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この世には不思議に思うような出来事が多々起きる。
幽霊など化学では証明することができず霊感といった特殊な能力を持つ者にしか見えない存在をふと目にしたり、身近なことであれば一日行動しているなかで、今している行動にデジャブを感じたりと誰もが一度は経験するだろう。
今から綴るこの物語はそれと似たような出来事(人生)の断片に過ぎない。
これはとある一人の男――家庭を持つもどことなく毎日退屈そうに暮し、夫婦関係も冷め、娘からも相手にされず絶望する〝酒井博也〟の物語。
あなたに大切な人はいますか?
もしそのような人がいるなら、生まれ変わってでも側にいたいと願いますか?
それとも自分の未来を変えるため、今まで大切な人と過ごしてきた時間を白紙に戻しますか?
その選択の先が希望という光であろうと、絶望という暗闇であろうと、決して後悔だけはしないように…………。
酒井博也の人生の歯車が狂いだしたのは、娘の〝楓〟が生まれ、妻である〝未来〟と子育てについて揉めてからだった。
博也は子育て程度で揉めるなど時間の無駄だと思っており、妻である未来の話を一切聞こうとしなかった。
友人なんかと遊ぶくらいなら将来のことを考え学勉に励ました方がいい、と博也は考えていたのだ。
この考え方は、博也の過去に結びついての考え方だったのだ。
博也は小学生、中学生と勉強というものが大嫌いだった。
それもあってか、テストなどの点数は非常に悪く、クラスメイトからもいじめられる日々を味わっていたのだ。
もちろん勉強すればテストの点数も良くなり、いじめに関しても収まっていたかもしれない。
そんな過去があり、博也は楓に同じような目に合って欲しくないと思い、こういう考えに至ったのだ。
だが、未来の考えは違った。
子供は勉強より友人と外で遊ばせた方がいい、という考え方だった。
そんな二人の意見の相違もあり、家庭内は日々ギクシャクしている。
その関係性がおよそ八年ほど続き、今に至る。
博也は朝目が覚めると寝巻のまま洗面所で顔を洗い、未来が作った朝食を摂り、再び自室に戻っては鏡の前でビシッとした堅苦しいグレーのスーツに袖を通す。
世間的には、仕事に行く前には愛する妻に抱擁したり、頬にキスをしたりするが、博也と未来の夫婦間は冷め切っているため、博也は無言で自宅を後にする。
外に出ると近年まれに見る猛吹雪で視界が真っ白で何も見えない。
自宅から会社まではかなり離れており、到底徒歩で出社できる距離ではない。
そんな博也は肩をすくめながらぼやく。
「はぁ、最悪だな。徒歩で行けってか? ホント世の中って理不尽だよな。未来との距離もさらに空いた気がするし、楓は俺のこと『臭いし汚いから近寄ってくんな』だの、一緒に出掛けても『ジジイと一緒にいるの友達に見られたくないから離れて』なんて実の親に言うことか! はぁ、会社との距離もかなりあるしなぁ。何もかもが遠く感じるなぁ」
博也はこの吹雪のなか傘も差さずに歩くのは危険だと判断し、玄関の扉を開け傘を取ろうとすると、
「あなた……まだいたの? 仕事は?」
玄関には未来の姿があり、腕を組み、すごい剣幕で博也を見つめている。
「いや、その……外が吹雪だから傘を持っていこうと」
「そう、なら早く持っていって。私も忙しいから」
「……は、はい…………」
未来はため息をつきながら、博也の前から姿を消した。
博也も玄関の傘を取り、再び自宅を後にする。
外に出ると吹雪の音と未来が掃除でもしているのだろうか? 家の外まで掃除機の音が漏れ出ている。
博也は傘を差し、ゆっくりと駅に向かって歩き始める。
「こんな天気じゃ仕方ないな。久しぶりに電車にでも乗って会社に行くか」
低い体勢で傘を前に構え、ゆっくりと歩き進めると、駅の近くにある大きな交差点に辿り着いた。
そんな交差点で信号が赤から青になるのを博也はひたすら待ち続ける。
相変わらず吹雪も強く、おまけに気温も低いため、指先から冷え身体全体の熱が奪われていくようだった。
そんな時、事件は起きた。
目の前でトラックがスリップし横転するという大規模な事故が起きたのだ。
その横転によって次々と交差点の車が巻き込まれ、何台もの車が廃車となるぐらいにまで凹み、さらにはエンジンの当たりからモクモクと 黒い煙が上がり、ガソリンまで漏れ出ている。
こんな悲惨な光景を目にし、博也の周りにいる人達は口を手で覆い驚いた表情を見せている。
