別れの味

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 ──古代エジプト。 ここはある神殿の一室。キラキラと黄金の装飾が多く施された部屋。真ん中には4本の支柱に囲われた大きなベット。そのベッドの支柱に足の小指をぶつけた少年がいた。 「痛ったぁぁぁぁぁ!」  声を大にして叫ぶのは、エジプト新王国の第13王子、メルネ=プタハ。  8歳。髪はショートボブで色は美しいプラチナブロンド。エメラルドグリーンの瞳からは、大粒の涙が溢れていた。  そこへ、背の高い痩せ型の青年が歩いてくる。 「メルネ様は私が居ないと、まともに歩く事もできないのですか。それに、王に成る者はそう簡単に泣くものでは有りません。涙は大切な人の前でしか見せてはいけませんと、いつも言っているでしょう」  現れた彼の名はペレト=エム。20歳。メルネ王子に使える従者である。目鼻の整った顔立ちで長く黒い髪は後ろで一つにまとめている。  そんなペレトの言葉に、メルネ王子は少し怒りながら文句を言った。 「ペレトに余の痛みは、一生わからないであろう!」  しかしペレトは、メルネ王子の泣き言に表情ひとつ変えず答えた。 「はい、もちろん一生分かりません。私は貴方のようにドジでも有りませんし、足をぶつけたくらいで泣きもしませんので」  返す言葉もないメルネ王子はさらに泣き喚くのだった。  ──10年後。  王の間。紅色と黄金を基調とした美しい広間の最奥には、王座がある。少し離れた正面に2人の男が立っていた。 「おいペレト。もうすぐ父上がいらっしゃるぞ。早く余の隣に来い」  青年はメルネ=プタハ。この国の第13王子。8歳だった10年前とは違い、筋肉が付いて体格が良くなっている。声も少し低くなり、身長はペレトには及ばないものの高くなっていた。  メルネ王子に呼ばれた男はペレト=エム。相変わらず容姿端麗で10年前と全く変わっていない。 「私が居なかったら何もできない、泣き虫だった人が……こんなにも立派に……あ、今も私が居なければ何もできないですけどね」 「もうペレトが居なくとも何でもできるわ!」  ペレトは、顔を赤くして怒るメルネ王子を見てニコニコと笑う。 「そんなことより! 今日は王様から直々の呼び出しですし、もしかしたら次期王へ任命される、みたいな事も有るかも知れませんね!」 ペレトとメルネ王子がたわいもない話をしていると、突如声が聞こえてくる。 「王の御成─―!」  大きな声とともに、王座の傍から体格のいい男が歩いてきた。 四十代後半くらいであろうその男は、黄金の装飾具に身を包んでいた。メルネ王子とペレトは瞬時に跪く。 そして男は王座に座り口を開いた。 「メルネ、お前は王子としてとても立派に育った。故に此度の戦は、メルネに先陣を切って貰いたい。戦果を上げれば、次期王に一歩近づく」 それは、メルネ王子にとって、死刑宣告のようなものだった。 「王様!」  王の決定に対し、異を唱えたのはメルネ王子──ではなく、従者のペレトだった。 「先陣を切るのは、あまりにも早くありませんか。メルネ王子はまだ戦場に出たことが有りません。初めは後方からの参加で経験を積んでからでも……」 「いえ、私に先陣を切らせてください」  メルネ王子が、取り乱したペレトを右手で制す。 「必ずや戦果を上げ、父上のお役に立って見せましょう」 「メ、メルネ様……」  淡々と話すメルネ王子の姿を見て、ペレトは己の愚行を恥じた。  ──私はなんて事を……。王の言葉に口を挟むだけではなく、メルネ様にはまだ早いと、間接的に己の主人をも侮辱してしまった……。  ペレトはせめてもの償いに、次の戦争で大きな戦果を上げる事を誓うのだった。  ──開戦当日。  広大な砂漠に、沢山の兵士たちが集まる中、その先頭にはチャリオット(二頭の馬に引かれた二輪車)が並んでいた。その馬車には、それぞれ長い槍を持ったメルネ王子とペレトが乗っている。 「メルネ様」 何かを覚悟したペレトが、メルネ王子に声をかけた。 「私に敵の大将を討つ機会をお与えください。そして私がメルネ王子の部隊として、一番に敵陣へ攻め込む事をお許しください」  ──主人は絶対に死なせない。私が敵大将を討ち、この戦争を終わらせる。  