冤罪

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冤罪

「レオン様ようこそ!……まあ、パトリシアも一緒なのね、どうぞお入りになって」  私に対する声の温度差が真夏と真冬のように激しいが、レオン様の前でモニカは一応私も笑顔で迎え入れてくれた。まあ同席者二名まで可となっているので、別に私が来たところで問題はないのだけれど。  グリーンの胸元が斬新なカットのドレスが美貌を引き立てているモニカは、やはり周りを圧倒するような華やかさを醸し出している。編み込んだ髪の毛にはいくつも生花が刺してあり、レオン様の顔が少し引きつっていた。 「先ほどからお父様がお待ちかねですの。さあ、レオン様はこちらにいらして下さいな。パトリシアは飲み物でも飲んでそちらでお待ち頂ける?」 「お気遣いありがとうございます、モニカ様」 「パトリシア、挨拶と仕事の話が済んだらすぐ戻るからね」  モニカが近づくことで薔薇の香水の香りと生花が自分の顔に近寄るため、顔を少し背けるようにしてレオン様が私に声を掛けた。眉間のシワが少し深くなるが、仕事のパートナーの家族にあまり不快な表情は見せられない、と必死で堪えているのが窺える。 「かしこまりました」  お気の毒だと同情してしまうが、私が何を言える訳でもない。早く解放されますようにと祈るばかりだ。  辺りを見回すが、別れたのだから当然ギルモアはいないだろう。私と同世代の女性がいるにはいたが、皆モニカの友人だ。彼女たちは、基本的にお洒落の話と男性の話と人の陰口しか言わないので、一緒にいても気疲れしてしまう。ぼっちのようになってしまうが一時的なことだ。のんびり食べてレオン様の帰りを待とうかしら。 (……サラダとマッシュポテト、シュリンプフライでも頂こうかしら。あとはスイーツのテーブルで何か美味しそうなお菓子でも──)  私がお皿を取り、サラダを取ろうと手を伸ばした時、 「──君は一体どういうつもりなんだ?」  という静かな怒りが感じられる声がしてびくりと体が揺れた。  見れば、ハンカチで目を押さえているモニカと驚いたように目を丸くしているレオン様、そしてモニカの父であるスタンレー伯爵がレオン様を腹立たしそうな顔で睨んでいるという異常な光景が展開されていた。  周囲の人間は、お喋りや生演奏の音にかき消されていて話の内容は聞いてなかった人が多いようだったが、何事かと視線を向けている人たちもいる。私はすぐお皿をテーブルに戻すと素早く移動した。 「レオン様、それにスタンレー家の皆さま。揉め事はパーティーで楽しまれている方々の気分を害しかねません。また後々尾ひれをつけてあることないこと噂になりかねませんわ。男爵家の人間で恐縮ではございますが、あらぬ誤解を受けないためにも、別のお部屋で改めて話し合いをされては如何でしょうか?」  小声で話し掛けると、スタンレー伯爵もハッと周囲の状況を把握したのか、咳払いをすると執事を呼び、別室を用意させたようだ。 「大声を出してすまなかったね。ええと君は──」 「パトリシア・ケイロン男爵令嬢、私の連れです。今はマナーと教養を向上させるため、私の所で秘書兼メイドとして働いております」  レオン様が私の横に立ち説明してくれる。実際はお金のために働いているのだけど、私が恥をかかないように気遣って下さっているのね。 「じゃあパトリシア、君も一緒に来てくれないか? 少し込み入った話をするので時間がかかるかも知れないんだ」 「はい」  一体何が起きているのか分からないままだが、レオン様が責められている状況なのは間違いない。泣いているモニカの様子を見ると彼女絡みなのかも知れないが、何か泣かせるほど失礼な言動でもしたのだろうか?  ……いえ、レオン様は頭が良くて世慣れているお方だもの、苦手だという彼女に対して適当にあしらうことなどお手の物のはず。  では何故、というところでまた話が最初に戻る状態で、私は混乱したままだった。  執事に案内されるまま応接室の一つに通される。  メイドがお茶を運んで下がってから、ようやくスタンレー伯爵が穏やかに話を始めた。 「先ほどはついカッとなってしまって申し訳なかった。怖がらせたねパトリシアも。すまないね」 「いえ、そんなことは……」 「──それで、レオン君。私は今か今かと君からの話を待っていたのだが、そんな気配もなくてね。仕事の話をしたら早々に離れようとしたので、思わず声を荒げてしまった」 「スタンレー伯爵、それで私からの話というのは一体どういうことでしょうか? 特に仕事の話で何かトラブルが起きているということもないですし、ワイナリーで何かトラブルがあったという話も受けておりません。……それにお嬢さんは急に泣き出すし、私の方こそ何が何やら……」  レオン様は不思議そうな顔で尋ねる。 「……娘と先日のパーティーの後、その、関係を持ったそうだね」 「──は?」 「モニカが打ち明けてくれたよ。以前から好ましく思っていたとか、責任は取るからと言って体の関係を迫ったとか。結婚してからでないとと断ったが、どうせ結婚したら私が初めてになるのだからと押し切られたと」  私は頭の中が真っ白になった。  レオン様がモニカに? まさか。だけど、彼女がお酒を飲ませて無理やりというパターンはあるかも知れない。だってあんなにモニカを嫌がっていたレオン様が、そんな真似をするとは思えないんだもの。 「失礼ですが、私はモニカ嬢に何もしておりませんし、そんな約束も誓ってしておりません。