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鳴海あおいは、抄子の従妹だ。小さいころから仲が良かったと聞いている。忍と抄子が出会ったのも、忍の働く会社の秘書課に勤める鳴海が抄子を紹介してくれたおかげだ。
「無条件に信じているわけではありませんよ。調べてみればわかることです。お気持ちはわかりますが、今後、捜査の支障となることは控えてください」
「…抄子は、抄子は死んだんですよ!調べたって、もう何も」
考えるより先に口が動いた。口に出してから、これでは抄子が犯人だと思っているような言動になっているな、と自分の不甲斐なさに辟易する。
刑事は、忍の言葉にかまうことなく、大股で西条家を後にした。そんな忍を見かねたのか、探偵が忍のほうへ歩いてくる。
「あの…すみません。一つ、お伝えしたいことがあるのですが…」
「もういい!ほっといてくれ」
忍の瞳は充血していた。探偵は申し訳なさそうな声色を作りながら、一方的に話し始めた。
「鳴海さんの口元が一部分だけ、少し赤かったんです。これは何の色かな、と思っていたんですけど、西条さんの口紅の色と同じ色でした。…もしかしたら、西条さんは死に際に、鳴海さんに口づけしたのかもしれません」
「何のために?」
忍の口調がつい険しくなる。
「さあ。話を聞こうにも、死体は喋れませんから。…だから、もういいんですよ。あなたは、あなたの中の西条さんを信じてください」
そう言って、探偵は駆け足で刑事を追った。それから忍はどうすることもできず、ようやく自分がした行動が迷惑だったことに気付く。
家に帰ろう。そう思って、忍は愛車の鍵をポケットから取り出した。抄子の写真を入れたキーホルダーが外れかけていた。
それから4日後、死体となった鳴海あおいから、夾竹桃と麻酔薬の成分が検出され、ドアの細工が抄子によるものだと断定された。
抄子は被疑者死亡として書類送検されたが、どうやら不起訴になるらしい。
忍は鳴海と抄子の葬式に出席した後、数日ほど会社を休んだ。気持ちの整理は、きっとこの先いつになってもできないだろうと思いながら、忍は眠り続けた。
そして事件から8日後、久しぶりに忍は出社した。会社での忍を見る目は一変した。自分でいうのもなんだが、今までの忍を見る視線は、出世間違いなしで、さらに美人な令嬢と婚約しているという羨望からくるものであったはずだ。それは今では、殺人犯の婚約者がいた、という恐怖の視線になっている。部下が忍に書類を提出する際に手が震えていることを見て、忍は全てを悟った。
ゴシップ好きの受付の中年女性だけが、忍にやたらと話しかけてくる。
母親からも、同じような電話が来たことを思い出す。
「ニュースで見たけど、あんた、もしかして西条さんって、あの抄子さんか?」
「そうだよ」
「…なんであんな女を選んじまったかね…。
その、殺された従妹さんとは仲が悪かったんやろ?なんで、あんたは気づかんかったんよ」
「抄子と鳴海は、ずっと仲良くしてたよ」
「あの女のことを、呼び捨てにしないでよ、気持ち悪い。…あんたはなんで止められなかったん」
「…しょうがないだろ!もう何もできないんだよ!抄子は…」
「わかった、わかったよ。それじゃあ、とにかく頑張るんだよ」
母親が話し終わる前に、忍は通話を切った。
あの人がやるとは思わなかった、よく目にするフレーズだが、まさか自分が言う側になるとは思わなかった。今なら何の疑いもなく、その言葉を口にできる気がする。
あの事件から10日後、忍は会社を辞めた。在宅ワークになって、収入は以前の三分の一にも満たなくなった。カーテンを閉め、真っ暗な中でパソコンに向かう生活だ。忍の顔は、無精ひげがのび、隈ができている。抄子が死ぬ前までの影は、どこにもない。
ふと、眠る前に考えることがある。あのとき、探偵が現れなければ、あの事件は事故として処理されて、抄子は被害者だったのではないかと。忍も、婚約者が亡くなったというだけなら、まだあの会社に居続けられたのかもしれない。
鳴海との関係はどうせ、忍と結婚すれば切れていたはずだ。そもそも、鳴海と抄子は付き合っていたのだろうか。抄子と忍があのまま結婚していたなら、抄子が忍を愛さなかったことも知らずに生きていけたのかもしれない。
シャーロックホームズは、今日も鼻歌を歌いながら、現場に乗り合わせているに違いない。
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