ピクニック

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ピクニック

 幸いなことにピクニックの日は朝から雲一つない良い天気だった。  私は明け方から厨房にこもり、アップルパイとレオン様が気に入っていたアーモンドを砕いて混ぜたクッキーを焼き、フライドチキンとソーセージを焼いたものを作り、薄切りした牛肉を塩コショウして炒めたものをレタスで包みパンに挟んだ。野菜がこれでは足りないかもと思い、輪切りにしたゆで卵に薄く切ったトマトやキュウリをマヨネーズを塗ったパンに挟む、我が家定番のヘルシーサンドも作った。 (……こんなシンプルで庶民的なランチで本当に良いのだろうか)  バスケットに飲み物と一緒に詰め込むと、それを眺めながら私は不安を覚えていた。  だが、家庭的なもので構わないとレオン様は言っていたのだし、例えお口に合わなくてもお菓子で挽回出来るはずだわ。ここで悩んでも仕方ないわね、と私はすっぱり考えるのは止めた。  朝食の時間が済み、私がメイド服のままバスケットを抱えて裏門のところへ向かうと、レオン様が既に立っており、バスケットだけ受け取られてまたくるりと屋敷に体を向けられた。 「あの、レオン様?」 「気分転換をしたいと言っているのにメイド服のままじゃ、私は屋敷にいる感覚と変わらないよ。さ、私服に着替えておいで」  ……失態であった。いくら私が存在感がないとは言ってもゼロではない。視界に入るのがメイド服の私では、外出してもリフレッシュという気分には程遠いだろう。  私は頭を下げると急ぎ着替えに戻る。実家から持って来ている数着の普段使いの中から、少しは上品そうに見えるであろう紺のワンピースに着替えた。メイクは……まあピクニックに行くだけなのに直す必要もないわよね。いつものピンクの口紅だけ軽く塗り直すだけにした。 「お待たせ致しました。気が利かず申し訳ございませんでした」 「相変わらず固いねえパトリシアは。ほらこんなに良い天気だよ? 一緒に気分転換するつもりで楽しもうよ」  レオン様は笑みを浮かべて、今日はこっちだよ、と御者台に案内される。  たまには景色を見ながらのんびり行くのも良いよね、と言うので私は驚いた。 「レオン様、馬車を扱えるのですか?」 「私を一体いくつだと思っているんだい。乗馬だってするし、馬車を扱うのもお手の物だよ。馬のご機嫌を伺いながら、どうぞ運んで下さいとお願いしていれば何とかなるもんだよ。それに、ただ休暇を楽しむだけのことで、何時間も御者を待たせてしまうのも悪いだろう?」  ゆっくりと馬を歩かせながらそんなことを言うレオン様は、裕福な貴族が一定で持つ「使用人はこき使って当たり前」という傲慢さはない。だから屋敷に勤めている者は皆レオン様を敬っているし、長いこと働いている人間ばかりだ。  一時間ほど景色を楽しみながら到着した丘は、レオン様が言うように遠くの森まで見渡せ、緑が広がり心地良い風も吹く、とても気持ちの良い場所だった。流れる川も太陽の光がキラキラと反射し美しい。  この辺りもロンダルド家の領地だそうだが、周囲には殆ど民家もない。定期的に周囲の自然災害の被害の確認をする者が利用しているという、可愛らしい赤い屋根の小さな小屋が見えるだけ。  今はたまに家族連れが川遊びに来たり、釣り人がやって来る程度らしいが、せっかくこんな美しい景色が広がる丘なので、避暑地としてホテルやレストランを建てようかと考えているそうだ。 「ホテルやレストランで領民の方々の雇用も増えますし、お金を持っている方は美しい景色を見られる素敵なホテルで休めて、のんびりと日頃のストレスを癒やして頂けますものね。素敵な考えだと思います」 「だろう? 父に相談したんだけど、お前の好きにしろ、と言われるだけでね。自分は悪くない考えじゃないかと思ったんだけど、誰かに賛成して貰えないとやはり不安でね。パトリシアがそう言うなら問題なさそうだ」 「まあ、いちメイドの意見なんて参考にしてはいけませんわ」 「パトリシアはうちで働いているけれど、私には理解ある大切な友人でもあると思っている。違うかい?」  ──友人。畏れ多い言葉だ。とても有り難い。嬉しい。なのに、胸にチクリと深く刺さるトゲは、きっと私の恋心を封印する戒めだ。 「──そう思って頂けて感謝しかありませんわ。あ! そういえば釣りをすると仰っていましたが、私にも出来ますでしょうか? もしマスでも釣れたら家族にお土産にして自慢したいと思いまして……」  自然に話を逸らせただろうか。 「大丈夫じゃないかな。ここは割と穴場で魚が多いんだ。以前は好きで良く一人で釣りに来ていたんだけど、仕事が忙しくなってからは何年もご無沙汰でね。でも竿も予備を持って来ているし、教えられる程度には経験もあるからね。よし、それじゃ準備しようか」  腕まくりをしたレオン様は、馬車の中から釣り竿や魚籠、餌などをいそいそと取り出し始めた。きっと今でもお好きなのだろう。  仕事中のレオン様は、眉間にシワを寄せて書類を睨んでいたり、細かい計算式などを書きながら軽くため息をついてサインをしていたりと、仕事だから当然と言えばそれまでだが、毎日お疲れのご様子で、だからこそ好きなお菓子を食べて少しでもストレスが緩和されればと思っていた。  でも、甘い物ばかりでは体に良いとは言えない。趣味で気持ち良く発散出来ればそれが一番ではないかとも思う。 「ビギナーズラックとも申しますし、私と釣り勝負でも致しますか?」  私は腰に手を当てると、レオン様に笑い掛けた。
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