人魚王子と運命の番

8/60

55人が本棚に入れています
本棚に追加
/63ページ
ずっしりと重い男の体を抱き、尾ひれの泳力だけで何とか海を出ようとするが、潮の流れは早くなり、沖へと流されそうになった。 陸に上がれないと、人間の肺はもたない。どうか、間に合ってくれ……。 そう強く願った時、強い波が体を攫い、シエラと男は勢いよく砂浜へと放り投げられた。 「う、うぅ……」  衝撃が引き、目を開けると、引いていく波の下に、うつぶせになった男が転がっている。 空気に触れると下半身の鱗は薄くなって消え、代わりに人間と同じような足が現れる。覚束ない足取りで男を引きずり出し、波の来ない岩辺に寝かせると、シエラは隣に座りこんで男の顔を覗き込んだ。  よく見ると端正な鼻と口に手の甲を翳してみるが、息吹が感じられない。 シエラは冷静になると、昔読んだ人間の本にあった蘇生術の記憶を頼りに、男の隣で膝を立て、胸の左側を規則的に圧迫した。 依然として強い雨脚は、無数の矢のように激しく降りかかる。雨はシエラの髪を伝って海水や汗と混じり、男のなだらかな胸の上にぽとぽとと落ちていった。 一定の律動で手を動かしながら、遠い水平線に目を配ると、いつもは直線を頂く青い海が、ゆらゆらと笑うように歪みながら男が乗っていたらしき船の残骸を呑み込んでいく。 それにしても、なぜこんな大荒れの日に漁などに出たのだろう。途中で陸に上がろうとは思わなかったのだろうか。 そう疑問を抱いた時、ある不吉な考えがふっとシエラの胸をよぎった。 あの歌。さっき俺が歌った歌……。
/63ページ

最初のコメントを投稿しよう!

55人が本棚に入れています
本棚に追加