0人が本棚に入れています
本棚に追加
そして春
着なれないスーツを着て、今日は大学の入学式だ。天気はあいにくの雨だけど、私は雨が嫌いじゃない。雨の匂いとか雨粒が傘に当たる音とか、それらに集中しながら歩くことが私は好きだ。
母が先に家を出て車を出している間に赤い傘を持ってパンプスに足を通す。靴擦れをしたくないからあらかじめかかとに絆創膏を貼っておいた。ストラップを締めて鞄を手に取って玄関のドアに手をかけた。その時。
「卒業おめでとう」
傘を持っている左手のほうから聞こえた声。
おもわず驚きの声が出た。懐かしいあの声だ。
「まったく相変わらず変な顔をしているな」
「卒業って遅いよ」
「あのさぼり魔がちゃんと卒業して、今はスーツを着ている」
無意識に口角が上がるのを感じる。
きっとここで傘が話さず、一生声を聞くことはなくても私は私の毎日を普通に送っていただろう。
「人生、どう転がるかわからないな」
少し話さない期間があっただけで傘は傘だな、と思った。でも、それがなにかが胸からこみあげてくるくらいに懐かしいと感じる。
「素直に入学おめでとうって言えないの」
「お前には卒業が決まった時にでも言ってやるのがお似合いじゃないか」
傘と話すことによって、私の人生になにかがプラスになって起きるとかはわからない。だけど、今こうして傘と話して歩ける道があることは私にとって特別なことなのかもしれない。
「友達ができるといいな」
「できるかな。自信ないけど」
最初のコメントを投稿しよう!