四日目

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 でも、もうなくなっていたから。 「十秒以内に剥かないと殺すって、言ったよな」  僕のせいで、殺された。  縋りつくように少年の手を握り締め、嗚咽する。だらだらと涙を流しても、少年は生き返らない。  代わりに、血がとまろうとする。だんだんと体温が無くなっていく肌に、死んでしまったと脳が判断しようとする。  流れ出る血はとまる。  それは、少年を殺したという事実だけを僕に残す。  少年だったものの、虚ろな瞳が僕を通過する。  剥かなかったから、剥がなかったから。  でも、もうなかったじゃないか。もう、無理だったじゃないか。  僕は指先を見る。息を飲んだのは、痛みを伴う夢のせいで。  心臓が縮まったのは、そこに爪がある現実のせいで。  僕の指先には、爪がある。だらだらと血が流れる。まだ剥いていない爪から、赤い赤い液体が溢れていく。  なのに、爪がある。  あの痛みは、苦しみは、まだ続くのかという苦悩と、どうしてなのかという疑問が脳裏でごちゃごちゃになる。  でも、あるならば、あるならば剥がなくては。まだ、まだ、まだあるのだから。  恐怖と、多分祈りのようなもので、爪を排除しようとする。それなのに、やつらが手首を捻りあげて阻害する。  どうして、なんで、こうしないと、早くしないと。 「何をしてっ――」 「わかりましたっわかりましたわかりました、はぐからはぐからはぐ」 「ちょっとっ君っ」  やつらが僕を押さえつける。首を振って、何度も振っているのに離してはくれない。 「ごめんなさい、ごめんなさい」 「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだから」 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、たすけられないよごめんなさい、はぐから、はぐから、きるのはいやなの、だからたすけてっごめんなさい」 「だいじょうぶだから。だいじょうぶだから、ほら、まわりをみて」 「やだ、もう、しんじゃわないで、いやだよ」 「おちついて、まわりをみるんだ」 「たすけて、たすけてよぉ」 「だいじょうぶだよ、おれがいるから」 「たすけて、ごめんなさい、たすけてください、ごめんなさいたすけてたすけてごめんなさい」  やつらを振り払おうと藻掻く。そして、少年を見上げる。  そこには、綺麗な金色があった。 「大丈夫だよ」と繰り返し口にしているのを聞いて。  一瞬で、現実が舞い戻る。  そして、気付くと、彼が僕を見下ろしていた。  少年はいない。やつらもいない。地下室ではない。状況が理解できずに、震える。誰も僕を押さえ付けてもいない。強く握り締めていた彼の手首を見つめて、記憶を拾い上げる。  あの場面はなんだったのだろう。  手首から指を剥がしながら、彼がいることを確かめる。  今のは、幻覚? 「血、ついてる」  指先に絡み付いた血に気付き、じっと見る。彼を見上げて、「あ」と声をあげた。  彼の腕には切り傷があった。 「ここから、ついてる」  ぼんやりと指摘しながら、まだ新しいものだと感じ取る。 「さっき風呂場で滑ったんだ」  刺されたような傷と、赤い染みのシャツ。それは、まだ新しい傷口で。 「血、流れたら死んじゃうよ」  これ以上、流れ出ないように手の平で赤を覆う。そうすると、彼が微かに笑った。 「大丈夫だよ、深くはないから」  そうっと彼が反対の手を離す。熱い痺れとともに、片方の腕の感覚が戻る。僕の手には、鋏が握られていた。彼は僕を抱き寄せると、ついでのように鋏を奪う。白く煌めいた刄に瞬いた。 「手当て、する?」  ふるふると、彼は首を振る。ふわっと僕の額に触れて、時々、困ったように眉を寄せる。 「まずは君の手当てをしようか」  彼の血液をなぞると、どうして僕を優先させるのかと首を傾げる。 「怪我、してないよ?」  彼が泣きだしそうに笑う。 「そうだね。でも、またシップとか貼らなくちゃ」  そして僕は、どこか重い目蓋に目を閉じる。床からひんやりと体が冷えていくのを感じて、フローリングに座り込んでいると知った。
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