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第19話 兄
「兄さん」
その声に振り返った兄レーゲンは、例えるなら太陽の様な笑みをこちらに向けて。
「なんだ? テネーブル」
大きな掌を、テネーブルの頭に乗せてくる。
十五歳になって成人と認められ、正式に王位継承者として認められた兄レーゲン。
そんな兄が五つ下のテネーブルは自慢であり、尊敬もしていた。魔力も剣術も、誰にも引けを取らない。
そんな兄に比べ、自分は幼い頃から病弱であり。今も療養のため一人辺境の田舎へ行かされていた。
それでもこうして久しぶりに顔を会わせれば、レーゲンは心から喜んでくれ、忙しい合間を縫って楽しいひとときを共に過ごしてくれる。
大好きだった。そのはず──だった。
それはいつからだったか。
病弱な自分の面倒をいつも見てくれていた側付と、いつしかその身分を超えて関係を持つようになっていた。
物心ついた時から、女性のメイドより、男性の執事たちに目を向けていた気がする。
自分は跡継ぎを作る必要もない。そちらに目を向けてもなんら問題はなかった。
しかしある時、その側付が口にした一言が、心の隙間に入り込んだ。
『なぜ、テネーブル様が王にならないのでしょう…』
年上のその側付は、普段口数も少なく、自分の相手をしていても、声を上げることは稀だった。その側付が自分を腕に抱きながら、そう口にしたのだ。
側付にとって、一番はテネーブルだったのだ。だが、テネーブルは首を振ると。
だって、私は弟だから。
あんな立派な兄がいるのに、王になる必要もない。それに、私は病弱だ。それでは後継にはなれない。
そんな事を口にしたと思う。
テネーブルにとっては、今のこの状況で十分満足だった。確かに過去には皆に慕われ、尊敬される兄を羨んだこともある。
しかし、このゆったりとした優しい時間が自分には酷く心地よく、掛け替えのないものになっていた。
なにより、テネーブルはこの側付を心から好いていた。彼さえいれば、この先自分が表舞台に立たなくとも良かったのだ。
しかし、側付の思いは別にあったらしい。
テネーブルを思うあまり、兄の命を狙ったのだ。それも一度ではなく、人を使って襲わせたり、毒物を食事に忍ばせたり、二度三度。
挙句の果ては自ら短剣で、兄を始末しようとしたのだ。
勿論、成功するはずもなく。
テネーブルの懇願もむなしく、父王によって、側付は死罪となった。
心から愛したものを失い、テネーブルの心は少しづつ、闇に傾いていった。
全てが虚しく目に映り、自分以外のすべてが疎ましく思えた。
しかし、そんなテネーブルを不憫に思ったのか、兄たっての願いで後継へと指名された。
当時、レーゲンは三十歳近くなるというのに独り身だった。思い人はいたのだが、身分の違いにより父王により妻として迎えることを禁じられていたため、後継が出来る予定はなかったのだ。
亡くなった側付の願いが、その命と引き換えに叶った瞬間だった。
その後、父王が亡くなり、晴れて兄が王位を継ぐにあたり、漸くその女性を王妃として迎え入れる事ができた。
初めてエストレアを目にした時、男にしか興味のないテネーブルもその美貌には目を奪われた。そしてそれに添う兄テネーブルがさらに疎ましくなり。
そのうち、息子が生まれ、事態は急変する。
周囲の強い進言があり、テネーブルからその生まれた甥へと、後継が移ったのだ。
当たり前といえばそれまでだが。
兄は酷く詫びていた。そんなレーゲンにテネーブルは気にすることはない、自分は田舎でのんびりするのが夢だったと答え、大人しく田舎に引っ込んだ。
だが、それはうわべだけの事、日に日にレーゲンへの暗い思いは蓄積されていった。
そんなある日、妃のエストレアが産後の肥立ちが悪く、体調を崩していると知ったのだ。
テネーブルはいそいそと出かけ、エストレアを見舞った。そして、必死に回復させる兄のその力を阻害した。
そう。魔法の力だ。
兄ほどの力はなかったが、それくらいの事は出来た。兄の力が効き辛くなるように、うすいヴェールのような膜をかけたのだ。
幾ら回復魔法を施しても、それを反射するように。
簡単な魔法だ。普段の兄なら気付いただろうが、平常心を失っていたのだろう。それに気付かず、日に日にエストレアは弱っていき、とうとう帰らぬ人となった。
ああ、いい気味だ──。
私の思い人を奪ったのだ。それと同等の報いを受けさせたまで。
テネーブルの心はどんどんと歪んでいく。
それから数十年後、もうすぐ十五歳になり成人式を迎えるというソアレを目にした。
幼い頃からエストレアに良く似ているとは思っていたが。久しぶりに目にした甥は、テネーブルを魅了するのに充分だった。
成人式を数日後に控えたある日、テネーブルはソアレを話があるからと自室に呼び、飲ませた紅茶に薬を忍ばせた。
身体の節々が痛むときに飲む痛み止めだったが、健常なものが飲めば、睡眠薬の様に作用する。それでソアレを暫く眠らせたのだ。
その日、レーゲンは留守をしていた。ソアレにいつもぴたりと張り付き離れない側付も、親しい知人の病気と嘘の情報を流し、離れさせた。
すべて、奪ってやろう──。
レーゲンの大切なものはすべて壊してやらなければ気が済まなかった。
レーゲンはこの王子を殊の外愛し、可愛がっている。なによりエストレアの忘れ形見なのだ。
なんの疑いもなく紅茶を口にし、意識を失ったソアレをベッドに寝かし、事に及ぼうとした矢先、ソアレの側付に邪魔された。途中で嘘を見抜き引き返してきたのだ。
レーゲンからは何も言われはしなかったが、その後、田舎へと幽閉され、ソアレと二人きりになる機会は二度と訪れなかった。
何もかも。全て兄がいけないのだ…。
全てを兄に転嫁して、恨みは蓄積する一方だった。
そこへ美しい魔物の様な男が姿を現す。
エストレアが光に満ちた美貌というなら、その男は闇に満ちていた。
しかし、既にそちらに身を落としていたテネーブルにはその方が美しく思え。
その日のうちに男を手にし、いつの間にか虜となっていた。男はテネーブルに甘い言葉を囁き、更に闇へと落としていった。
そして、テネーブルは兄を手にかけたのだった。
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