人魚王子と運命の番

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「マーティンか。ありがとう。でももう少しだけいるよ」 「お前、バカか? 今日が何の日か忘れたわけじゃないよな?」 「忘れてないから来たんだよ。明日からは自由に来られるかも分からないし……」  声量を絞った最後の言葉が届いたかは分からない。が、マーティンは「式典には絶対に参加しろよ。でないと俺達の努力が報われねえからな」とだけ言い残して水面へと昇っていった。  マーティンの深緑色の尾ひれが見えなくなると、シエラは翻ってまた最果てを目指す。 マーティンは、人一倍競争心の強い候補生だったから、今回の結果には少なからず不満を抱えていることだろう。  それなのにわざわざ探しに来させてしまったことに、後ろめたい気持ちが芽生えた。  王子の番の座など、譲れるものなら、譲ってやりたい。ルイスの番ならシエラよりも、いつもルイスにかしずくようにしているマーティンの方がよほど適任だろう。  気づくとシエラは、不気味な雰囲気の漂う、旧シェルーザ宮の遺跡に辿り着いていた。  いつの間に、こんな遠くまで来ていたんだろう……。  古い書物をめくるようにおそるおそる遺跡の裏へ回り込むと、体よりも大きな石板が三つ、打ち棄てられるように地面に刺さっている。石板に掘られた文字には、藻がこびりついていて解読が難しい。  しかし、候補生なら何百回も聞かされるその内容は、胸の中に既に深く刻まれている。  それは、神と人魚族と人間の、歴史と契約の物語だった。
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