2人が本棚に入れています
本棚に追加
逃げ出して、逃げ出して、追い付かれる前に消えてしまいたくて。
辛くて。
もがれたままで。
苦しくて、嫌なのに。
それなのに、目の前に苦痛がなければ安心できなくて。
いつ。
いつ。
いつ。
いつ痛みがやってくるのか。
怯えと想像に神経を尖らせて、骨を折って。
むしろ、傷つけてほしくて。
のびのびと、体を沈める。弾力と柔軟が、腰や背中を受けとめる。
深く深く息をついた。
こんなことができるなんてと、心外な事実に飛び跳ねたくなる。
だけど、息が止まる。のんびりとしている、なのに急に不安になる。自分を見透かしてしまうような、感覚。
なんで、何もしないのだろうか。
何故、彼は僕を痛め付けないのだろうか。
不意に蘇った疑問が、牙のように襲ってくる。
彼は初めて理解できない人で、僕の僕が生きるために作り出した常識を忘れさせる人で。
本当に、何もしないのだろうか?
こんな風にのんびりさせて、影で嘲笑っているのではないのだろうか?
でも、彼は。
だけど、彼は僕をのんびりさせてくれる。ご飯もくれて、ベッドで眠らせてくれる。
しかし、なぜ、でも、なんで、だけど、どうして。
ぐるぐると現実と事実が巡る。いつも僕はずきずきとしてたのに、彼はぬくぬくさせてくれる。
でも、僕は。
だけど、僕は痛くなくちゃいけない。悲しくて、びくびくしていなくちゃいけない。
気付いて、立場をわきまえる。それで、ちょっとした自惚れを自覚する。そして、緊張が帰ってくる。
耐えきれなくなったのは、彼ではなく僕の方だった。
彼は何もしない。僕を奪ったり、殺したりしない。そんなはずはない、彼はきっと嘘をついている。それを見抜こうとする。
安心して気持ちが解されていたなと思い返す。そして、彼の作戦を推測する。
きっと息継ぎを狙い水中に引っ張るように、僕を痛くするに違いないから。
そんなことは嫌だ。
ひょっとしてなんて考えてしまった自分に恥じる。それから、万が一と思わせる彼に悲しむ。
ただ無駄に怯えていると、くたびれる。むしろ、早く傷つけてほしい。怖いのに、待っている矛盾。
そうするしかない。
もどかしさにへばる前に、決意に行動をする。
彼は眠っていない。まだ僕の気配を窺うように息を詰めている。
こんな僕でも、始めることはできる。
早くして、我慢はできるから。
震える足は頼りなくても、前には進める。そうして、彼の前に立つ。
怪訝そうに彼は起き上がって、こちらと向き合った。
さら、さらさらり。
素早く、ガウンを脱いでいく。滑る布は引っ掛からずに、体を晒していく。皮膚に夏の湿った空気が突き刺さる。
上半身、下半身。すべて、脱ぎ捨てる。
ぱさりとガウンが山になる音が聞こえる。頭から血の気が引いていく。
こんな時、僕は何を考えているのか解らなくなって、血が沸騰しそうなのを感じる。
暗闇に肢体が浮かび上がる。彼は僕を見た。
見開かれた両目が、暗がりに寂しく光る。
恐る恐る、彼は手を伸ばす。そして、戸惑うように僕の胸を触った。
揉むとか、そんな卑猥な動きではなく確認するように。肩の柔らかな曲線をたどり、鎖骨をなぞる。そして、指が離れる。彼の指が僕から剥がれ落ちる。拒絶するように、否定するように。
だから、僕は彼に抱きついた。
吐息を耳に押し付け、胸の筋肉を辿る。彼の筋肉が僕の動きを受けて震える。そのまま下腹部を撫ぜる。熱くて溶けてしまいそうな体温が、手の平に伝わる。
人間扱いなんかしないでほしくて。
祈るように懇願するように、彼に触れる。
中途半端は恐ろしくて。
今までこんなに必死になったことはないと思い出して、笑いたくなるけれど。
壊してほしくて。
最初のコメントを投稿しよう!