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とはいっても、その私立校でさえ、子供たちの直接の触れ合いは、もちろんできない。ただ、一人ひとりに、空気清浄機付きのガラスばりのブースが設けられていて、教室で集まって授業が受けられるというだけの代物だ。
だから、同じ教室にいても、友達同士の会話はモニターを通すのだが、それでも、近くに、友達の存在を感じながら、同じ教室内で会話するのと、それぞれが自宅にいて、完全にオンラインで、モニター内に映る、映像の友達と会話をするのとでは、全く、異なっていた。教室では、大抵は、隣同士や前後同志で会話するのだから、ガラスはあっても、生身の友達がそこに居る感覚は、何物にも代え難かった。
多感な成長期に、仲間を知って育つか、仲間を知らずに育つかで、子供たちの感性は少しずつ違って行き、大人になった時には、大きな差となって来るに違いない。仲間と子犬のようにじゃれ合って成長した経験を持つ、親世代には、それがわかるから、経済的に無理をしてでも我が子を私立に入れたがった。しかし、それにしても、私立で学生時代を過ごせるのは、多くの子供たちの中の一握りだった。
放課後の活動にしてもそうだ。やれピアノだ、ヴァイオリンだと言っても、オンラインのみで学ぶのと、設備が整った教室で学ぶのとでは大違いだった。お金を出せば、ガラスに仕切られていたり、エアカーテンで仕切られていたりと、安全性の高い教室で学ぶことができた。そう。お金さえあれば、良質な学びのチャンスが与えられる。しかし、お金が無ければ質は落ちるということになる。
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