そもそも彼女に異性としての興味がありません」  思った通り、きっぱりとレオン様は即答した。 「娘が嘘をついているとでも?」 「ひどいわレオン様、私はあなたを信じて……」  またうううと涙を押さえるモニカをひんやりとした眼差しで眺める。 「……スタンレー伯爵に恥を忍んで申し上げますが、私は花粉アレルギーを持っておりまして。今は薬を服用しているのでマシですが、生花を身に着けている女性には近づきたくもないですし、更に申せば香水の人工的な匂いも大嫌いです。体調が悪い時などは頭痛や吐き気に見舞われるので、正直パーティーなどは仕事の関係でもなければ一切出席したくないほどなのです」  モニカをちらりと見たレオン様は続ける。 「スタンレー伯爵のお嬢様は、恐らく周囲の男性から賞賛されるような美貌の女性なんでしょうし、華やかなお方だと思いますが、失礼を覚悟で申せば、いつも香水はむせそうなほど大量にご使用されていますし、生花はこれでもかと髪に使われていらっしゃる。私には一番近づきたくない女性なのです。これは、その場しのぎの嘘でも何でもなく、子供の頃からです。屋敷で一番長く勤めているメイド長に聞いて頂いても構いません」 「そ、そんなの嘘よっ」  モニカが必死で抵抗するが、スタンレー伯爵も、これは何かおかしいなと感じたようで、「モニカ、どういうことかな?」と娘の顔に視線を向けた。 「嘘をつかないでレオン様! だったらいつも近くにいるパトリシアはどうなのよ? 彼女だって香水や生花ぐらい使うでしょう?」 「私はレオン様の執務室や図書室などを掃除する関係で、香水は一切利用しておりませんし、生花も使いません。この花は造花ですわ」  頭につけた飾りを指さす。 「レオン様は、花粉のアレルギーが出ると、目のかゆみがひどくなったり、鼻水やくしゃみが止まらなくなるのです。じんましんなども出て体をかきむしりたくなることもあるとか。大変お辛い状態になります。──大抵のお宅には室内に花瓶があり、花も活けておいでかと思いますが、そういう事情でロンダルド家には一切生花もございません。従いまして、明らかに体調不良に襲われることが分かっていて、モニカ様とその……ムードの必要な関係になる、というお話自体、申し訳ないのですが現実味がございません」 「なっっ!」  先ほどまでしおらしく泣いていたのに、今は顔を真っ赤にして体を震わせている。なるほど、何度アタックしても、レオン様が思うような反応がなかったから、とうとう捏造までしてきたのね。  か弱い女性が結婚を盾にして無理やり関係を強要されたと言えば、わざわざそんな自分が不利になるような嘘をつくとは思われにくい。親にしてみれば、嫁入り前の娘を傷モノにされた怒りもあるし、ちゃんと責任を取らせたくもなるだろう。  ただ、そこにレオン様の気持ちは全く考えてないのよね。  そんな力技で結婚したところで、虚しくならないのだろうか。 「モニカ、後でゆっくり話し合う必要がありそうだね。──レオン君すまない、今回は勝手な思い込みで、君を公衆の面前で非難するところだった。私も娘可愛さのあまり、全部真実だと受け止めてしまった。改めて謝罪させて欲しい。仕事でも大変頭も切れるし、誠意ある対応もする有能な男だと思っていたのに、やはり女性関係はだらしがないのかと失望してしまったところがあるのかも知れない。……本当に娘以前に、君を色眼鏡で見てしまっていた私を許して欲しい」  深々と頭を下げたスタンレー伯爵は、お前も謝罪しなさい、とモニカを睨んだ。 「……パトリシアなんかより私の方がよほど美人じゃないの!」  おっと私に飛び火したわ。 「誰が見たってこの子より私の方が美人でスタイルもいいし、家格だってロンダルド家と遜色ないじゃない!」  一方的に非難されて我慢出来なくなったのか、言いたい放題だわ。まあ事実なんだけれど。  レオン様は一瞬ぽかんとした顔をしたが、少し笑った。 「確かパトリシアのことを友人と言ってなかったかい? 君は嘘も吐けば平気で友人を見下すような発言もする女性なんだね。家柄がどうのと言うよりも、もっと人間性を磨くべきだと思うけれどね。──あと一つ、私は君のことを美人だと思ったことは一度もないよ。人それぞれ好みが違うものだから、美人美人と押し付けないでくれないかな。パトリシアにも失礼極まりない」 「……」 「それに私は一生結婚をする予定もないんだ。お父上と仕事の付き合いは継続させて頂くつもりだが、二度と私に近づいたり、パトリシアを傷つけるような真似はしないで欲しい。許せるのも限度があるからね。スタンレー伯爵の誤解が解けたなら何よりです」  帰ろうか、パトリシア? と私に笑顔を見せて、レオン様がスッと席を立つ。スタンレー伯爵に一礼すると、私の手を取りそのまま屋敷を出た。  待っていた御者に合図をしてさっさと馬車に乗り込むと、レオン様はロンダルド家へ戻るよう指示を出した。  走り出す馬車の外を黙って見つめているレオン様は、少し声を掛けるのを躊躇してしまうほど厳しい顔をされていた。 (結婚する予定はない、と仰っていたけれど……やはり、以前の件で女性に対する不信感が拭えないのかも知れないわ)  そう思うと、痛ましい気持ちと同じぐらい、ホッとするような浅ましい気持ちも沸き上がる。自分をまた少し嫌いになってしまいそうだった。
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