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ネロの家はすぐに分かった。村の中心からは外れるが、丘の上に一軒だけ建つ石造りの家に迷うことはなかった。
アステールが到着するとサンクが出迎えてくれた。かなり慌てた様子だ。
「あの、お兄ちゃん、熱がすごいんだ!」
扉が開けたとたん、飛び出すようにしてサンクが出てきた。
「ああ、分かった。すぐに診よう。──部屋は?」
「一番奥!」
すでに寝支度を整えていたのか、サンクは寝巻き姿のまま急いで奥の部屋へと案内する。
床板をきしませながら奥の部屋へと向かう。手には車から持ってきた応急処置用の薬品類を抱えていたが。
これで対応できるかどうか──。
あくまで応急処置用だった。軽いアレルギーや炎症なら抑えられるが、長く続くようであれば、機器の整った施設へ向かわねばならない。
側付として、医師の資格も手にしていたが、さすがに必要な薬や機器がなければ出来ることも限られる。
ドアを開けると、窓際に腕組みしたヴェントが佇んでソアレを見下ろしていた。ネロは枕元に座り、ソアレの額に乗せた濡れたタオルを代えている。
アステールに気付くと、パッと表情を明るくした。
「ああ、良かった! 診てくれるか? ──やはり、モンスターの毒が回ったようだ…。さあサンク、もう休む時間だ。あとはこの人が診てくれる。──大丈夫だ」
「うん…」
心配そうにソアレを見つめるサンクを促す。アステールはそんなサンクに笑みを向けると。
「後は私が診る。ありがとう、ネロ。サンクもな。もう大丈夫だ。ゆっくり休んでくれ。──その方がソアレも安心する」
「うん、分かった…。お休み…。お兄ちゃんに頑張れって」
「ああ、伝える」
出がけ、ネロはアステールを振り返ると。
「台所は部屋を出て、右に行った所にある。夕飯の残りですまないが、スープとパンが用意してあるから好きなだけ食べてくれ。とりあえず、お湯はそこに十分沸かしてある。必要なものがあれば構わず言ってくれ。わしは台所の向かいの部屋にいるから。今日は本当にありがとう。…お休み」
「こちらこそ、色々すまない。お休み、ネロ」
アステールの言葉にネロは頷くと、サンクを促し部屋を出て行った。
部屋は広く、ベッドが四つ用意されていた。きちんとベッドメイクもされている。
「ありがたいな…」
「…ああ」
ヴェントの言葉にアステールは頷きながら、タオルをずらし、ソアレの額に手を置く。やはりかなり熱が高いようだった。
「大丈夫か?」
「そうだな…。こればかりは、様子を見るしかない──。本人が戦っている証拠だからな? むやみに熱を下げてはいけない場合もある…。ヴェント、少し手伝ってくれるか? 身体を拭いて傷の手当をする。少しの間、身体を支えておいてくれ」
「分かった」
ケトルに用意してあった熱いお湯を、ソアレの傍らに用意されていた桶に注ぐ。
暖かい湯気と共に清潔な香りが辺りに立ち上った。タオルを濡らし絞ると。
「頼む」
ヴェントが反対側から、ソアレの頭を支えるようにして身体をそっと抱き起こした。
「案外、手馴れているんだな?」
アステールの問いかけに、ヴェントは苦笑を浮かべ。
「下に弟がいるからな。九つ離れていたから親の代わりに面倒を見ることもあった」
「意外だな…」
ヴェントに支えてもらいながら、先にTシャツを脱がせた。腕や首はもちろんだったが、胸や腹にも黒々とした噛み跡が残っている。
「まったく──。無謀にもほどがある…」
半ば独り言だった。初めてモンスターに受けた傷がひとつや二つではないのだ。
噛まれた所から一気に毒が回れば、一溜りもない。いくら普段から鍛えている戦士と言えども、免疫がなければ倒れるのは明白だった。
続いてジーンズも脱がしたが、同じようなものだった。
「お前──、気づいているのか?」
「何がだ?」
アステールはソアレの汗と血の汚れを拭いながら、傷の具合を診る。この程度なら傷跡は数日もあれば塞がるだろう。問題はこの熱だった。
