27人が本棚に入れています
本棚に追加
《虚栄》
『虚栄』という言葉を辞書で調べると、
「1、実質の伴わないうわべだけの栄誉。2、外見を飾って、自分を実質以上に見せようとすること。みえ。」とある。
俺の知らない世界は確実に存在しており、本来大切な人ですらその道具とみなす連中がいることは理解っているつもりだ。だが、それを悪だと決めてかかることはできなかった。あるいは彼らが求められているがゆえに、双方両得である場合もあるからだ。
先月の、あの雪の日、俺は彼女に出会い、話を聞いて、そういう人種も世の中にはいるのだと、一応は肯いた。そして人生について深く考え、俺には縁遠いはずの伴侶についても考えた。
結婚とは、二人が同じ方向に向かって共に歩むものだと思っていた。どちらかが告白し、交際を始め、絆を深めて、一緒に暮らす。互いの良い部分や、または嫌な部分を見せ合いながら、様々な苦難や挫折を乗り越え、年老いたときに手を繋いで歩くような関係になればいい。そんな風に思い、なんとなしの憧れも抱いていた。
政略結婚や契約結婚は、ドラマや小説の中だけの話だと鼻で笑っていた。自由恋愛が認められる現代において、意にそぐわない相手と生活をし、時には肉体関係を結ぶなんて信じたくなかった。
だが、彼女──須藤汐美は、俺が認めたくなかった現実を突きつけてきた。ぽろぽろと涙を流しながら、虚栄の裏側にある女の欲をも描きだした。
「私は、トロフィーワイフなんです。彼には私への愛情なんて何もなかった」
トロフィーワイフ。
男にとって勲章のような妻。
社会的成功を収めた男が、皆に自慢するためだけの妻。
それは若く、美しく、知性に秀で、礼儀作法を身につけた完璧な女であることが条件だと言う。いわば高嶺の花的な女を、己の地位や年収などで娶るのだ。周囲が羨めば羨むほど、男は鼻が高くなる。代わりに妻はハイレベルな生活を享受できる。そこに愛は必要なく、双方にとってその時に必要なものを与え合う。若さ、肉体、金、そして名誉。彼らにとっては、その生活を維持することが絶対的ベースであり、自分を大きく見せるツールでもある。互いを利用し、我が世の春を得て、渇き切った本当の愛を他に求めるのだそうだ。
俺には、それが幸せだとは到底思えなかった。
実質の伴わないうわべだけの栄誉。外見を飾って、自分を実質以上に見せようとする行為。一度きりの人生を、ニセモノで過ごす意味などは、全くもって理解できなかった。
須藤汐美は、自ら進んでトロフィーワイフの道を選んだと言った。金に困る人生は送りたくない。自分をいじめた同級生たちを見返してやりたい。そのためにハイスペックな男を探し、駆け引きを駆使して妻の座を獲得した、と言っていた。夫は自らの唯一の欠点を未婚であることと自認していた。日本屈指の大企業の役員名簿に名を連ねる彼は、周囲に自慢できる妻を欲していた。須藤汐美はそこを見抜き、鍛え上げられた美貌を武器に彼の懐に飛び込んだ。欲と欲が惹き合い結ばれたのは、ある意味で自然の法則だったそうだ。
俺は彼女の夫の名前を聞いていない。須藤汐美は夫のことを、「彼」とか「あの人」とかの代名詞でしか呼んでいなかった。話の内容から察するに、彼女は夫の名などに興味がなかったのだろう。役職と苗字さえ知っていれば、自分を高みに置いておける。彼女が求めていたのはその一点に過ぎなかったのかも知れない。
最初のコメントを投稿しよう!