【レオン視点】告白(上)

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【レオン視点】告白(上)

【レオン視点】  私は、ずっと思い違いをしていた。  私が女性を好きになるとか、愛情を抱くなどという現実離れした話がある訳がないと思っていた。  女性とは自分のことしか考えていない、人に感情を押し付けておいて、思い通りの反応がなければ勝手に裏切られたと騒ぐ生き物であり、加えて私の顔が女性受けするから、装飾品の一つとして連れ歩き、周囲に自慢したいのだと思っていた。少なくとも、そう思っていても仕方がないくらい、女性に対して良い記憶はなかった。  パトリシアは、若い女性の割にメイクも最小限で香水も使わず、物静かで気配を消すのが上手で、自分のパーソナルスペースを侵害もせず、掃除も手早く丁寧で、つまり使用人として自分に合った、大変気楽な存在としか思っていなかったのだ。  彼女の存在感のなさと言ったら、私も何度も気づかずに隠し持っていたチョコレートやクッキーを食べたり、鼻歌を歌いながら体操をしたりしていて、小声で「パトリシア、現在掃除中でございますー……」と言われて初めてそこにいたことを知ったほどである。  何度もそんな失態を晒しているうちに、パトリシアも清掃する前には必ず何度も声を掛けてくれるようにはなったが、それでも耳を素通りするのか、やはり気がつけば申し訳なさそうにパトリシアが立っていることも多々あった。お茶を頼んで淹れてくれていたのに、手紙を書いている途中だったので少し待っててくれと言い、その間にころっと待たせていることを忘れてしまい、十分以上放置してしまったこともある。 「私は昔から影が薄いと言われておりましたので……でも、人の気配に敏感なレオン様が気にならないほどであれば、私が掃除をしていてもさほどは気になりませんよね? ご迷惑にならずに済んで、この特性も役に立つこともあるんだとホッと致しました。マルタ様が私なら大丈夫だろうと仰っていたのはこういうことだったのですね」  謝ってもニコニコと気にする素振りすら見せない。  いつの間にか、いて驚くこともなくなり、むしろいて当たり前のようになっていた。だが、これは彼女がメイドとして有能だという証明のようなもので、ここにふしだらな思いは一切なかった。はずだった。  お菓子を色々と買って来てくれ、お茶を飲みながら話をするようになって、だんだんと彼女の内面を知るにつれ心が揺れ動くのを感じたが、所詮彼女も今まで出会って来た女性と同じではないか、という疑いは消えなかった。というより疑っていなければ好きになってしまうではないか。そして、また別の側面を知り心を痛めてしまうのが怖かった。  二十六、もうすぐ二十七歳だ。中年に足が届こうかという年にもなって何て情けない。  だが母のこと、マギーのこと、亡くなった友人のこと、他にもいくつもあった様々な出来事から、どうしても自分から女性に対して本心から信じる気持ちになれなかったのだ。  だが、ある日郵便物を運んで来たマルタから、 「パトリシアに随分信頼を置かれているのですね」  と言われ呆然となった。  言われてみれば、甘い物が好きなことも、花粉アレルギーも、男としては正直表沙汰にはしたくないみっともない部分も、パトリシアになら知られても気にならなくなっていた。  先日の母の日記の件も、ひたすら身の置き所がないような表情で必死に詫びていたが、怒りも湧かなかったし、自分でなかなか話しにくかったことを話すきっかけにもなったので、感謝しているとも言える。  何というか、パトリシアは馬鹿にすることなく、ふわっと何でも受け止めてくれるような、そんな安心感があったのかも知れない。  でも、そこにある好意をまだ認めたくはなかった。  マルタはしらばっくれる私をじっと見つめて、 「パトリシアが結婚するので辞めると言われたらどうなさいますか?」  と呟いた。  その途端、私の額から汗が滲み、心臓が締め付けられるような気持ちになり息が出来なくなった。 「そ、それはもう決まったことなのかい?」 「いいえ、もしもの話ですわ」 「やだなマルタ、脅かさないでくれよもう!」  私はぎこちなく笑って茶化すように答えた。マルタは笑わなかった。 「……今はもしもの話ですが、彼女も年頃の女性です。幼馴染みの男性には女性扱いもされてなかったようですが、実際顔立ちも可愛らしいですし、性格も極めて穏やか。争いごとが嫌いでいさかいになる位なら自分が引くという自己制御の出来るタイプです。さり気ない気遣いも出来、更に炊事洗濯何でもござれの男爵令嬢です。