余り喜べないと申しますか

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余り喜べないと申しますか

「旦那様……レオン様は、富裕で知られるロンダルド家の当主であり、二十六歳の独身。しかも先代様譲りで容姿端麗な上、この広大なロンダルド家の領地を一人で管理出来る頭の良さもおありです。社交界ではイチ押しの予約なし物件として、年頃の娘を持つ貴族たちが何とか娘を嫁がせたいと願い、釣り書きが途切れることもありませんし、以前パトリシアに話をしたように、花嫁修業と称して潜り込ませて来たりもします」  マルタは聞いてもいない事情を説明し始めた。 「……はあ、さようでございますか」 「そうそれ! 勤め始めた当初から、パトリシアは全く興味がないという姿勢を崩すことなく現在に至ります。私があなたに目を付けたきっかけもそこなのです!」  片足を石膏で固められたメイド長に手を掴まれて、熱く訴えかけられているが、当主をどうでもいいと思っている女に目を付けるのもどうかと思う。 「私は仕事をしに来ておりますもので」 「そして、その存在感のなさ! 常にメイドたちに目を配っている私の視線すらすり抜け、気配を感じずに背後に立てるその資質は、ベテランメイドにもない貴重なものです」  マルタ本人は褒め称えているような口調だが、私には見えないナイフがあちこちから刺さっているようなものである。若い女性がそんな言葉を並べられて喜ぶかどうかメイド長なら察知して貰えないだろうか。  蓄積するダメージがバカにならないのですけれども。 「レオン様は、プライベートエリアに誰かが入ることをとても嫌います。小さな頃からお世話をしている私ですら、気配を殺して最短で掃除をしてお茶を淹れ、御用がなければ迅速に退室する、かなり神経を使うものとなります。他人が入ることで、無意識に漂わせる相手の気配とか存在感みたいなものが部屋に残るのが嫌なのだとか」 「──そのような、粗相をした時点で一発終了が確定している繊細な場所へ、私のような新人を向かわせるのは如何なものかと思いますけれども」 「ですから、あなたの資質です。無意識に気配を殺せる、立っていても存在感が希薄、そしてパトリシア、あなた香水は使ってませんね?」 「え? ああそうですね。香りが強いものは苦手ですので」 「レオン様は女性の使う香水の香りも苦手です。あれはより存在を感じるものですしね。これは内密に頼みますが、花粉アレルギーもあるので屋敷には花は一切置いてません」  確かに、こんな大きな屋敷で立派な花瓶も沢山あるのに、花が飾られているのを見た覚えはなかった 「いくら私が存在感がないと申しましてもですね、流石に旦那様だって見慣れない新人メイドがいれば不快になるのではないかと」 「自信を持ちなさい、あなたの資質は本物です。二週間だけ。足が治るまでの間だけで良いのです。よほどのことでもやらかさない限り、クビにすることなどあり得ません。パトリシアに期待をしていて、長い間働いて欲しいのは私も同様なのです」  影の薄さに自信は持ちたくありません。それにサラリと流してしまいそうになりましたが、よほどのことをやらかせばクビなんですよね? 嫌に決まってるじゃありませんか。 「私にはそのような大役は……」 「私に不自由な足で二階へ階段を使って掃除をしろと言うのですか? あなただけが頼りなのです」  コンコンコンッ、と自分の足の石膏を叩いてわざとらしく弱者アピールを入れて来るマルタに心が痛まない訳ではないが、何も私でなくても、という気持ちも捨て切れない。 「エマリアやジョアンナはどうでしょうか? 彼女たちなら喜んで──」 「パトリシア、あの二人に希薄な存在感というものがありますか? ジョアンナからは若さに似合わぬ色気が溢れていますし、エマリアも自身の美貌から来る無意識の強さを感じます。結婚前の腰掛け程度でしょうし、レオン様を狙っている可能性もあるので、早々に後継者としては却下しました」 「……すみません後継者という言葉は初めて伺いましたが」 「ああ、今のは気にせずとも良いのです。私もいつまでも働ける訳ではありませんからね。今後のメイド長候補というのをそろそろ考えて行かねば、と。片腕になれる存在は大切ですからね」  長い付き合いをしようとしている勤務先の長が、未来の昇進をちらつかせるという絡め手まで使い出しましたよ。  ただ、私がこれからもお世話になるつもりならば、昇進を狙えるというのは悪くない。ただのメイドと違って簡単にはクビには出来ないだろうし。 「……本当に二週間だけで良いんですね?」 「足の調子にもよりますが、大体そのぐらいと見て下さい。きちんとレオン様にもお伝えしておきますし、期間限定ですから」  にっこりとほほ笑むマルタに、私は潔く白旗を上げるのだった。
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