あの白い雲を君は追いかけていった

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笑い声が廊下まで響いている。 「おはよ―!あんり!」 「おはよう!」 私は平静を装って答えた。 彼女の行動に腹を立てたものの何も言えない。怖さを感じていたからだ。 ここで何か言うと、私は仲間外れにされるかも。また1人になってしまうかもしれない。 「あんり、こっち来て!これ見て!宮崎君の買ってる犬だって!超かわいいよ~」 私は鞄を置くと、小走りで彼女の元へ行き携帯画面を見せてもらう。 「可愛い!ほんとだ~。いいな~」 私は笑顔を作りハイテンションを保つ。 真紀は一向に動く気配がなく、笠井さんの机に座っている。時折、大笑いしながら机の端をバンバンと叩きもしていた。 その時、教室後方から声がする。 「ちょっと!何してるの」 金子優子だ。いつも静かな彼女が怒りを露わにしている。 彼女が一目散に私たちの元へやってくると、真紀を押すようにして机から退けさせた。 「笠井さんの机でしょ。座ったら駄目だと思う!」 顔が真っ赤になり少し震えているようだった。 「えっ、何よ、びっくりした~」 真紀はわざとらしくとぼけて見せ笑っている。 「今居ないからって、そんな所に座ったら駄目だと思う」 金子優子の声が段々と小さくなる。皆の視線を浴びて苦痛を感じ始めているみたいだ。 「どうせ来てないのに…。わかったわよ」 真紀はスカートの乱れを直しつつそう言った。 「笠井さんに失礼だよ!」 彼女の頑張って出す声が痛々しい。 クラス内がシーンと静まり返っている。 「おっどうした~。皆、席について」 担任が入ってきた。私はほっと安心する。 ガヤガヤ皆が席につく中、金子優子と視線が合った。 彼女は何も言わず私の顔をただじっと見た後、自席へ戻って行った。 何よ、と彼女に苛立ってしまった。 けれど、私ははっとする。また何も出来なかった自分に猛烈に腹が立ち、自責の念に駆られた。トイレで手をごしごし洗った時と同じ感情だった。金子優子はきっと気づいていたんだ、私のずるさに。 私の学校生活は変わりなく過ぎていった。真紀とも同じクラスになり、付き合う友達も家での過ごし方も何も変化はない。 そんな中、2年に上がるクラス替えが行われた後に変化は起きた。 笠井風花が登校してきたのだ。  彼女から「ありがとう」とラインが来た日から、やり取りは全くしていなかった。 しないようにしていたというよりも、私も彼女も自然にそうしていたように思う。 ただ、私もそれなりに忙しい生活を送り彼女の事は忘れかけていた。 彼女とは違うクラスになってしまったけれど、廊下ですれ違う等の時には、目が合うと にこっと笑い合ったりしていた。 元気そうな姿に安心もしていたし、学校に通えるようになって良かったと見かけた時、嬉しくもなっていた。 ある日の下校時、私は下駄箱へ向かう途中に笠井風花を見かける。 彼女は美術室の前に立ちショーケースの中をじっと見ているようだった。 近づくと、視線の先には私の絵があった。 「笠井さん!」 私は思わず声をかける。 彼女は少し驚いた後に微笑んで言う。 「すごく良い絵だね、やっぱり。賞もらったのが当たり前なくらい」 「ありがとう!あと、家まで行った時の事だ…迷惑かなって思ったんだけど、どうしてもお礼が言いたかったんだ。笠井さんのお陰だから」 彼女は小さく首を振って言った。 「ううん。そんなことない。浅田さんが一生懸命だったからだよ」 「元気で良かった、笠井さん」 私は笑みがこぼれた。 彼女は少しの間、私の絵を見つめると 「どうしてこんな絵が描けたの?」 呟くようにそう言った。 横顔がなんだか悲しそうに見えた気がしけど、私の方に振り向くと「じゃあね!」と言って走り去っていった。 帰り道、私は彼女の言葉をずっと考えていた。 彼女はなぜ「どうしてこんな絵が絵が描けるの?」とは言わなかったんだろう。 考えすぎだろうか。私があの絵を描いた時とは別人のようになっているということ? ひとりぼっちで過ごしていた頃に良い思い出なんか無い。なぜ過去形で尋ねたんだろう。 なんだか見透かされているようで時折ギクリとなる。 私は変わったのだろうか。周りの影響を受けて? 良い変化なのか、悪い変化なのか。考えるほどわからなくなってきた。  それからは、あまり彼女に会うことは無くなっていった。 彼女への関心も薄れてきたのもあっただろう。 たまに見かけても、視線も合わなくなっていった。 時が流れ、私の日常に変化が出始めていた。 2年も終わる頃になると、受験校の話がよく出てくる。 希望校の見学に言ったり、生徒同士で情報交換をしたり。 受験勉強に追われる日々になり余裕がなくなっていった。 そんな中学校生活最後の春も終わるという頃。 