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「よう、ヴィクトル。助かったよ。まさか貧民街に、あんな反体制的な空間が残っていたとは、驚きだったよ」
それから数日後、またも昼休みにフェリクスが俺の課にやってきた。ことの顛末を報告しようとの魂胆だと俺は瞬時に悟り、食事の手を止め、手を振った。
「俺はもうあの件には、関係ないんだ。ほっといてもらえないか」
「いいや、お前の証言のおかげで、貧民街に潜んでた元上流階級の屑どもを摘発できたよ。貴重なエネルギーをあんなお花畑のために無駄使いしやがって。栄光の時代に縋り付くにもほどがある。あのアンナとやらも捕縛した。礼を言うよ」
俺は顔を顰めた。そしてただ一言、短く尋ねるだけに留めた。
「アンナはどうなる」
「ああ、どうやら、彼女は元上流階級のお嬢様だったようだがね、尋問したところ、独立戦争付近の記憶がすっぽり消えているんだ。それで、脳を調べてみたんだが、ロボトミー手術の痕跡があるね。きっと意図的にその付近の記憶を消されたんだろう。おそらく彼女の親が、彼女に悲惨な記憶を残さないために闇医者を雇って手を下したんだろうな。でも手術の出来もそうよろしくなかったらしく、彼女の記憶も脳の成長も、おめでたいことに少女時代のままさ。まったくもって、頭の中までお花畑だとは、哀れだな」
フェリクスの得意げなその言葉に、ともすれば翳りそうになる表情をなんとか保ちながら、俺は、こう受け流すのが精一杯だった。
「頭の中までお花畑、か。上手いこと言うじゃないか」
「まあな。ともあれ、彼女は周囲に害は与えそうにないから、施設に送って余生を過ごしてもらうことにしたよ。だけど身体は頑丈そうだから、そこそこ長生きするんじゃないか?」
それだけ言うとフェリクスは満足そうにひとつ頷き、陽気に笑う。
「とにかく、ありがとう。ヴィクトル、今度、なにか奢るよ」
「そりゃ、ありがとよ」
そう言いながら、俺は食べ終わったサンドイッチの紙をくるくると丸めて投げる。
義手にしては上出来なことに、投げた紙くずは、まっすぐに弧を描いて、ぼとり、とダストボックスに吸い込まれていった。
(了)
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