プロにコロコロされる小娘

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プロにコロコロされる小娘

 幸いにも初日の一件はやらかしにはカウントされなかったらしく、一週間経っても私は引き続きレオン様の部屋の清掃に勤しんでいた。  レオン様は確かに普段机で書類を読んだり決裁にサインをしたりしている時には気難しい感じで、眉間にシワを寄せたり口元がむすりとしていることも多い。鼻歌を歌いながら上に放り投げたお菓子を口でキャッチして、静かに喜んでいる機嫌の良さそうな姿を見たのは一度きりだ。  ただ、マルタが言う【私の天性の素質】つまりは存在感のなさから、何度かレオン様が無防備な時に私がいた、ということが何度かあった。  しかし、決して私が一方的に悪い訳ではないと思う。  お茶を所望された際に用意をしてノックをし書斎に入ったら、集中していたのか顔も上げずに「──今書きかけの書類があるから少し待っていてくれ」と言われたので、そのままお茶が冷めないか心配になりつつ十分近く待たされ、ふう、とため息をついてペンを放り出し、机から顔を上げたら私が立っていてまた固まられて「……いたのか」って呟かれたり。いますよそりゃ。レオン様がお茶をくれと言ったんですよね? さっき会話しましたよね?  図書室の清掃をしていたら、レオン様が入って来て資料を探し出して、お目当ての物を見つけたのか少し笑顔になり、何冊か抱えて出て行こうとする時に、雑巾を持った私を見て驚き本を自分の足に落としたり。  いや確かにテーブルや本棚が幾つも並ぶような大きな図書室ですけれども、私が見えてるんですから、レオン様が見えないというのはおかしくないですか? 私はそこまで存在感が空気なんですか?  身内や友人にすら言われたりするので自覚してはいるものの、これでも一応十八歳になりたてのぴちぴちの乙女である。ここまで恋愛対象ではないといっても男性に存在を認識すらされていない自分、という事実を見せつけられるのは、少々切ない気持ちにだってなろうというものだ。  ……だがそれもあと少しでおしまい。マルタが復帰すれば私はお役御免で、またエマリアたちと一緒に仕事の合間にお喋りしたり、休憩中にたわいもない話で笑ったり出来るのだ。  ……そう思っていたのだが、何やら雲行きがおかしくなって来た。 「あの、マルタ様、足の様子はいかがでしょうか?」  約束の二週間が過ぎても何の話もない。  更に一週間が過ぎた際に我慢が出来なくなって、マルタの部屋を訪問することにした。昼間は専用仕事で彼女と接触することがないので、今は直接私室を訪問するしかないのだ。 「まあパトリシア、わざわざありがとう。ようやく一昨日足の石膏を外して貰えたので、一安心です」  まだ少し痛みはあるそうだが、普通に歩いているように思える。 「それは良かったです。では私の仕事も、そろそろ通常の──」 「そのことなのですけれどね」  マルタが私の手を取り、笑顔になる。正直嫌な予感しかしない。 「レオン様が、パトリシアの仕事ぶりを認めて下さいました。これからも継続して仕事を任せても良いと仰っております」  私は任せられたくないと申し上げたい。 「で、ですが今までは何とかなっておりましたが、いつ粗相をするかと思うと気が気ではないのです。やはりここはマルタ様が今まで通り──」  失態に怯える不安げな新人メイドを演じてみるが、マルタは私の手を離すことなく笑顔で続ける。 「──誰にでも出来る仕事をしていて皆を束ねるメイド長になれると思いますか? 神経をつかう仕事をこなしてこそ人間は成長するのです」 「……期間限定と仰ったじゃありませんかマルタ様」 「そうですね。ただ雇用主があなたの資質を高く評価して下さったこと、これは大変価値のあることです。いつか昇進する際に覚えが良いに越したことはないのですよ」  存在感が幽霊レベルと褒められたところで嬉しくない。レオン様もあんなに私がいたことに驚いたり固まったりしていたくせに、何故継続させようとするのよ。心の中で悪態をつく。  ──だが昇進。マルタにレオン様、確かに上司の覚えが良いというのは悪いことではない。むしろ万々歳だ。しかし、私だって気疲れはするのだ。 「それに実は私も、以前から予定していた数名が退職した関係で、新たに雇い入れをしたメイドの指導があるのですよ。ですから戻りたくても戻れないというのが現状なのです」 「……」  残念そうに言っているが、目が全然残念そうじゃない。マルタだって常時レオン様を不快にさせないよう神経をつかうよりも、メイドをビシビシ鍛える方が精神的に楽だと考えているに違いない。上司だからって新人の逃げ場をふさぐなんてひどいじゃないですか。 「──あ、そうそう。言い忘れていましたが、専門手当がつきますので給料が少し上がることになります。良かったですね。揉めないよう仲間内で話すのはいけませんが、心からおめでとうと言わせて頂きますよ」 「そうなんですか? わあ、ありがとうございます!」  反射的に笑顔で返してしまったが、これでは続投を認めたことになってしまうではないか。 「あのでもちょっと待って──」 「では明日からも誠心誠意お勤めお願いしますね。……私も足が少々痛みますのでそろそろベッドで横になりたいのですが」  笑顔で部屋を追い出され、またしても完全敗北を認めざるを得なかった。流石に人生経験豊富な仕事の出来るプロフェッショナルな女性は違う。小娘をコロコロ転がすなど朝飯前なのだろう。  ……だが給料が上がるというのは朗報だ。ルーファスが騎士団に入るために訓練所に通いたいが、月謝が家の負担になるから言えないと言っていたではないか。弟に投資出来るお金が増えると思えば、これからも頑張れる。 (ここは気合を入れるしかないわよね……)  自室に戻りながらそう考えた。  でももう少し私の気配を察知して欲しいものだわねレオン様も。
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