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目の前には異形の姿となった弟テネーブルがいた。
すでに人ではない。
手足が長く身体は巨大化し、まるで蜘蛛のようだった。かろうじてその頭上に近いところに顔が飾りの様についている。
鋭い牙と、伸びた手足には刃物のような棘が幾つも突き出ていた。
テネーブル…。私に力があれば。
その鋭い牙と、爪が目前に迫ってなお、レーゲンは力を使わなかった。
自分が守るべきものは全て、外へと逃がした。
いや、全てではないか──。
テネーブル。お前を救うことが出来なかった…。
父王がお前の愛するものを奪おうとした時、阻止することができなかった。
レーゲンはその者によって、どんなに命を奪われそうになっても、頑なに認めなかった。
認めてしまえば、捜査の手が伸び、テネーブルの愛する者はすぐに捕らえられてしまうだろう。
レーゲンは自分の命を奪おうとする者の正体をとうに見抜いていたのだ。
テネーブルの側付に、なんとか諭して諦めさせようとしたが、相手は聞かなかった。とうとう、自分に刃を向け捕らえられてしまった。
どうすることもできなかった。まだ、そこまでの力が自分にはなかったのだ。
せめて、最後に僅かな時を与える事しかできず。
テネーブルは王位など望んでいないと口にした。側付であるこの男との、ささやかな幸せさせあれば良かったのだ。側付は最後にそれに気付き、涙を流した。
不憫だった。お前が──。
幼い頃から病弱で、幾ら一緒に遊びたくとも、直ぐに部屋へと連れ戻され。
それでも、会えば笑顔を向け、楽しいと口にする姿を健気に思い。
幸せを願い、父に頼み醜い権力争いが渦巻く城から遠く引き離し、田舎へと向かわせた。
そこで心を通わせる相手が出来たと知って、心から安堵した。
しかし、それが長続きすることはなく。
愛する者を失ったテネーブルに、当時、エストレア以外との結婚をするつもりがなかったレーゲンは、一向に彼女との婚姻を認めない父王に頼みその後継をテネーブルに定めさせた。
父王への抵抗と、弟へのせめてもの償いだった。
そして、父王が突然の病で亡くなり、事態は急変していく。
レーゲンは晴れてエストレアを王妃に迎え、息子を得た。周囲の強い勧めにより後継を弟テネーブルから息子ソアレと移し。
幸せをつかんだ矢先、大切なその一つを失った。
エストレアがソアレを生んだ後に体調を崩し始めたのだ。
ただ出産に疲れただけだと思われたそれは、だんだんと悪化していく。
幾ら自分の魔法を施しても、なぜか回復せず。当時の最先端を行くどんな治療も効かず、日に日に弱るエストレアになす術がなかった。
『あなたと、ソアレに会えて良かった…』
エストレアはいつもそう口にした。
例え一緒に過ごす時間は短かったとはいえ、生きている中で一番幸せな時を過ごせたと。長さではなく、その内容が大切だったのだと口にして。
自らの死期を悟ったエストレアは傍らに寝かせたソアレを見つめながら。
『ひとつ、頼みたいことが…』
そう言って語ったのは、故郷に残してきた弟の事だった。弟のフォンセは自分と血の繋がりはないが、実の弟として可愛がってきたのだと言う。
そして、彼はかなり強力な魔力の持ち主なのだと語った。繊細な彼が、自分の死によって何か変わるのではないかと危惧していたのだ。
フォンセはエストレアを強く慕っていたのだと言う。
『分かった。気にかけよう…』
そう約束して、次の日。エストレアは眠る様に息を引き取った。
フォンセは国にて急死した父に代わり領地を守っていた。姉の死を知らせるとすぐに駆けつけ、涙する。そして、短い間とは言え、姉を幸せにしてくれてありがとうと語った。
そこに落ちる影を、レーゲンは見つけることができなかった。
炎が城を包む。
ここは──もうすぐ堕ちるだろう。
モンスターと化す前、テネーブルは全てを語った。
愛するものを亡くし、レーゲンを恨んだこと、そして、代わりにエストレアの回復を阻害し死に導いたこと。ここでレーゲンを倒し、ソアレをこの手に奪うこと。
エストレアの件は、仕方のないことだったと諦めていた。
もし、当時の自分がもう少し冷静であったなら、弟のかけたそれに気付くこともできただろう。
だが、当時は冷静さを欠いていた。普段ならそんな魔法など、ものともしないのに、だ。
自分の不注意の結果だ。
だから、テネーブルだけを責めることはできない。ただ、ソアレにまで手を伸ばすというのは、何としても阻止したかった。前歴もある。
その為に、自分が一番信頼するものに託した。
彼らなら、きっとソアレを守り通してくれるはず──。
何より、ソアレの側付はレーゲンも認める男だった。ソアレを思う心は自分以上だ。
ソアレはきっと逃げきる。それに彼らがいれば、大丈夫だ。
レーゲンは改めてテネーブルだったそれを見つめる。
自分の魔法の力があれば、テネーブルを倒すことは無理でも、押さえ込むことは可能だろう。その隙に逃げ出す事も。
だが、ここで自分が逃げだせば、きっとテネーブルはどんな手を使ってでも、追ってくるだろう。
そうなれば、城の外に住まう人々を巻き込み兼ねない。多大な犠牲を払うことになる。
せめて、ここで自分がその怒りを受けて、その暴走を止めなければ。
ソアレ。もう少し、お前と過ごす時間が欲しかったが──。エストレアと会えるなら、それも仕方ないと思えるか。
お前の幸せを永遠に願う。
愛しい、ソアレ。
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