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朝顔は、平安時代初期頃、遣唐使によって日本に伝わった。だが当時は、種を緩下剤などの薬として使用しており、それはとても高価なものだったという。だから当時は、貴重な財産であった牛と交換しなければ手に入らなかったため『牽牛子』と呼ばれていた。
そして江戸時代、朝顔は『牽牛花』と呼ばれ、牽牛が七夕の彦星を指すことから、開いた朝顔を『朝顔姫』、また一際美しく咲いた時には『彦星と織姫の逢瀬が叶った証』と言われるようになった。
その朝顔の歴史を受け、七夕の朝に赤色の朝顔が大きく美しく開いたら恋が成就するというエピソードが生まれたのである。朝顔は色によって花言葉が違い、赤は『儚く情熱的な恋』。朝に開き夕方には閉じてしまうことから、どうしても儚さは免れられないのだが、七夕の朝に咲くことにより星の力を得ればその恋は永遠のものとなる──そう、朝子はそれを信じ試したのである。
朝子という名前は今は亡き父親が、夏生まれの娘に朝顔のように美しく潔い女性になりますようにと付けてくれた名前で、そのことも朝子の背を押した。
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