【Kindle Unlimited配信中✨】殺し屋の初めての殺意【サンプル】

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 ただ食事をして帰るだけ、それだけだ。白月は何度も自分にそう言い聞かせて、待ち合わせ場所に近づくほどに心を占める緊張と憂鬱をやりすごそうとしたが、無駄に終わった。  目的の駅に着いた瞬間、喧噪にまぎれて大きくため息を吐くと、人混みに押し流されるようにして電車を降りた。  改札口を通る前から、加賀井を見つけることができた。背の高さとスタイルの良さが、人混みの中でも目立っていたからだ。改札口付近の柱に気だるげにもたれて立っていたが、視線はすでに白月の姿を捉えていた。加賀井のような目立つ外見ならともかく、よく自分のような特徴といった特徴もない人間をこの人混みの中見つけられたなと感心しながら、白月は手を軽く挙げた。 「ごめん、待たせて」  と言っても、待ち合わせ時間の十分前だった。一体いつから待っていたのだろう、と思ったが、考えれば考えるほど加賀井の自分へ向けられる好意が輪郭を持ち始めそうなのであえて考えないようにした。 「いや、そんなに待ってない。用事があって少し早く着いただけだから」  加賀井が淡々と答えた。相変わらず感情のない声だった。そのせいで、その言葉が相手への気遣いなのか、ただの事実として言っているのか分からなかった。 「そっか、用事があったんだ。お疲れ様」 「それほど疲れる用事じゃない」  相槌程度の労りをばっさりと切り捨てられ、白月は苦笑しながら「そっか」と答えるしかなかった。  挨拶程度さえの会話さえこの体たらくだ。これから食事をする間のことを考えると、夜の海を延々と小舟で漕ぐような途方もなさを覚えて目眩がした。 「そういえば、店の予約ありがとう。店はここから近い?」 「ああ。歩いて十分はないと思うが、タクシーを拾おうか」 「いや、いいよ。歩こう」  慌てて手を横に振った。徒歩十分もない距離にタクシーを使うのはもったいないという気持ちもあったが、何よりこの会話の弾まない男と密室に閉じ込められることは避けたかった。彼となら、たとえ徒歩三十分の距離だとしても歩く方をとるだろう。  駅を出ると、加賀井は居酒屋が建ち並ぶ繁華街とは逆方向へ歩みを進めた。 「え? こっち?」 「ああ」
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