花嫁修業ではありません

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花嫁修業ではありません

「──パトリシア・ケイロン男爵令嬢ですね」 「はい! これからどうぞよろしくお願い致します」 「私はメイド長のマルタと申します。一応メイドを束ねている立場上、私が上司です。働いている間は爵位はないものとして扱いますのでご理解を。……それと最初に申し上げておきますが、花嫁修業と称してやって来て、夜中にレオン様の寝所に忍び込んで既成事実を作ろうとされたり、馴れ馴れしく接触を試みる高位貴族のご令嬢もおられますが、判明した時点で素行不良として即日解雇となりますので、こちらもくれぐれも肝に銘じておいて下さい」 「はい、心得ております」  大体、こちらは花嫁になることを諦めて来てるんだし、花嫁修業するつもりは毛頭ないのだもの。  ロンダルド家にトランク一つでやって来た私は、マルタの後ろに付いて歩きながら心の中で呟いていた。  ……夜這いをかける令嬢とか怖いわあ。もし成功したら、貞操を奪った責任でも取らせるつもりなのかしら? 言葉は悪いけど、そっちから誘ったんだからとやり捨てされる可能性だってあるでしょうに。逆に望んでなければ、勝手に部屋に入られるのは伯爵だって恐ろしいわよねえ。  確かにロンダルド家は屋敷もどれだけ部屋があるのか分からないほど大きいし立派だ。伯爵という爵位の割に侯爵家にも劣らぬほどの財力を持っているらしいから、縁故を狙っている娘持ちの貴族もいるのだろう。  両親がそんなアグレッシブな行動を取らせるタイプでなくて良かった、とつくづくケイロン家に生まれたことを感謝した。私じゃ少々、いや大分成功する可能性は低いけれどね。 「ここがパトリシアの部屋になります。自室の掃除は各自で行うことになっております。……いつ辞めるか分からないのだから、綺麗に使いなさい」 「はい」  よほど行いのよろしくないご令嬢が多かったのだろうか。すぐに辞めるつもりはありませんのでご安心を。仕事ぶりで認めて頂くしかないようだし、私も心を引き締めねば。  案内された部屋は、別棟にある女性専用寮の一階の突き当りの一部屋だった。自宅の自室に比べれば狭いものの、掃除も行き届いており日当たりも良い。清潔なシーツにふっくらした枕。洋服ダンスと鏡台、小さなテーブルに椅子しかないが、私には十分である。  白襟のついた黒のワンピース仕立てのメイド服とヘッドドレスを渡され、着替えたら仕事の手順を教えるので食堂まで来なさいと言われ、マルタは出て行った。彼女は四十代ぐらいだろうか。黒髪を後ろでひとまとめにした背筋のピシッと伸びた姿勢と所作が美しい、いかにも有能そうな人である。ああいう大人の女性になりたいものである。 (さて、果たして私の家事レベルできちんと仕事をこなせるのかしら)  少し不安には思ったものの、急いでメイド服に着替えて母屋の食堂へ向かった。食堂には私以外に二人の新人メイドが所在なげに立っていた。まだマルタの姿はない。 「パトリシアと申します。よろしくお願い致します」 「私はエマリア、この子はジョアンナよ。こちらこそよろしくね」  気さくに笑顔で返事を返してくれたエマリアは、プラチナブロンドに青い瞳の正統派美人といったところか。子爵令嬢らしい。  よろしく、と簡潔に挨拶を返してくれたジョアンナは茶髪で茶の瞳。男爵令嬢で、肉感的な羨ましくなるほど豊かな胸をしたセクシー美人である。  エマリアは十九歳でジョアンナは二十歳、私とほぼ同世代である。まさか、この人たちもマルタの言っていたような「既成事実狙ってます派」なのだろうか? でも即日解雇なんて恐ろしい前例を聞いていれば、家門に泥を塗るような真似は流石にしないわよねえ。  それにしても、そんな事件が起きているにも関わらず顔で選んでいるとしか思えない新人たちに、何故地味な私が紛れ込んだのか不思議である。ま、貴族のゴリ押しがあればあっせん所も断り切れないだろうけど。  三人が待っているとほどなくしてマルタが現れる。 「それでは早速ですが、あなた方はトイレと浴室の清掃からお願いします。掃除用具は廊下奥の地下の用具部屋に揃っています。他の子たちは客室の掃除をしているので、仕事のやり方で困ったら聞きなさい。終わったら全員で廊下の窓ふきと床の清掃です。──ああ、二階の旦那様の書斎と図書室、寝室は私が行っておりますので一切立ち入らないように。はい、ではさっさと動きなさい。時間は有限ですよ」  ぱんぱん、と手を叩くマルタに急かされ廊下に出た私たちは、急ぎ用具部屋に向かう。 「……ちょっと初日から仕事の量が多くない? それに私トイレや浴室の清掃なんてしたことないわ」 「私もよ。大丈夫かしらね、少し不安だわ」  ジョアンナとエマリアの会話を聞いて、二人の家はお嬢様として不自由ない暮らしをしていたのね、と感じたが、それなら私が役に立てるはず。 「大丈夫よ。私の家は男爵家とは言え裕福ではないの。お陰で一通りの家事は家の者がやっているから、やり方は教えられるわ」 「まあ、パトリシア! なんて頼りになるのかしら! 同じ時に入って良かった。分からないことがあったら助けてね」  エマリアが目を輝かせて私の手を取った。ジョアンナも安心したようだ。 「仕事ぶりのひどさでクビにならないように頑張らないとね」  助け合える新人同士の仲間がいて良かった。  頑張って、クビを回避するために誠意を持って仕事をしなくては。家族への仕送りと私の未来の職業人への道がかかっているんだもの。  私はぎゅっと拳を握り、よし、と気合を入れるのだった。
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