だが博也はすぐに事故現場に駆け寄り、車の下敷きになった人達を救助するため、車を持ち上げようとするもびくともしない。
一人では無理だと悟った博也は路上にいる人達に助けを求めた。
ある者は消防署や警察に連絡を取り、またある者は博也のもとまで駆けつけ車を持ち上げようと力を振り絞る。
こんな凍えるほど寒いなかでも、額から汗が流れ落ちる。
この汗こそが博也が必死になって人を助けようとしている証。
そんな救助している最中、路上にいる一人の男が声を上げた。
「爆発するぞおおおぉぉおおお‼」
博也は何台もの車からガソリンが漏れ出ていることは知っていたが、避難しようともせず救助の手を緩めようとはしない。
そしてとある青い車から子供の泣く声が聞こえると、博也は全力でその車まで走って向かう。
この時、博也の頭の中に浮かんだのは楓の姿だった。
最悪タイムリミットがきたとしても子供だけでも救わなければ、そんな正義感から博也の身体は勝手に動く。
幸いなことに子供にケガはない。
おそらくこの子供の両親であろう男性と女性は運転席と助手席で頭部から血を流している。
脈を測るため首元に指を当てるが……とうに亡くなっていた。
泣き叫ぶ子供を博也は無理矢理車から引きずりだし抱きかかえた。
その瞬間、大きな爆発音が辺りに鳴り響き、次々と車に炎の魔の手が迫る。
「おい‼ 兄ちゃん急げ‼」
路上にいる人達の声が博也の耳に入る。
どうしても子供を抱きかかえながらでは全力で走れない。
なら子供だけでも、と博也は抱えていた子供を降ろして路上まで走るように説得する。
「いいかい。お兄さんと手を振ってるあの人達の所までかけっこしようか」
「う……うん」
「なら、行くぞ。よーいどん」
子供は路上まで必死に走る。
そんな子供の背中を見ながら博也は囁くような声で呟いた。
「ごめんな。未来それに楓。こんな情けない父さんで…………こんなことになるならもっと……」
博也は今の家族との関係に後悔していたのだ。
そして博也は大きな爆発と共に消え去った。
身体が軽く宙に浮いているような感覚。
そんな感覚に博也は不思議に思っていた。
子供を助け、爆発に巻き込まれ、自分は死んだはずなのに、と。
死者が目を開けるという行為自体できる訳がない。
そもそもこんな考察ができている時点で生きている証拠。
博也は恐る恐る目を開けた。
しかし目の前に広がっていた光景は博也にとっては見知らぬ場所。
何かの雑誌で目にしたこともなければ、一度も訪れたことはない。
辺りは木々に囲まれており、山なのかそれとも森なのかすらわからない。
「ここは……どこだ?」
ここがどこであろうが、その場に留まっていても仕方ない。
博也は生い茂る草や小枝を掻き分けながら出口があると信じて進んで行く。
だが辿り着いたのは小さな社。
見るからにかなり古い、そしてその社には植物のつるが張り巡らされ、豪雨や暴風といった自然災害が起これば秒で崩壊するだろう。
博也は少しずつその社に手を伸ばす。
すると、瞬く間に辺りが光に包まれていく。
「お主、何用でここに訪れたのじゃ」
どこからともなく辺りに響く女性の声。
「えっと、爆発に巻き込まれて気づいたらここに……」
「ほう、不思議なもんじゃ。お主良い行いをしたのじゃな」
「確かに人助けはしたけど、みんなやってることだろ」
「いやいや、そんなことはないのじゃ。人間という生き物は私利私欲のためなら、大切な人であろうと蹴落とす生き物だからの。――っで、お主の願いはなんじゃ?」
「願いとは……? 意味がわからないんだが」
「お主は良い行いをした。だから褒美を与えるのは当然のことなのじゃ」
「うーん、そうだな。じゃあ、現実の世界に返してくれないか?」
「それは無理じゃ。お主の身体はバラバラじゃ。おまけに死んでおる」
「やっぱりそうなのか…………」
博也はショックで肩を落とした。
状況的には察しはついていたものの、実際そう言われると悲しい。
妻の未来や娘の楓とも顔を合わせる機会が一生ないと感じているからだ。
そんな博也の気持ちを察してか、
「お主の家族がお主に対してどのような感情を抱いていたのかを知ることは可能じゃ」
「ならそれで……結果は見えているけど」
博也は未来や楓が自分のことを良く思っていないことは知っていた。
特に叶えたい願いもないので、彼女が言うままに了承したのだ。
「早速始めるのじゃ。お主目を瞑っておれ」
博也は言われるままゆっくりと目を閉じた。
「いつまで瞑ってれば?」
「もう良いのじゃ」
