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その刹那、シエラは自分が真っ白な式典服のままであることも忘れて部屋を飛び出した。
急く気持ちを抑えて階段を駆け下りる。中庭へと続くアプローチのタイルを裸足で踏み飛ばして勢いよく扉を開けると、近くでサンフラワーシードをついばんでいた白い小鳥が一斉に宙へ飛び立った。
「ヴィンス!」
「よお、シエラ。今頃お目覚めか?」
帰ったかと思って心配した。まだここにいてくれてよかった。お前の働きぶりは気持ちがよかった。そんなことを言おうと思ったのに、口をついたのは刺の生えた小言だった。
「何してる。安静にしろと言ったはずだ!」
「何って、見ての通り。オリーブの苗を植えるのを手伝ってるんだ。朝、お前の部屋から見てたら爺さんが一人でやってたから……」
「そんなことを聞いてるんじゃない。体は大丈夫なのかと聞いてるんだ。頭を打った後は危ないんだ!」
「この通りもう何ともない。お前のおかげだ」
シエラのせいで難破したと知った後なのに、「お前のおかげ」と言い切るヴィンスが、シエラには分からなかった。
おかしそうに白い歯を見せたヴィンスは、シエラに向かって片手でひょいとオリーブの苗木を持ち上げると、得意げに眉を上げた。
それを見ていた庭師の老人が面食らったようにヴィンスとシエラを交互に見比べる。
王子の番を「お前」などと呼び、ぞんざいな物言いをする者はこの宮殿にはいない。それに、普段は物静かなシエラが声を荒らげるところなど、そうそう見られるものではない。
ヴィンスは颯爽と作業に戻ると、疲れなど厭う様子もなく動き、時に的確に指示を出す。その姿を見ていると、シエラの胸には呆れと尊敬と誇らしさが入り混じった温かい感情がじわじわと広がっていった。
人間の中には、「愛」という感情が溢れていると聞く。シエラには、その正体が何なのかまだ分からない。
でも、この人は一体、どんな風に人を愛するのだろう、とヴィンスのことを気にすると、胸がぎゅうっと狭くなるような妙な心地がする。
目の前で心底楽しそうに土や植物と向き合うヴィンスを見るうちに、シエラの足元からも、動きたいという活力が湧き出してきた。
「俺にも、手伝わせてくれないか」
勇気を出して裸足をタイルから一歩踏み出すと、庭師の老人が懇願するように言う。
「滅相もない、シエラ様は宮殿でお過ごしください。今日は日差しが強いですから」
シエラには、この庭師にとってはシエラが邪魔なのだとすぐに分かった。もしシエラが下手に作業して怪我でもしたら、その責任は彼に問われることになる。
「そうだよな。すまない。わがままを言って」
大人しく引き下がり、部屋に戻ろうとした時、ヴィンスが額を拭いながらこちらに近づいてきた。
「でも、この台車で積んでくるのは、もう一人いた方が楽だ。……それにもし面倒なことになったら、俺のせいにすればいい」
耳のいいシエラには、彼が庭師の老人に耳打ちまではっきり聞き取れていた。
ヴィンスはシエラのことを思って、上手く立ち回ってくれたのだ。ルイスの番だから丁重に扱うというわけではない、純粋な心遣いを受けたのは、本当に久しぶりだった。
「では、シエラ様。この者と、向こうにある苗を取ってきていただいていいですかな」
「もちろん。喜んでやらせてもらうよ」
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