最後の庭師と永遠の少女

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 R居住区は、このコロニーでは最貧民の人間が住む地区である。俺は仕事で、この種の地区をたびたび訪れたことがある。だから、そう気負ずR居住区に足を踏み入れる気になったわけだったが、いざ訪れてみれば、そこの荒廃ぶりは、想像以上だった。なるほど、市の職員もめったに訪れないといわれる居住区であるだけはある。  まず、俺がR居住区に着いたのはコロニーの夜時間、だいたい19時にあたる時分だったが、この時間なら、まず、どんな居住区でもまだ店が開き、通りには煌々と灯が点っているものだ。だというのに、このR居住区ときたら、通りは真っ暗、建物内を照らす明かりもまばらな有り様だ。そこで俺は、そういえば、ここのところの失業率の上昇で、貧民街では電気料金の滞納による停電も珍しくないという世情を思い出す。そして当然ながら、人通りは殆ど無い。不気味な沈黙と暗闇が区全体を支配している。  俺は安易な出来心で、このアンナ・アグーチナとやらを訪ねてみよう、と思ったことを早々と後悔して、そこに留まるのもそこそこに、R居住区に背を向けようとした。  だが、そのとき、なにかの甘い匂いが、俺の鼻をついた。それは、どこか、遠い記憶を呼び覚ます強い香りだった。  そう、それは、まるでなにかの花のような……。  ――花? まさか。このコロニーのなかで植物が生息しているのは、限られた地区の公共の公園だけのはずだぞ?  そう思いながらも、俺の足はその匂いにつられるように、再びR居住区内に向かっていく。そしてR居住区内の暗闇でもそれはまるで、後から考えればのようにはっきりと俺の嗅覚に刺さり、足をその方向に進ませた。俺は、暗闇の中を、路傍の凹凸に足を取られながらではあるが、その香しい匂いを追うように、ゆっくり、ゆっくり、と進んでいった。そして、10分ほど彷徨い歩き、行き着いたある路地に、懐かしい匂いが充満していることを探り当てた。  俺は、近くの建物から漏れる仄かな明かりで、その路地の名を確かめようと試みた。やがて、朧気なひかりのなかに、薄汚れた標識が浮かぶ。目を凝らせば「トゥヴェルスカヤ通り」とそこには記されている。
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