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初対面
マルタに押し切られる形でレオン様の寝室、図書室、書斎(兼執務室)の清掃を任されることになった私は、エマリアやジョアンナからとても羨ましがられた。
だが、レオン様が人の出入りにとても神経質であることや、私の影の薄さ、存在感のなさが任された原因なのだと告げると、「まあ……」「それは何と言うか……」などと口ごもり、かえって同情された。
ただ、良いこともない訳ではない。
マルタが治るまでは担当がこの三部屋だけなので、自由な時間が増えるのだ。丁寧にやっても五、六時間。普段の勤務時間より二時間も減る。これはかなりのメリットだ。
二週間程度の期間限定ではあるが、神経を使うこと以外は体力的な負担は減るので、仕事が終われば早めに本を読んだり、現在取り掛かっているハンカチの刺繍の続きも進められる。それに上手く出来れば、将来的にメイド長へのステップアップも検討して貰えるのだ。
やらかしさえしなければ私の未来は明るい。
「……失礼致しまぁす」
翌日、私は少し早めに掃除道具を抱えて書斎に入った。声は掛けたがまだ朝の八時を回ったところ。朝食を食堂で摂って九時頃から仕事をするのが基本と聞いたので、居ないとは思っていても、つい部屋に入る際には慎重にならざるを得ない。やらかす訳には行かないのだ。
順番としては毎日仕事をする書斎が一番最初、図書室がその次で最後に寝室という流れ。
初めて入った書斎は広々としており、大きな机に座りやすそうな肘掛け椅子があり、仕事の打ち合わせ用なのか、本革の立派なソファーセットもある。本棚がいくつもあって、資料や本が並べられている。図書室もあるのにこちらも本が沢山あるということは、レオン様も読書が好きなのだろうか。
何となく親近感を覚えつつ、早速仕事に入る。
窓やテーブル、机などを拭いて、棚の埃を払ってからほうきで床のゴミを集めて袋に入れる。迅速に丁寧に。
最後に床の拭き掃除をしてここは終了ね。
私はバケツから雑巾を絞って床の汚れをせっせと落としていたが、ふとソファーの下に飲み物をこぼしたような汚れを見つけた。
(やあねえ。こういうところ分かりにくいのよね)
ちょっとはしたないが、ある程度の高さがあったのでソファーの下に潜り込むような形で綺麗に拭き取った。満足である。
よし次は図書室に向かうかと立ち上がろうとした際に、扉がゆっくりと開いた。私が固まっていると、入って来たのは長身で癖のないこげ茶色の髪の、驚くほど目鼻立ちが整った男性だった。……なるほどこの方がレオン様なのね。初めて間近で顔を見たが、確かにマルタの言う通り、噂に恥じぬ、いや噂以上の美丈夫である。
私がいるのに気付いていないのか、何やら鼻歌まじりに机に向かい、引き出しからチョコレート菓子のようなものをぽーんと上に放り上げ、上を向いて開けた口で無事にキャッチして、「よし」と言いながら真正面を向いた時に、ソファーの陰で雑巾を持ったまま固まっていた私と目が合った。
ビクッと肩を揺らして目を見開いたままレオン様も固まったので、よほど驚いたのだろう。
私もいつまでも床で固まっている訳にも行かないので急いで立ち上がり、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。早く終わらせるつもりでございましたが、初日なのでまだ勝手が分からず時間が掛かってしまいました。マルタ様に代わり、二週間ほどお部屋の清掃を担当させて頂くパトリシアと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「──あ、ああ。マルタから聞いている」
「お茶はいつ頃お持ちすればよろしいでしょうか?」
「今はまだいい。頼みたい時に呼び鈴を鳴らすから、それまでは残りの清掃を頼む」
「かしこまりました。それでは失礼します」
すすす、と後ろ向きで部屋を出て、扉を閉めてから息を大きく吸い込んだ。背中からひんやりとした汗が流れる。
(……ああ驚いた……)
これは失態になるのだろうか? いや、初日だから少し時間がかかった位は許して欲しいのだけど。
私はそのまま図書室にバケツやほうきを抱えて歩きながら、それにしても横に並んだ女性がかすみそうな美貌だったわ、と思い返していた。
パーティーで女性に取り囲まれて大変だとマルタが言っていたが、あんなまばゆい美形の隣にいたいと思えるのは、よほどの美人かメンタルが恐ろしく強いかのどちらかよねえ。私は無理だわー。これ以上存在感なくなったら、生き物としての存在意義を見失いそうだし。関わらない一択が正解だ。
「さっ、仕事仕事」
私は気を取り直して図書室に向かうのだった。
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