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薄暗く、それなりに整理されたオフィスには、私のキーボードを叩く音だけが鳴り響く。
それでも時刻は夜の八時を回った頃くらいだから、そこまで夜遅いわけではない。
けれどとっくに、定時である五時からは三時間も過ぎているわけだから、もうこの場所には私以外、誰も居ない。
「おや、まだ残って居たんですか、愛原さん」
訂正しよう、私の上司であるこの人だけは、まだ居る。
「お疲れ様です、寺岡さんも、残業ですか?」
「えぇ、この間担当した顧客のリストを整理しなくてはいけないので、今日はもう、泊まり確定です」
「そうですか...私もです」
そう言いながら、三時間前と比べて半分くらいしか進んでいない、自分のディスプレイにも映し出されている顧客リストを見て、一つ大きなため息を吐く。
これでも上司である寺岡さんが担当している数よりは、まだまだ少ない方だ。
あともう二時間か三時間位かな...
あぁでも、そのあとに定例報告用で資料を作らなければいけないから、私も
今日は泊まりか...
そう思うと、何だか集中力が切れてきた...
しかしそんな私に、上司である寺岡さんは声を掛ける。
「愛原さん、なんだかお疲れのようですね」
そう言って寺岡さんは私を見ながら、黒縁の眼鏡の奥を、和やかな表情にさせている。
その表情を見ていると、田舎に居る父親を思い出す。
そしてそうなると、私は相手が上司だということを忘れて、愚痴に似た様な言葉で物事を言ってしまうのだ。
「寺岡さんはこの仕事って、正直どう思いますか...?」
「どうと言いますと?」
「だって...『愛情』をレンタルするなんて、未だに私はどうかと思うんです。そんなの、本来は人それぞれである筈じゃないですか...」
そう言いながら、私は私が進めている顧客リストを眺める。
この書類に書かれている人達は皆、『愛情』というモノを借りるために、ウチの会社に訪れた人達だ。
近年、『愛情』というモノが数値として可視化されるようになって、しかもそれを人から人へ移す技術が開発されて、しかもその技術はここ数年で、目覚ましい程の発展をして、ついにはこういった『愛情』のレンタル業者なんかも出来上がってしまった。
そしてそんな今の世の中、こういった業者を必要としている人達がたくさん居るのだ。
しかしそんな世の中のおかげで、私のような人間でも就職先があるわけで...
けれどそれでも、私は今でも、私のこの仕事に対して、不信感を拭えずに居るのだ。
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