そう誓うペレトに対し、メルネ王子は唇を強く噛みしめて言った。 「ペレト……。お前に、先陣を切る役目を命ずる……」 「はっ!」  ペレトは配置に着くため、チャリオットの馬を走らせる。  メルネ王子は後ろ姿を悲しそうに見つめながら、ボソッと声を漏らす。 「……すまない」  メルネ王子の言葉が、ペレトに届くことは無かった。  すぐに戦争は始まった。  ペレトは開戦と同時に声を張り上げ、敵陣に突っ込んだ。 「我が名はペレト=エム! エジプト新王国次期王、メルネ=プタハ様に仕える者! いざ参る!」  ──主人は私が守る!  多くの敵を薙ぎ払い前進するペレトは、鬼神のごとく凄まじい。  力強く先陣を切るペレトに、兵士の指揮も高まる。兵士達もまた、声をあげて突撃した。 「うぉーー!」  ペレトは敵を槍で斬り殺し、さらに前進していく。 と、その時、敵陣の奥から猛烈な勢いで突き進んでくるチャリオットがいた。  ──あのチャリオット……。装飾が他とまるで違う。  ペレトはそのチャリオットを注視した。  馬が鎧を身に纏い、馬の頭には大きな羽根の装飾が付いている。  チャリオットの後ろに乗っている男は、頭に丸く青い冠をつけており、黄金と藍色を基調とした服装だった。歳は三十代後半くらいだろう。腕や腹部の所々露出する肌は、美しい褐色。 馬の手綱を握る腕といい、槍を握る腕といい、筋肉が場数を踏んだ強者と一目でわからせる。  そして何より、歩兵を最小限の動きでなぎ倒し、馬の走るスピードを一切変えることなく進んでくる。  ──あれが敵の大将!  ペレトは確信したと同時に、馬の手綱を強く叩く。 「進め!」  ペレトは敵大将へ向かって、一直線にチャリオットを走らせる。敵も気づいたらしく、さらにスピードを上げて真っ直ぐに向かってきた。  対峙した二人は躊躇すること無く突っ込み、一瞬にして槍を交える。 槍と槍がぶつかり合い、金属音が鳴り響く。旋回しては両者回り込み、また槍を交える。 ──槍が重い……。  敵大将の一撃一撃がペレトの腕を確実に疲労させていく。  ペレトは槍を交えるほどに、腕に力が入らなくなる。  ──流石に強い。このままでは……。   ペレトは明らかに押されていた。槍の技術は互角なものの、純粋な力の差で押し込まれる。この状況を変えるためペレトは打開策を考えていた、その時、 「お前、その独特な槍術。自己流か?まさか、平民……」  敵大将が急に話しかけてきた。ペレトは警戒するが表情には出さない。  敵大将は槍を交えながらも話を続ける。 「我が国に仕えないか? お前の実力なら、すぐにでも我の側近にしてやろう。このまま続けても勝てない事くらい、お前には分かるはずだ」  敵の誘いにペレトは戸惑ったが、悩むことなく言い放つ。 「せっかくのお誘いですが、丁重にお断りさせて頂きます」  ペレトは返答と同時に槍を大きく横に振る。敵大将は槍で攻撃をいなしながら、理解し難いといった表情で首を傾げる。 「何を断る理由がある? 先陣を切らされているお前は、捨て駒だろう」 「それが何か問題でも?」  捨て駒という事実を否定しないペレトに対し、敵大将は笑い出した。 「ふっ、ふははは! 分からないか? お前の主は、実力の有る人材を捨て駒にするような、無能と言うことだ。そんな無能な主人より、私の元で仕えた方が良いだろう」  今まで表情を一切変えなかったペレトが、突如一変した。 「主人を愚弄するな! 主人がどんな思いで私に先陣を任せたか……!」  ペレトは槍を構え直し、連撃を敵大将へ浴びせる。先程よりもペレトの槍を振る力が強く、鋭くなる。  しかし、敵大将は余裕な表情を崩さず、攻撃を槍で受け流していく。 「どんな思い? 思いで戦に勝てるのか? 何があろうと実力者を捨て駒にするようなやつは無能だ」  敵大将は激怒したペレトを更に煽った。 「取り消せ。メルネ=プタハ様はいずれこの国の王になられるお方だ」  ペレトは槍を構え直し、チャリオットを大きく旋回させ、もう一度敵へ向き直る。  両者は再び向かい合い、チャリオットの凄まじい勢いのまま突っ込んだ。  槍と槍が触れ合うその刹那、ペレトの瞳にチラリとメルネ王子の姿が映り込んだ。  幾つもの敵を薙ぎ倒しながら力強く前進している、メルネ王子の姿が。  ──もう、私が居なくとも、良いのですね……。  