280人が本棚に入れています
本棚に追加
レオン様の秘密
何だかんだ言っても、人間というのは環境に慣れる生き物である。
期間限定が期間未定になってから三カ月。
弟には休日に自宅へ戻った際に、こそっと給料が上がったので騎士団の訓練所へ通うサポートが出来るわよ、と伝えたら大泣きして抱き着かれ、早速両親に報告に行った。
両親はと言えば、そんなことを考えていたことすら知らなかったようで、
「そういうことはもっと早く言いなさい」
とぽかりと頭を叩かれていた。私たちだってそのぐらいのお金は何とかなるんだから、いちいち姉に心配かけるなと正座して説教もされていた。
ただ、ルーファスは長男だし、今後跡取りはどうするのかと心配だったので、弟のいない時に両親に尋ねてみた。
「まだ私たちだって四十歳にもなってないのだから、跡を継ぐなんて何十年も先のことを心配したって意味がないよ」
「そうね。ルーファスだって、訓練所卒業しても一生騎士団にいるかも分からないもの。あの子騎士団の制服にとても憧れてたけど、剣術や体術だって向き不向きがあるしね。まあ頑張ってやっていけるのなら、家なんて継がなくても、別に私たちの代で終わっても構わないし」
「貧乏貴族だしなあ」
「あら、お金なんて最低限あればいいのよ。私はあなたとお義父様にお義母様、可愛い子供たちがいるだけで毎日とても幸せよ」
「僕も幸せだよ」
と案外達観した考えを示して、無駄にラブラブな空気をまき散らそうとしてくるので早々に退散した。まあこれで一応弟の問題は解決だ。
──そして、レオン様である。
何度も私がいることに気がつかず、一人でいるような安心感で様々なうっかりを晒してしまっている。
例えば、レオン様は実はかなりの甘党だ。
周囲には見た目のとっつきにくさを重要視しているのか、ブラックコーヒーが好きでお菓子などは女性が好むもの、というクールなスタイルを崩さない。これは若くして爵位を継いだため、甘党だとバレて周囲の年配貴族に舐められないようにするためではないかと思う。
だが初っ端でチョコレートを嬉しそうに口に入れる姿だけではなく、仕事の業者などが打ち合わせの際に持って来た焼き菓子など、表では
「私は苦手なのだが、メイドたちが好きなので有り難いな」
などと言って受け取り、そのまま着服して机の引き出しに溜め込んでいるのを知っている。そして、いそいそと図書室に持ち込んで本を読みながら嬉しそうにシャリシャリとクッキーを食べていたり、
「……今日は目一杯仕事して疲れたからコーヒーに砂糖を入れてもいいかな。うん、いいよな。疲れを取るとも言うし」
と言い聞かせるような独り言を呟いて、砂糖の器の蓋を笑顔で持ち上げたところで私に気づき固まるという、もうわざとじゃないかと疑うレベルで無防備だ。人の気配に敏感だとか繊細とかマルタが言ってなかっただろうか。いくら私が存在感が薄いといってもそれほどなのか。
私とて雇用主に頻繁に顔を合わせて気まずい思いをさせたくはないので、少し音を立てて掃除をするようにしたり、いようがいまいがノックをして挨拶をしてから入ることも忘れないのに、隙間を縫う形でレオン様が現れたり、勝手に私をいないものとしてやらかしてくれるので、私としては避けようがない部分もある。貰い事故である。
「……パトリシア、物静かなのは良いことだが、もう少し音を立ててくれるとありがたい」
「いる時には声を掛けて欲しい」
と時々言われるが、わざと音も立てているし、入退室には声だって出している。それを無意識に全無視するか私の存在を忘れているだけだ。
それとも何ですか? ステップ踏んで踊りながら掃除でもすればいいんですか? と問い掛けたいが、給料も上がったし仕事自体は今までより楽なので、個人的には不満はない。
まあレオン様が我慢出来ないようならそのうち元の仕事場に戻されるだろう、と思っているのだが、仕事ぶりそのものには文句はないらしく、未だ戻される気配はない。
良く考えると、私は知らなくていい雇用主の見せたくない部分を知っている(勝手に知らされる)ので、戻したらメイドたちに何を吹聴されるか分からない、という心配をしているのかも知れない。私はそんなにお喋りじゃないのだけれど。言って良いことと悪いことの区別ぐらいはつけているつもりだ。
メイド仲間のエマリアとジョアンナにも、休憩中に会ったりするとレオン様はどんな方? と聞かれたりするけれど、「いつも難しそうな顔をして書類を睨んでいる」「ほぼ会話をすることがないので人柄は良く分からない」「顔は整っておられると思うが、神経質な方のようで神経が休まらない」などと大げさに伝えて、関心を失せさせ、玉の輿を狙っている可能性があるかも知れない人たちの防波堤になる役割までしているのだし、もう少し信用してくれてもいいように思う。