担任教師が教室へ入ってくると「みんな、座ってくれ」といつもより小さな声で言い、 先生も座るとハンカチで目を押さえた。 大きなハンカチのせいで先生の顔が見えない。 周りが騒めき始めて、先生がハンカチを取ると目が真っ赤になっていた。 泣いていたことに私はやっと気づいた。 先生はゆっくり話し始める。 「今朝、笠井風花が、亡くなった」 シーンと静まり返る。私は頭が真っ白になった。 「あまりに突然の事で先生も驚いてる」 誰も言葉を発しはしない。 私は混乱し先生の言葉に追いつけない。 そのうちすすり泣く声が聞こえ始めると、私の緊張も解け始める。 泣いてもいいんだ、と思ったけれど涙が出てこない。ただ震えていた。 両手が小刻みに震えて、両手を組んで抑える。 一体なぜ?どうして………。 3年に上がったころから彼女が登校しなくなっていることはなんとなくわかってはいた。 けれど、また来るだろうくらいにしか思っていなかった。  帰り道、見上げると青空の中に一つだけ小さな雲が流れていた。 それはとてもゆっくりと流れていく。 私は立ち止まると、ただその雲をぼんやり見つめていた。  自宅へ着くと、私は一目散に自室へ向かった。 座って壁に貼ってある賞状を見つめると、机に頭を突っ伏した。 ブワッと一気に涙が溢れてきて止まらなくなってくる。 笠井風花と初めて話した時の事や、吉野山で見た彼女、私の絵を褒めてくれたこと、 怒った顔、走る姿、彼女の家を訪れた時の笑顔……走馬灯のように蘇ってきていた。  私は携帯でラインを開く。 「くるみ、元気?………私は全然元気じゃない。」 会いたいよ、くるみ。会いたいよ……。 ふと、くるみの顔が浮かんで私は久しぶりに連絡をした。  笠井風花が去った後も日常は続いていく。周りは勉強や受験校の話で溢れていった。 ただ、私は真紀たちとはあまり過ごさなくなっていた。 一緒にいると、自分に嘘をついているような自分が無くなっていく気がするようになっていたのだ。 学校に居ると、寂しくて孤独を感じることもあった。 そんな時、笠井風花のことを思い出していた。 例えば、風が強く吹いて木の葉を揺らした時、 見上げると青空に雲がのんびり流れている時、 そして自分の桜の絵を見た時。  ふと、寂しさが込み上げてきた。もっと話したかったよ…。会いたいよ。 私の中学校生活は過ぎ、桜の季節を迎えていた。 私の選んだ高校には誰も知り合いが居ない。 殻を破り生きることに憧れ、あえてそうしたのだ。 友達作りが下手になった私はまだ1人で過ごすことが多い。 けれど、自分で選んだ高校に通えることができて、それなりに充実した日々を過ごしている。  西日がまた私の背中を照りつけてくる。 夢中で絵を描いていると背後から声をかけられる。 「浅田さん、それ誰なの?」 私は振り返るとその子に言った。 「好きな子よ。私の憧れの人、かな。まだまだ完成には時間かかりそう」 「…ふ~ん」  4月の土曜日。 人も多く行き交う奈良駅前のバス停で人を待っていた。 程なくして空港からのバスが止まり彼女が笑顔で降りてきて、私に抱きついた。 くるみだ。 元気そうで安心し私は涙が出そうになる。 「久しぶり!」 彼女の髪にキラリとあの日買ったヘアピンが光る。 「お揃い!」 私は自分のヘアピンを指さし、二人で笑い合った。  くるみは今、定時制高校に通っていて楽しい学校生活を送っているようだった。  あの日、私が連絡をするとすぐに、くるみから電話が来た。 私は彼女の声を聞くと安心して、ますます涙が出てきてしまい暫らく泣きながら話をしていたけれど、くるみはただ優しく話を聞いてくれていた。 そして、私たちはまた連絡を取り合うようになっていたのだ。  私たちは駅を乗り継ぎ、吉野山へ向かう。 この時期は、乗り継ぎ駅で観光客も含め一気に人が増える。 「遠いね」と話しながらも、楽しみで苦痛を感じておらず、くるみは新しい学校生活の事も話してくれた。私がまだ仲の良い友達が出来ていないことを伝えると、「大丈夫」と明るい笑顔を見せてくれ、くるみが元気そうな事に私は嬉しくなった。  吉野に着くと私たちは走ってロープウェイに乗り込んだ。 山へ着くと、私たちは写真を撮ったり、沢山笑い合って小学生に戻った時のように感じていた。  吉野山は、桜が満開になっていた。 あの日に見た桜そのままで、私は目を閉じて思い出していた。 その時、強い風が吹く。 私は今、笠井風花が絵を描いていた場所に立っている。 彼女から見た景色を今、私の目で見ている。 満開の美しい桜と青空にゆっくり流れる雲。 そして記憶にしっかり刻み込む。 この景色と、あの日見た彼女の後ろ姿を描くために。
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