ペレトはそれが嬉しくもあり、少し寂しかった。  実際にはまばたきほどの出来事であったが、敵大将との一戦はペレトにとって途方も無い時間に感じられた。  そんな長い時間も、ぐぢゃりという音で現実へ戻る。 「戦いの最中に余所見とは……」  敵大将の槍が、ペレトの胸に深く突き刺さっていた。槍から真紅の雫がポタポタと伝う。 「カハッ……」  ペレトは口から大量の血を吐き出す。 「捨て駒には惜しかった。本当に残念だ」 勝利を確信した敵大将がペレトに刺した槍を引き抜こうとしたが── 「……抜けない?」  敵大将はもう一度槍を引き抜こうとするが、ペレトがその槍を自らに引き寄せることで敵大将に近づき、その腕を掴む。 「お前、まさか……!?」 「当て馬上等。捨て駒本望。主人が王になる為の捨て駒なら──主人が王に近づけると言うのなら! 私はこの命、喜んで主人に捧げる!」 「初めから相打ち狙いか!」  言い終わるや否や、ペレトは敵の腕を強く握りしめ、身動きを封じ、もう片方の手の槍で敵大将の頭を貫いた。  ──主人よ……。すみません。  ペレトはそのままチャリオットから崩れ落ちる。  ──ああ、最後にもう一度、貴方に会いたかった。会って話をしたかった。私が大将を討ち取ったと、そう伝えたかった……。 「ペレト!」  ──何処からか、主人の声がする。 メルネ王子がチャリオットから飛び降り、ペレトの元へ駆け寄る。 「すまない……。ペレト……」 駆けつけたメルネ王子は、横たわるペレトを抱き寄せる。 「メルネ様……?」 ペレトは少し驚いたものの、すぐに笑顔で話し始める。 「私、敵大将を討ち取りました。貴方の従者ペレトが討ち取ったのです! これは紛れもなく貴方の戦果。王様もきっと喜ばれる……だから……私にはもう、悔いは無いです……」  ──そう、無いはず。なのに……。なのに、この気持ちは……? 心にぽっかりと穴が空いたような……?  ペレトの唇に一滴の雫が落ちる。ペレトが目を上に向けると、メルネ王子の瞳からポロポロと涙が溢れていた。  一滴、また一滴とペレトの唇に雫が落ちていく。  ペレトは唇に垂れた雫をペロリと舐めて微笑む。 「……少し苦いですね。涙は塩辛いものと思っていたのですが」  ニコリと笑うペレトに対し、更に涙が止まらなくなるメルネ王子。 「ダメですよ。貴方はいずれ王になるお方。王たる者、人前で涙を流すものではありませんよ。それに、涙は大切な人の為に取っておいて下さいと、あれほど言ったはずです」  そう言ってペレトはメルネ王子の頬に手を当て、親指の腹で優しく涙を拭う。  メルネ王子は泣きながら、怒ったように言う。 「うる……さい! お前は、いつもそうだ……。余の気持ちも、分からずに正論ばかり……。ペレトに余の痛みは、一生分からないであろう!」  ──ああ、あの時の言葉。懐かしい言葉。ベットに足をぶつけて大泣きした、可愛らしいメルネ様。見た目は立派になられても、中身は何一つ変わっていない。  ペレトの頬は自然と綻ぶ。 「メルネ様。私は貴方に仕えることができて、幸せでした。貴方と共に過ごせて、本当に幸せでした」  ペレトは己の視界がぼやけていることに気づく。  ──主人の前では絶対に泣かないと決めていたのに……。  ペレトの瞳から堪えていた涙がこぼれ落ち、一度こぼれ落ちた涙はダムが決壊したように、どんどん流れていく。  そしてゆっくりと瞳を閉じるペレトを見て、メルネ王子は叫んだ。 「死ぬな! 命令だ! 生きろ……。生きて余のそばにいろ! お前が居なくては、余は……何も出来ぬ……! 飯も、風呂も、部屋の片付けも……。お前が居なければ、もう……生きていけない……」  ペレトの顔に沢山の涙が落ちては弾ける。 ──これほど幸福なことがあるだろうか。仕えた主人が私のために涙を流してくれている……。私の死を悲しんでくれている。それだけで……。 「……っ」  ──いや、一つだけ……一つだけ贅沢を言えるなら、私は、わたしは……  貴方と、もっと一緒に居たかった。 いつか、あなたが王になるその日、隣に居るのが私で有りたかった。  するり、と。  メルネ王子の頬に当てられたペレトの手が、地面に落ちた。
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