《出会い》

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 だが、その恋愛映画を観た後、彼女は打ち砕かれた。  誰かと本心で笑い合いたい。誰かと本気で求め合いたい。朝起きたときにその人のことを想い、夜寝るときにおやすみと言いたい。今の家庭は空疎に過ぎる。夫は身の回りのことを全て自分でやり、彼女には何も求めない。パーティーや会食などに同行させるとき以外に夫婦らしい会話は何もない。そのくせいつでも美しくいろと言う。おまえの価値はその美しさだけだと真顔で言う。  どんなに高価なエステに行っても、人間の外見的な若さとは、すなわち心の若さだと指摘する記事を読んだことがある。何の感動もない状態で、ただ美容クリームを塗りたくっても、老いは進行をやめない。彼女の夫は一度として、一緒に年を取ろうとは言ってくれなかった。誰のために若くいたらいいのか、何のために美しくいたらいいのか、答えの出ない袋小路に迷い込んでしまった。  トロフィーワイフの象徴のように、いくつかの雑誌で取り上げられたことがあったそうだ。それは多くの反響を呼んだらしいが、殆どは批判だったという。老い先短い金持ちにつけこんだ(こう)(かつ)な女だとか、(たま)輿(こし)狙いの悪女だとか、詐欺師なんてワードまで耳に入ってきた。自らが選んだ結婚だったはずなのに、彼女は何も反論できなかった。私たちには愛がある、なんて科白(せりふ)は嘘でも出てこなかった。  須藤汐美は、決して幸せではなかった。  こんな人生のどこが妬まれるのか。毎日が虚栄で、毎日が寂しい。赤の他人から陰口を叩かれる道理はないのに、それを論破するだけのエネルギーも根拠も乏しい。  そして雑誌に取り上げられたことで、顔と名前が世間に知れ渡ってしまった。会ったこともない人から、「誰それの奥さん」という肩書で呼ばれる。インターネットでエゴサーチをすれば、すぐに身元や経歴が分かってしまう。これでは新たな恋に踏み出せない。自分を見る他人の目が、全て夫を経由して品定めする悪意にも思えてきた。  舞い落ちる雪が、彼女の髪や肩を濡らしていく。  たまに弱い風が吹いて、涙で熱くなった彼女の頬を冷ましていく。  そんな結婚生活、嫌ならやめちゃえよ、と俺は言った。どれだけその男にステータスがあろうとも、妻にそんな思いをさせること自体が腹立たしかったのだ。  けれども彼女は、小さく、無理なんです、と言った。夫と結婚したことによる実家への恩恵は想像以上で、姻戚を解消することは難しい。特に彼女の母は、お偉い旦那を持てばそのぐらいの苦労は屁でもないのよ、だいたいあなたは──、などと(なじ)ってくると言う。  今すぐに夫が死んでくれたら、自由な翼を得られるのに、その夫は健康マニアで百歳まで生きると豪語しているらしかった。そうなったらあと四十年以上は(がん)()(がら)めだ。介護という単語もちらついている。愛のない夫に尽くすことは、彼女にはできない。
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