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午後7時。普通の高校生なら、帰ってきている時間だが、チャイムを鳴らしても返事はない。
「昨日の件で、学校からも話を聞かれているのかな?」
「かもしれないですね。部屋に入って待ってましょう」
「すまない。お邪魔させてもらうよ」
隣なだけあって、帰ってきたら多少の生活音は聞こえる。
監視しているようで気は引けるが、榎田に何度も足を運ばせるのは悪い。
「連絡先は交換していないんだね」
「相手は高校生ですよ? さすがに、そこまでは聞いてませんよ」
少し残念そうにする榎田に、やはり違和感を覚えた。
つい最近まで、魔法使いの監視は今よりもずっと露骨で、全てを管理している状態に近かった。例えるならば、芸能人とマネージャーのように、常に行動を共にし、出かけるだけでも監視役を通さなければいけなかった。
そんな監視役は、怪魔や場合によって魔法使いとも対峙することになるため、武道に長け対魔法装備を備えている。しかし、魔法使いの力量はピンキリであり、力の扱いに慣れておらず、知識もない子供の彼らを悪用することは容易かった。
結果、起きたのは監視役による未成熟の魔法使いに対する犯罪行為。それが、長年容認され続けた。
そんな状況を打破した功労者のひとりが、榎田だ。
「お茶入れますよ。寛いでてください」
「お構いなく」
今は、昔ほど魔法使いへの干渉が許されなくなっている。
連絡先についてもだ。あくまで本人の了承が必要であり、強要することは許されない。
なにより、桜井の監視はあくまで隣に住むことで生存確認をするというもの。一週間以上帰宅しないなどの異常事態以外は、基本無干渉のはず。
どうしようもない違和感に、冷凍庫を開く。
『真実を見通す氷です』
水晶のように透き通った氷。
昨日、試しに風呂場の落ちないカビを見たが、何も映らなかった。一回り小さくなったそれを摘まみ上げ、ドアの位置を確認する。
杞憂で済めばいい。なんだったら、この氷を見せて最近のJK文化を広めたって、榎田なら笑ってくれるだろう。
「…………」
だが、もし違ったのなら――――
「――ッ!!」
榎田の首に根を張るように寄生している怪魔は、はっきりとこちらを見ていた。
「見ィた、な……?」
玄関へ駆け出すが、襲ってきた刃の形をした触手がドアに突き刺さる。
「大人しく従っていれば、あと少しの時間は楽しく生きられたっていうのになァ゛!!」
姿を隠す気が無くなったらしい怪魔は、四つの大きな触手で桜井に襲い掛かった。
狭い部屋ならば少しは分があるかと思ったが、あくまでそれは壊さない前提の話。部屋を壊す前提なら、壁など切っ先が見えないだけの障害物。
「クッソッッ!!」
どうにか身を翻しながら、攻撃を回避するが、脱出できる玄関からは遠のくばかり。逆に、逃げ場のないベランダへ追い込まれる。
壁には向こうの部屋まで貫通していそうな深い傷。あんなのに貫かれたら、容易く死ねるだろう。だが、今のところ、掠めるだけで致命傷にはなっていない。
これも怪魔の思う壷なのだろう。
怪魔の目的は、柊だ。そして、最も警戒心無く近づけるのは、隣人である自分。
つまり、榎田から自分に乗り換え、最終的に柊に乗り移るのが目的ということだ。
一番は、ここから逃げ出せること。
最悪なのは、自分が乗っ取られ、柊に乗り移られること。
「……ははっ」
ベランダの手すりに手をやり、覚悟を決める。
「テメェの思い通りにはなるくらいなら、死んだ方がマシだわ」
「キサマッ――!!」
眼前に広がった四つの触手は、こちらを包み込むように広がり、隙間だらけ。捕まえるための先程以上に緩い攻撃。
触手の隙間を縫い、姿勢を低く、横に跳んだ。
ベランダの隔たり板を突き破り、柊の部屋側のベランダに転がると、窓を蹴る。
部屋には結界が張ってある。その言葉を今は信じるしかない。
「逃がすかァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ア゛!!」
あと少しで入れるというところで、響いた絶叫と共に突然襲う浮遊感。
落ちている。そう気が付いたのは、数秒後だった。
死ぬ前に物事がゆっくりに見えるのは本当だったのかと、妙な関心を抱きながら、あと数秒の人生にため息をつく。
「ため息をつくと幸せが逃げるらしいですよ?」
だから、鼓膜を揺らす声に正気を疑った。
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