【Kindle Unlimited配信中✨】殺し屋の初めての殺意【サンプル】

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 加賀井の気配が遠のく。それが、単に彼が自分の傍を離れただけなのか、それとも自分の意識が現実から離れていっているのか分からないまま、五感全てが酔いの充満した闇の中に呑み込まれていった。  時々、夢かうつつか判然としないことがある。深い眠りの世界に現実の感触が微かにかすめるような、あるいは現実にほんの少しだけ浮上した意識が泥のように重い夢に足を絡め取られ眠りの底へ引きずり込まれていくような、自分の意識の所在がはっきりしない感覚だ。  この時もそうだった。 「……白月」  暗闇の中でぼんやりと響いた声は、確かに加賀井のものだった。しかし今まで聞いてきた無表情な声とはまるで違った。饒舌を極めた甘さが声に溢れ返っていて、恋愛映画のラブシーンの最中に自分が誤って落っこちてしまったのではないかと錯覚するほどだった。 「白月」  シーツのさざめきとともに彼の声が近くなる。大きな男の気配が自分の上に覆い被さる。目を開けて、あるいは目の前にあるかもしれない男の体を触ってこれが現実なのか夢なのか確かめたいのに、体が言うことをきかない。耳だけが現実らしき音を勝手に拾うだけだ。  しゅるり、とネクタイが外される無駄のない動きが首元をかすめた。シャツのボタンも外され胸元がさらされる。身を強ばらせるべきことなのに、酔いと夢で鈍った頭は、服の締め付けから解放され反射的に体を弛緩させる。体が緩めば、引きずられるように頭も緩む。それが一層夢とうつつの境を曖昧に、あるいは融合させる。  じっとりと汗ばんだ手が胸元に触れる。一瞬息が詰まるが、その手が汗で薄らと湿った自分の肌とあまりにすぐに馴染んだので、緊張も違和感もまさぐる彼の手の中に溶けてしまった。胸元や肋骨、脇腹、鳩尾……。湿った足跡を残しながら体の隅々まで撫でていく。その優しさと卑猥さが混ざり合った手つきに、我知らず甘い声が漏れてしまう。寝息と大差ないくらいの微かなものだが、それでも自分に好意を抱く男の欲情を煽るには十分だったようだ。 「白月、白月白月白月……」  加賀井が熱に浮かされたような声で白月の名を延々と連ねながら、首筋や鎖骨にキスを落としはじめた。行為に一層色めいたものが濃くなる。柔らかな唇や、肌に滲む吐息の輪郭はもはや夢の範疇におさまらないほど鮮明になっているのに、意識は現実からどんどん遠のいてぼんやりとなる。
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