目を開けると――そこは博也が通っていた大学。
そして目の前には、九年前の自分の姿と未来の姿があった。
博也は懐かしく感じると共に目から涙が溢れてくる。
「ははっ、懐かしいな。未来との出会いは大学の広場だったな」
「綺麗な女子じゃな」
「そうだろ。未来は今も昔も変わらず綺麗なんだよ」
「こんな風景ずっと見ていても暇じゃな。次に行くかの」
次に見せられた光景はサークルの飲み会での出来事。
この飲み会で博也は未来に告白し、了承を得て付き合うことになった。
「おっ! 告白するようじゃぞ」
謎の女性がそう言うと、博也は身体をモジモジさせている。
「み、みみ、高部さん! どうか僕とお、おおお、おちゅきあいを」
この情けない告白を自分の目で確かめた博也は顔を伏せ溜息をついた。
妻の未来のもともとの旧姓は高部未来。博也と結婚したことによって酒井未来となったのだ。
「お主可愛い告白じゃの。だがあの女子(おなご)も満更でもないようじゃ」
「そうなのか?」
「ほれ、よく見るのじゃ」
博也は驚きを隠せなかった。
あの瞬間、告白することに一杯一杯でまともに未来の顔を見ていなかったからだ。
「なら次の場面にいくのじゃ」
次の光景は、二人の間に楓が誕生した日。
病院で優しく楓を抱きかかえる未来の姿とそれを見守る博也の姿。
未来は本当に嬉しそうな表情をしている。
「ねぇ、あなた。この子を大切に育てましょうね」
「ああ、俺と未来の間に生まれたんだ。必ず元気に育ってくれるよ」
博也はこの懐かしい光景に再び涙する。
大切な人との間に生まれた子供。
楓が反抗期であろうと、もっとちゃんと接していれば……こんな思いが博也の心を突き動かす。
「お主が病室から離れていくのじゃ」
「ああ、これは……そうだ。飲み物を買いに行った時だな」
ここからは博也の知らない光景。
未来が楓に何か呟いている。
「あなたはお父さんのような優しい人間になるのよ。お母さんがね、お父さんを好きになった理由は、お母さんが誰一人友達がいない時にお父さんが話しかけてくれたことがきっかけなのよ。お母さんね、気の強い性格だからみんなが離れていってね、そんな悲しんでた時にお父さんが照れながら話かけてくれたのよ。今のあなたに言ってもわかんないか。えへへ!」
博也はこの言葉、その光景を見て未来と結婚して良かったと実感するのだった。
「次じゃ」
「…………この光景は」
「そうじゃ。お主が死んだ今朝じゃ」
その光景は博也が傘を取りに玄関の扉を開ける時のこと。
博也が扉を開ける前、未来が傘を玄関に置く姿。
未来は外の吹雪の様子を知り、傘をこっそり玄関に置いていたのだ。
博也は夫婦関係にかなり亀裂が入っていると思っていたが、そうでもなかったようだ。
そもそも博也のことを嫌いならば、未来はこのような行動は取らないだろう。
夫婦関係とはそんなものだ。
一緒に暮す年数が長ければ長いほど愛情は徐々に薄れていく。
若い頃は恋人同士として、はたまた異性として心臓がドキドキすることもあるだろうが、一緒に暮すということは、お互い隣にいて当たり前になる。
その当たり前に感じた時から好きな異性ではなく、友人に近い関係性になっていくのだ。
そこに子供が生まれることで、お互いの守るべき者ができ、やがて家族と言う形となって絆を紡んでいくのだ。
博也は謎の女性に尋ねた。
「俺はこれからどうなるんだ?」
「そうじゃの。生まれ変わるのはどうじゃ?」
「でも、それってなんか抵抗あるな」
「あ! そうじゃ! お主、あの女子(おなご)の子供になるかの?」
「そ、そんなことできるのか?」
「もちろんなのじゃ。子供になればいつまでも側に――」
「よろしく頼む」
博也は謎の女性に深々と頭を下げた。
「最後にお主……良き人生にするのじゃぞ。妾の分も楽しく生きるのじゃ」
「それってどういう――」
博也の言葉は遮られ、そのままどこかへ飛ばされた。
ある病室での出来事。
「なあ、未来。赤ちゃん大人しくないか?」
「そんなことないわよ。大人しいのは博也に似ているだけよ」
「そうかな~。なら、いいんだけど」
「――っで、この子の名前どうする?」
「楓なんていいんじゃないか? 木も風も自然だろ? だから自然にすくすくと成長してほしいという意味で! どうだ? いいだろ?」
「まあ、博也にしては及第点ってとこかしら」
この日、楓と名付けられた子供が博也と未来の間に誕生した。
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