16.天使さえいればいい

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16.天使さえいればいい

 放課後の帰り道。健太郎は最愛の恋人、綾乃と下校していた。 「──と、あいつはそんな奴でね。僕ならもっと上手くやれていたと思うのに、なんでそれができないんだろうなぁ」 「そうなんですか、健太郎くんはすごいですね」  語っていたのは中学のエピソード。健太郎は元同級生を「だからあいつはダメなんだよ」と断じながら、「僕を選んでくれていればもっと上手くできたはずなのに」と力説した。  健太郎の話を笑顔で聞いてくれる綾乃。そんな聞き上手な彼女のおかげで、彼はますます気分良く話ができた。   ※ ※ ※  健太郎は幼馴染の千夏以外で、女子と仲良く話をした経験がなかった。  いつも自信がなく、相手が異性ともなればその自信のなさがさらに顕著に表れる。そんな態度にがっかりされて、離れられるのがいつものことだった。  しかし、綾乃はその辺の女子とは違っていた。  悪質ないじめを受けて落ち込んでいる時に、優しく話しかけてくれた。要領の得ない言葉を吐き出すばかりだったのに、がっかりすることなく相槌を打ちながら聞いてくれた。  綾乃の包容力を感じさせる対応に、健太郎は初めて安らかな気持ちになった気さえした。 「私でよろしければいつでも話を聞きますよ」  まるで天使のようだと健太郎は思った。  優しい言葉。優しい表情。何よりも美しい容姿が間近にあって、恥ずかしさと嬉しさで顔どころか心が熱くなった。 「あの、松雪さん……。ぼ、僕と付き合ってくれませんか?」  はっとした時にはもう遅い。  確かな恋心が芽生えたのは事実だ。しかしいきなり告白をするだなんて彼女を困らせてしまう。それに、自分なんかの告白を受けてくれるはずがない……。健太郎は思ったことをつい口にしてしまった自分を呪った。 「いいですよ。付き合いましょう。私、健太郎くんの話をもっと聞きたいです」  だが、天使はここにいた。  健太郎は感謝した。彼女は神がこれまでがんばってきた自分に贈ってくれた天使に違いないとさえ思った。  そして、彼女ができた日から健太郎の生活は一変する。   ※ ※ ※ 「……これまでひどいことをして悪かった。もうお前とは関わらねえから」  健太郎は自分をいじめていた連中から頭を下げられ謝罪された。  終わりがないとさえ思われたいじめ。それが唐突に終わったのだ。  最初は信じられなかった。だが、健太郎は真実を知る。 「悪かったな。俺達は頼まれてやっていただけなんだ。杉藤千夏がお前に付きまとわれて迷惑だと言っていたから。俺達は善意のつもりだったんだよ」  すべては、千夏が仕組んだことだった。  いつも口うるさい幼馴染。何かと「ちゃんとしなさい」だの「そんな風に言っちゃダメ」だの健太郎の行動を制限してくる。  家が隣で、親同士が仲良し。だから幼馴染をやってきてあげたというのに、返ってきたのがこの仕打ちか……。健太郎の心に千夏への怒りが湧いていく。  幼馴染なら味方になってくれてもいいはずだ。なのに、やっていたことは正反対だった。許せるはずがない。  ──裏切り者には、鉄槌を下さなければならない。 「綾乃、頼みがあるんだ」 「私が力になれることがあるなら言ってください。できる限りの協力は惜しみませんよ」  僕の味方は綾乃だけだ。健太郎は自分のことを想ってくれる天使に感謝し、千夏への復讐を決意した。 「もういいだろ。もう遅いんだよ千夏……だって君は、僕を裏切ったんだからね」 「そ、そんな……っ。違う……違うよ健太郎っ」  こうして健太郎は綾乃を伴って、いじめの首謀者である千夏に復讐したのだ。  今まで千夏に口答えをしなかったのは健太郎の優しさだ。そんなことにも気づかない彼女に本気を見せてやった。それだけで力関係がはっきりした。 (やれやれ。幼馴染だからって僕を甘く見たからだ。調子に乗るからそんな目に遭うんだよ)  泣き崩れる千夏を眺めていると、健太郎は自分の心が晴れていくのを感じていた。その感覚に酔いしれながら笑う。  綾乃がいれば誰にも負けない。自分の本気を思う存分発揮できる。  全能感に満足し、健太郎は幼馴染の気持ちを顧みることはなかった。   ※ ※ ※ 「じゃあ綾乃。また放課後にね」 「はい。また教室に迎えに行けばいいんですよね?」 「ああ、頼むよ」  綾乃との交際が始まってから、変わったことは千夏のこと以外でもあった。  健太郎と綾乃が付き合っている。その事実が学校中で広まり、教室での立ち位置が変わったのだ。  男子から絶対的な人気を誇る、あの松雪綾乃が恋人。その事実が、クラスで空気のように扱われていた健太郎の格を一気に上げた。  今ではクラスメイトとあいさつを交わし、雑談ができるまでになった。友人も増えている。上位グループとだって臆せず話せるだろう。  ──見せびらかした甲斐があった。  健太郎はクラスメイトに目撃させるために、あえて綾乃を自分の教室まで迎えに来させていた。それだけではなく、積極的に交際の事実を広めたりもした。  おかげで学内でも一目置かれる存在となった。何もかもが順調だ。  ……と、健太郎は思っている。 (まあ嫉妬されることも多くなったけどね。これも試練ってやつかな)  佐野将隆。まさか彼に悪質な嘘をつかれるとは健太郎も思っていなかった。  同じ中学出身の男子。上位グループに属しながらも、入学して友達作りに失敗した健太郎に話しかけてくれていた。良い人なのだと疑わなかった。 (そんな人でも嫉妬するとわからなくなるものだね。綾乃が僕と付き合っているつもりがない? 勘違いしているだけ? バカバカしい。綾乃は素直に僕の言うことを聞いてくれているじゃないか)  健太郎は将隆も下らない人間だったかと断じる。  自分に必要なのは綾乃だけだ。彼女さえいれば、すべて上手くいく。  裏切り者の幼馴染なんて、最初からいらなかったんだ。  ──そんな健太郎の思いが通じたのか、本当に千夏が手の届かないところに行ってしまったことを、彼はまだ知らない。
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