若い男性は、女性に対してパッと見の華やかさや目立つ容貌などに気を取られがちで、一見地味で目立たなく思える彼女の良さはなかなか理解出来ないかも知れません。ですが、ある程度人生経験を積んだ男性ならば、生涯のパートナーとしてこれほど素晴らしい女性はいないと気づくはずなのです。遅かれ早かれ熱烈に望まれて嫁ぐルートしか見えません。……レオン様はそれでもよろしいのですか?」 「よろしいかって、そりゃあ……」 「パトリシアが居なくなっても、よろしいのですか?」 「……良くないよ。そんなの良くないに決まってるだろう!」  思わず叫んでしまい、グッと口を閉じた。 「……私はパトリシアが、ただ部下が可愛くて申し上げている訳ではありません。レオン様が女性に対する拭いきれない不信感、恐怖心、そういうものがあることは長い年月お勤めして来て存じ上げております。ただパトリシアが魅力的な女性であることは、レオン様もお分かりなのでしょう? いつまでもどっちつかずのままでは、パトリシアを逃して泣きますわよ、とけしかけているのです」 「──マルタ、君は確か以前、私に邪な感情を持つメイドは不要だ、と叩き出したんじゃなかったかい?」 「それはレオン様のお気持ちが伴っていなかったからですわ。別にレオン様がまんざらでもないようならいくらでも放置致しましたけれど。まあ物は言い様ですわね」  ほほほ、と笑ったマルタが真顔になった。 「素直に認めておしまいになったらいかがですか? パトリシアに好意をお持ちなのは明らかなのですから」 「わ、分かるのかい? ……え、まさかパトリシアにまで?」 「あの幼馴染みの一件で自分にすっかり自信を無くして、結婚どころか恋愛まで諦めてしまっているような子に、そんな細やかな恋愛の機微が分かると思いますか? あの子もレオン様も、正直恋愛に関してはお話にならないぐらいお子様です」 「……結構な言われようだな」 「彼女が聞いたら本当に消え入るんじゃないかと思いますが、パトリシアも決してレオン様を嫌ってはいないと思います」 「──そんなのマルタの思い込みだろう」 「いえ、人生経験に裏付けされた断言ですわ」  パトリシアが私のことを? ……いや、そんな都合のいい話はないだろう。マルタが私の尻を叩くつもりで盛っているだけかも知れない。  ──でも、万が一パトリシアが本当に、私に少しでも好意を抱いてくれていたとしても。 「だが、私は──」 「……存じ上げております」  マルタは小さな声で続ける。 「パトリシアは、どんな秘密も守れる女性ですわ。私は、打ち明けてみるべきだ、と考えております」 「……そう簡単に言わないでくれ」 「そう、ですね。確かに簡単なお話ではありません。でも、レオン様が思っているよりもパトリシアは単純……いえ打たれ強い? 何か違うわね……能天気? ボケている──前向き、そう! 前向きな子なのです」 「間に挟まっていた方が本音じゃないのかい」 「あの子は内気でか弱そうに見えて、実際はとても柔軟で心が強いのです。レオン様の苦しみを知らない方が、傍にいる彼女にとってはよっぽど辛いことではないかと思いますわ」 「……」 「私が決めることではございませんので、後はレオン様のご決断にお任せします。うじうじ悩んで結局何も出来ず、よその男にポイっと攫われて後悔するということになっても私は同情致しませんよ。ここにある可能性を掴むも掴まないも、レオン様次第です。それでは失礼致します」  マルタは優雅にお辞儀をすると、書斎を後にした。  子供の頃からマルタには世話になっているし、母親代わりのような存在で、時折悩んでいる時にふっと私を後押しするような助言を与えてくれたりするのだが、愛とか恋というものすら良く分かってない私に、正しい道筋など分かろうはずもない。  だが唯一、パトリシアを失うのはとても考えられなくなっている、という事実だけが私の心をざわつかせている。 (……話すべきか、話すべきではないのか……)  いや、ここで悩んでいても、マルタの言う通り、パトリシアの価値を理解した別の男にホイホイと奪われてしまう。  ──休みを取って彼女を外に連れ出し、お互いにリラックスした状態ならば。いや自分も覚悟を決めなくてはならないのだ。  数日後、何とかさりげなくパトリシアを外にピクニックと称して連れ出す手はずが整った。  もしやこれはデートなのでは? ……いや待て。彼女は多分使用人としての付き添いのつもりに違いない。私が変に浮かれてしまうのもいけない。  打ち明けた時の彼女の反応で、恐らく私の今後が決まるのだろう。  私は緊張した心がほどけないまま、ピクニックの当日を迎えていた。
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