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運ばれてくる料理を口に入れる度に、白月は唸った。あまりのおいしさに舌だけでなく頭まで蕩けて、口を突くのは稚拙な感想ばかりだ。ありきたりな言葉しか出ない自分の語彙のなさが焦れったいし、情けない。だが、口の中に広がる美味に語彙力を奪われてしまうのだ。仕方ない。
「そうだな、うまいな」
感激する白月に反して、加賀井が返す言葉は形ばかりの同感であり、実に淡々としていた。こういった上質な味に慣れているのか、それとも味覚が麻痺しているのか、彼の表情からは何も読み取れなかった。
せっかくおいしいものを挟んで会話をしているのに、共感という一番簡単なコミュニケーションすら成り立たない。伊巻から与えられた今日のミッションのことを思うと、せっかくおいしい料理で胃が満たされたというのに、たちまち溜め息に似た重いものが胃の底に淀む。
しかし、やらなければならない。白月はメインディッシュの牛肉のフィレステーキを半分ほど食べ終えたところで、口を開いた。
「よくこんなオシャレでおいしいお店知ってるな。やっぱり彼女をよくこういう所に連れてくるのか?」
あたかも他愛もない会話のように話を切り出す。目を見て話すと白々しさが伝わってしまいそうだったので、ナイフで肉を切りながら、この質問が特に深い意味を持たない風に装った。
肉を切る加賀井の手がぴたりと止まった。つられて白月も思わずナイフの動きを止めた。視線を肉から加賀井の方へ向けると、加賀井も顔を上げこちらを見ていた。伊巻から課せられたミッションのせいで、視線がかち合うことにさえ、胃を締め付けられるような気まずさを覚えてしまう。
彼はやはり無表情で、肉を切るナイフを止めた手の方がよっぽど表情らしきものを零していたように感じた。
「あ、ごめん、もしかしてあんまり恋愛の話を訊かれるのいや?」
加賀井の顔からは何を思っているのか、その片鱗すら掴めないので、とりあえず無難に謝っておく。
加賀井は首を横に振った。
「いや、別にいやじゃない。……女をここに連れてきたことはない」
じゃあ男は? という反射的に浮かんだ質問は当然喉の奥に押し込んだ。
「そうなんだ。連れてきてあげればいいのに。絶対喜ぶよ」
「連れてくる相手はいない」
「え! 加賀井、彼女いないのか?」
白々しく目を丸くして訊き返す。加賀井は頷いた。
「ああ、いない」
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