だが数カ月も働いていると、それなりに馴染んだのか少しは気安い会話も交わすようにはなる。恐らく私が既成事実に持ち込もうとしているとか、邪な考えを持っていないとの判断を下してくださったのだろう。こんな影薄い女が何を企んだところで、どうにもならないと理解するのが遅すぎる気がしなくもないが。
「──女性はどうして香りの強い香水をつけたりするんだろうね。髪に生花を刺したりもするだろう? パーティーに参加すると本当に目眩がする」
私が花粉アレルギー持ちであることや香水が苦手なことを知っているとマルタが伝えたのだろう。たまに愚痴をこぼすようにもなった。
「それは、女性として男性へのアピールでしょう。独身の女性はここにも可憐な花があると伝えて男性へ好印象を与えたり、良い縁談を求めたいものです。既婚の女性も、女性であることを捨てた訳ではありません。レディーとして扱って欲しい表れなのではと思います。良い香りというのはそれだけ好印象を与えやすいものでもありますし」
「パトリシアもパーティーではそういうことを考えてるのかい?」
「いえ、私はパーティーという大人数での催しは疲れるので殆ど参加しません。お酒も嗜みませんし。家で読書したり刺繍したりしている方がよほど気楽なのです」
「……そうか。だが引きこもっていては、縁談そのものも来なくなるのではないか?」
「──結婚するつもりはございませんので」
「それは一体何故?」
存在感がなくて影も薄いから、ずっと好きだった男性にも異性としての興味を持たれなかったのです、とは流石に自分が可哀想で言えない。
「──仕事をして自分一人で自由に生活したいと思ったからですわ」
これも後から考えたことだが別に嘘ではないのでサラリと切り上げた。
そしてレオン様も、全く自分に対して女性アピールをして来ない私に信頼を寄せるようになったのか、新たな仕事が増えた。菓子の購入である。
「なあ見てくれこの寂しい引き出しを。大切に少しずつ食べていたのに、あと少しでクッキーも姿を消してしまうのだ。悲しいとは思わないか?」
それはレオン様が食べたからですよね。
「それでなのだが、パトリシアの家の近くに、美味しい焼き菓子とケーキの店があると言っていただろう? どうか休みの日に買って来てくれないだろうか? パトリシアも好きなお菓子を買って構わない。私が全部出す」
「それは構いませんが、生菓子は日持ちしませんよ?」
「滅多に食べられないのだし、三つ四つはその日のうちに食べられるので安心しろ。あと焼き菓子は多めに頼みたい。業者が毎回お菓子をくれる訳ではないからな」
仕事のストレス解消にもなっているのだと頭を下げられ、早速次の休みに自宅へ戻った際に、ショートケーキやチョコレートムース、シュークリームなどの生菓子と、クッキーやパウンドケーキなどの焼き菓子を大量に購入して帰った。ついでに自分の焼き菓子も少々。
「任せると言われたので、私のお勧めを選んで参りました。お口に合うと良いのですが」
夕食後に書斎まで持って来て欲しいと言われていたので、私は目立たないようこっそりと大荷物で二階へ上がる。
逢引とか思われても困るものね。余りにも色気のない逢引だけれど。
楽しみに待っていたらしいレオン様が、ケーキを見て目を輝かせた。
「……何て美しいんだろうね。素晴らしく美味しそうだ」
レオン様はため息をつくと、クッキーなどの焼き菓子も幸せそうに引き出しにしまい込んでいる。
「パトリシアも一緒に食べるだろう? 好きな物を選んでいいよ」
「いえ、私は──」
出来れば誤解を受けたくないので長居はしたくないのだ。
「この芸術品のようなお菓子たちを一人で食べるなんてもったいないじゃないか。あ、紅茶はもう用意してあるんだ。直ぐに淹れるから座っていて構わないよ」
浮かれている、と表現するのがぴったりなレオン様の姿に少し同情してしまった。現在、独身女性の多くが結婚したがる、将来有望で財力のある美貌の独身男性と見られているのに、他の老練な貴族の方々に馬鹿にされないよう、好きな物も堂々と食べられないなんて。
夜にケーキなんてかなり罪深い組み合わせだが、これも人助けかしら。
「……では、お言葉に甘えさせて頂きます」
私は笑顔で応え、ケーキの箱を覗き込むのだった。
最初のコメントを投稿しよう!