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それは少年の頃、故郷の宮殿で新しく王子に選ばれた若い人魚が奏でてくれた曲だった。彼の姿はまさに妖艶と呼ぶに相応しく、女の人魚が生きていれば、こんな風だったのだろうと想像させた。
王子に選ばれた者は、フェロモンによって体が一時的に女性化するため、あの甘いソプラノもきっとそのためだったのだろう。
王子ではない自分がその音色に近づけるはずなどないと思いながらも、シエラは記憶を手繰るように旋律を口ずさんだ。物悲しく古びた竪琴の音色と、よく通る澄んだ歌声が、海底にこだまして弾けていく。
「ラララ……ララ……ラ……」
その時、飛沫を立てて何かが海に侵入する音が微かに聞こえた。人魚族の耳は、水中でも問題なく会話ができるように、人間の数倍いいと言われている。
ぴたりと歌を止め、竪琴を元の位置に戻して見上げると、シエラの頭上に何かが水面を割って侵入してくるのが見えた。
その「何か」を目指し、今度は精いっぱい腕で水を掻き分けて泳ぐ。
ゆっくりとこちらに向かって落ちてくる黒い大きなかたまりが、人間だと気づいたのは、彼を受け止める数秒前のことだった。
水に広がる真っ黒な髪と、色素の強い褐色の肌。水に揺蕩う粗末な服に包まれた四肢は逞しく、おそらくこの嵐で難破した漁師であろうと想像がついた。
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