴場へ向かっているか、夕食まで部屋でのんびりしているところだろう。
役職についている者は個別に浴室とトイレが付属している広めの部屋が与えられるが、私たちにはそんなものはない。各階にトイレが設置されており、一階の大浴場で六時から夜十時までの間に風呂に入れるようになっている。この場所の掃除も交代制だ。最初は家族以外の人間と風呂に入るのも恥ずかしく思っていたが、これも慣れるもので今では世間話をしながらワイワイ皆で入れるのも楽しいと思えるようになっている。
早く風呂に行ってこの埃まみれの体を綺麗にしたい、と思ったのだが、夜眠る前に読める軽めの小説など借りて行こうと考えた。レオン様も「読みたい本があったらいつでも読んで構わないよ」と仰っていたので、時々お借りしていたが、今日はせっかくだから開かずの間だった書庫にあるものでも……と本棚を眺めていて、赤の背表紙に細かな紋様が入ったような美しい本が目に入った。ただ年月は経っているようで、中の紙は黄ばんでいる。
「あら……綺麗な装丁ね」
どんな内容かしら、と気を惹かれ手に取るとぱらりと中を開くと、【ダイアリー】と書かれた最初のページが目に入り、その下の方に【ヒルダ・ロンダルド】とサインがあった。
(ヒルダ様って……レオン様のお母様では?)
すると、これは今は亡きヒルダ様の日記ではないか。
こんな埃まみれの書庫の中に置かれていたなんて、レオン様もお気づきではなかったに違いない。何しろ図書室といいこの書庫といい、書物が溢れているんだもの。
「これはレオン様がお戻りになったらお渡ししないと……」
と思ったが、どんな方だったのかずっと気になっていた。
(本当は、個人の日記など読むべきではないと思うけど……もう亡くなられているし、レオン様は何でも読んで良いと言っていたし……)
私はしばらく葛藤した。
(──万が一、ロンダルド家の秘密に関わるような重大な内容が書かれていた場合は、そのまま読まなかったことにしてレオン様に渡してしまおう。奥様やお母様の大切な日記を粗雑に扱っていた旦那様やレオン様だって、放置していた責任はあるんだものね)
ヒルダ様の人となりが知れるのではないか、という好奇心に抗うことは出来ず、私はヒルダ様の日記を汚さないよう気をつけてそうっと抱えると、自室に持ち帰った。
最初のコメントを投稿しよう!