毒を散らす薬が必要だな──。
先ほど車から持ってきた応急処置用のセットにあったはず。
「こいつの、危うさだ」
「…背中も拭く。もう少し身体を起こしてくれるか?」
ヴェントの問いには答えず、起こされて露になった背中にタオルをおく。
そこには斜めに白く浮き出た傷跡があった。
背中のほとんどを覆うそれは、受けた当時、かなりの怪我であったことが伺える。
「ひでぇな…。それは?」
ヴェントはソアレの頭と肩を支えながら、傷に目を留める。
「危うさの結果だ──。今に始まったことじゃない。…昔から、だ。いつも自分のことは二の次だ。この傷は──私を守るために、負ったものだ。ヴェントとはまだ会う前だな? ──ソアレが六歳の頃だ。私は森に行ったまま帰ってこないソアレを捜しにいった挙句、狼に出くわしたんだ。襲い掛かってきた所に、どこにいたのかソアレが飛び出してきた。──それでこの傷だ」
当時の医療技術では、傷痕全てを消すことは出来なかった。成長してから消すことを提案したが、このままでいいと、ソアレは譲らなかった。アステールを守った証だからと。
あの時。狼に噛みつかれているのは自分のはずだった。獲物を得た狼がソアレを連れ去ろうとするのを、必死に追い払うのが精一杯だった。
「剣術もまだ習いたてだった。しかも、恐怖でまともに振るえない──。ただ振り回すのが精一杯だったな…」
「よく生きて帰れたな」
「王宮の兵士が捜索に出ていたからな。すぐに駆けつけてきた…。遅ければどうなっていたか分からない。──あの頃から、ソアレは何も変わっていない…」
人を救う為、自分の命を躊躇いなく差し出す。
それは尊い行いなのだろう。けれど、それでは命が幾つあっても足りない。まして、王の後を継ぐものがそうであってはならない。
「今回も口ではああ言っていたが、おそらく同じようなことがあれば、また繰り返すだろうな…」
とりあえず、応急処置として炎症を抑える薬を塗り、乾いた服に着替えさせると、再びベッドに寝かせた。
相変わらず熱は高いままだったが、先ほどよりは呼吸も落ち着いてきたようだった。
「この先も、変わりそうにない、か…」
「変わらない──だろうな。何かがそうさせているとしか。…だから、傍にいるものがそうさせないよう、守るしかない」
「過保護なだけかと思っていたが──理由があったんだな?」
「過保護な位でちょうどいい。──死なせはしない」
出会った頃から、あの狼に襲われた時から。ずっとそう心に誓ってきた。ソアレがそうするように、自分もソアレのためなら命を張れる。
そうこうしていると、ソアレが薄っすらと目を開いた。
「……? ア……ス?」
熱の所為で喉が枯れているため、ほとんど声にならなかった。虚ろな眼差しでアステールを見つめてくる。
「目が覚めたか…。少し水分を取ったほうがいい。ついでに薬も飲ませるぞ」
背中に枕を当てて、少し身体を起こさせると、薬と一緒にそれらを自分の口に含み、ためらいなく口移しでソアレに飲ませた。
ソアレは抵抗することもなく、すんなりそれを受け入れる。二、三度繰り返すと、僅かに首を振って見せた。
「…今晩はここにずっといる。安心してゆっくり休め」
濡れた唇をそっと親指で拭う。アステールの言葉に、頷くようにして目を閉じた。
「──甲斐甲斐しいな」
その様子を黙って見ていたヴェントはどこか含みのある声音でそう口にするが、アステールは気にせず、また枕をはずし、ソアレの身体を横たえるとその額に冷たいタオルを乗せた。
「ヴェントも、もう休んだらどうだ? ──疲れているだろう?」
「それはお前も同じだろう? …まあ、いい。交代で看てもいいが、今晩はやめたほうが良さそうだな? ──先に休ませてもらう」
「そうしてくれ」
ヴェントはそのままシャワーを浴びると、それ以上何も言わず先に休んだ。
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