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夏
明日から夏休み。もう夏。
「五日間連続、無遅刻無欠席おめでとう」
「おめでとう、という言葉を使うのは大袈裟だと思う」
午前中の大雨がお昼を過ぎた時には小雨に切り替わっていた。日差しが当たる肌はぴりぴりとして痛い。
生徒玄関から学校の裏口へと足を進める。自然と足取りが軽くなっているような気がした。まだ学校に残っている人が多いからか、校舎からにぎやかな声が小さく聞こえてくる。家に帰れば、しばらく学校に行かなくてもいい。私は部活動に入っていないから、夏休み途中の登校日まで自由だ。宿題はしなきゃいけないけど。
「大袈裟ではないと思うのか。時間通りに学校に着くことのほうが少ないお前が、五日間もだぞ。あの汚い公衆便所で、母親が仕事に行くまで時間をつぶすことも減っただろう」
水たまりを避けきれず、靴下に泥水が飛び散った。紺色の靴下の一部が濃く色づく。
傘の皮肉な言い方はいちいち癪に障る。ここで言い返したところで、傘の皮肉屋精神に火を付けるだけだろう。
「俺は汚いところが好きじゃないんだ」
「私も好きじゃないよ」
昨日の放課後に母からスマホにメッセージが届いていた。
「担任の先生から遅刻する回数が多いって聞いたの。大丈夫かな。送り迎えあったほうがいいかな」
直接私に聞かないところが母らしいとなぜかそう思った。直接聞いたところで私がはぐらかすと思ったのだろうか。今更罪悪感がこみあげてきた。
去年の担任の先生は私の気持ちを察したのか、はたまたそういうことは目をつぶる人なのか、学校に遅れて来るなら遅刻するって来ないなら来ないって連絡しなさい、と個人面談の時に言っていた。
今年の担任の先生は熱血というほどでもないが「みんな一丸となって」という雰囲気を特に感じる。私の遅刻、欠席が体調不良ではないことがわかると、クラスの何が嫌なのかと聞いてきた。私は何が嫌かわからなかったから、別に嫌と感じることは何もないと答えた。担任は困ったように笑いながら、いつでも相談していいのよ、と言った。
母のメッセージに私はこう返した。
「登校中にお腹が痛くなることが時々あって途中でトイレに行くんだけど、学校でも痛くなったら嫌だから帰ることもあった。黙っていてごめんなさい。送りは大丈夫だよ」
「明日から食べる物に気を付けないとね」
母からはそう返ってきた。
その日、仕事から帰ってきた母は私に何も言わず、なにか深く聞くこともしなかった。ただ、お腹弱かったんだね、と独り言のようにつぶやいていた。
次の日の朝食から消化がいい食べ物が増えた。私がヨーグルトが好きだということを知って、母が買っていたヨーグルトはいつの間にか冷蔵庫から消えていた。
何で学校に行くことが億劫になるのか。私が知りたかった。
「今日も担任に呼び出された」
「だから、出てくるのが遅かったのか。しかし、お前が不服そうにできる理由はないだろう。担任をしている生徒がそんなんだったら、そうするのも当然だと思うが」
「そうだけどさ」
私はふくらはぎまで飛んだ泥水を指で拭う。
「口うるさく言われたくなければ、遅刻も欠席もしないことだな」
わかりきっていることだ。時間通りに学校に行ってクラスの人と話して行動して、そうしていれば周りの大人が心配することはない。私にはそれができていない。
「なんで学校が嫌なんだろう」
「そんなの俺が知ったことか。わざと遅刻や欠席をするくらいなら、もういっそぱたりと行くことをやめたほうが清々しいな」
傘は鼻で笑う。傘はどんな表情で話をしているのだろうか。
「それができたらお前はこんなに困っていないんだろうな」
「代わりに学校に通ってみてよ」
「無茶言いやがるな」
学校の裏から出るとすぐに並木道がある。私はいつもそこを通学路として使っている。本当はそこを通らずに表から出入りしたほうが近いけれど、私はこの並木道を気に入っている。木陰の中は少し涼しくて、火照った体がすうっと爽やかになる。地面に映る影の中にぽつぽつと光が差していて、私はそれをぼうっと眺めながら歩くことが好きみたいだ。
「夏休みはきっと快適だな」
「傘にもわかるの」
「お前は外に出ることを好まないだろう。学校に行くこともな」
並木道を出るとあの心地よい涼しさは一掃された。早く日陰に入りたくて、私は少し歩く速度を上げた。
「友達ってどうしたらできると思う」
「さっきから質問ばかりだな。まず、遅刻と欠席をなくしたらどうだ。あと、あの臭い公衆便所通いもな」
靴下に付いた泥水は洗濯をしたら、きれいに落ちた。
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