新しい年

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新しい年

 私が高校三年生になり初めての登校日。その日は雨が降っていたので、赤い傘を持って登校した。傘は話さなかった。  夏休み前のテストの結果が芳しくなくて、泣きそうになりながら歩いた帰り道も。秋に日本列島を直撃した台風のせいで傘が真反対にひっくり返った時も。傘は話さなかった。  高校三年生になってもクラスも担任の先生も変わらず、教室の場所と変わっただけだった。相変わらず友達はできなかった。つくろうとしなかっただけなのかもしれないけれど。クラスの子と話す機会が何度かあった。模試の席が隣だった子に話しかけられたのだ。どこが出てくるかな、なんてなんでもない話題ではあったけれど。  わざと遅刻や欠席をすることはなくなり、勉強も一、二年生の時よりも真面目に取り組んだ。おかげで担任の先生や教科担任の先生から褒められることが増えた。それでも模試を受ければ結果に納得がいかないこともあった。  母は私が送り迎えを断ってもあの日のような様子になることは一度もなかった。それでも母は私に今日はどうする、と律儀に聞いてくる。私は歩くことが好きで、並木道の下を通ることが好きだ。だから母の誘いを断ることが多かった。土砂降りの日は靴下や鞄のこと考えて乗ることもあった。  母との会話が増えた。ほとんどは勉強の話題で、たまに母から学校のことを聞かれた。不思議とだれだれと仲がいいの、なんていう質問は出てこなかった。母は私に友達がいないことを知っていたのかもしれない。担任から聞いたのかもしれない。 「いってらっしゃい」 「いってきます」  自然なやりとりだと、今は思う。  傘が話さなくなっても、私の毎日は過ぎていく。  あの時、自分はなぜ学校が嫌だったのか理由は今もわからない。今は時間通りに生徒玄関をくぐって教室に入って、自分の席に着いている。あの時はここから逃げ出したい。行きたくない。ただただそう思っていたのだと思う。この答えはいつか大人になった後にでも気づくことがあるのだろうか。  雨が降っていたら、私は赤い傘を手に取る。約十か月くらい。一年にも満たないあの傘との時間は幻だったように感じられる。  なんで私に話しかけてきたのか。他の人も実は持っている傘と話したことがあるのかもしれない。それも本当のことはわからない。わからなくてもいい、と思った。通学路を歩いている時に、傘の声が聞こえそうだと思ったことは何回もあった。傘だったらきっとこう返すだろう、そう思ったことも何回もあった。しかし、それが本当になったことは卒業まで一度もなかった。  卒業式は空を邪魔するものがなく快晴だった。卒業式終了後に、だれかれと別れを惜しむことなく私は教室を出た。クラスの人たちは友達同士で写真を取り合ったり、次いつ会うか予定を立てあったりしていた。  母が運転する車に乗りながら、この並木道を通ることもなくなるのか、と少し寂しくなった。家に帰って傘にこっそり話しかけてみたら、なにかを話してくれるかもしれないと思ったけれど、それはやめておいた。
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