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五日目
磨り潰す。
何度も顎を動かし、奥歯で噛み潰していく。
柔らかい感触はあっけなく唾液と混ざり細切れになる。飲み込むと、甘さが喉を震わさせる。つい頬が弛みそうになる。ここは素直に感情に引かれるべきか、耐えるべきか。
迷い、困り、惑わされ、耐えて、踏張り、固まって。
しかし容易く見破られ、彼が薄く微笑む。
それは、安心に近く喜びに似ていた。少なくとも、怒りではない。
「美味しい? ごめんね、こんなのばっかで。俺も何か作れればいいんだけどさ」
上品に彼はパンをちぎり、口の中に放り込む。
夜が明けて、僕は彼と向かい合わせに菓子パンを食べていた。
腫れた目蓋の彼がさらに目を細くする。涙袋を膨らませて、頬に笑い皺を作る。
「甘いね」
そうやって、僕が咀嚼する様子を楽しそうに見つめている。
並べられたパンを口に詰め込む。もぐもぐと隙間なく満たす。目いっぱい入れ込んだパンを噛み砕く。だから、返事はできない。
その間もパンを手にして、できるだけ早く胃に収めようとする。
「あのさ」
彼が苦く息を漏らす。手についたチョコレートを舐めとり、彼を見上げる。
「ゆっくり食べなさい」
したためられて、僕は目を丸くする。掴んだパンがビニールの中で、チョコを露出させた。
「とらないから、急がなくてもいいんだよ」
ごくんと飲み込む。手にしていたパンをテーブルに置いて、僕は頷いた。
「美味しい?」
「美味しい、甘い、初めて」
「そう。実は俺も初めてなんだよね、こういうパン」
ゆっくりと噛み砕く。甘味が舌に広がり、唇にチョコが付着する。できるだけ、遅く食していく。
それでも、彼の方が食べ終わるのは遅かった。
菓子パンの甘さが口に残る。舌で唇を舐めとり、余韻を味わう。ぺろりとすると、ほっとする。初めてだけど懐かしい。
そうやっていると、彼は自分の分のパンを半分にして僕に渡してきた。僕は首を振る。それは申し訳なさより、罪深さが勝るから。
しかしタイミングが悪かった。
ぐるぐるぐー。
情けなくも、腹が鳴る。それは彼の音ではなく、僕から出たもので。恐々と彼を窺うと、彼は笑う。そこにあるのは、また読めない笑い。嘲笑うわけでもなく、ただ愉快そう。
笑顔が場を和ませる。罰するわけでもなく空気を許していく。
それは、気持ちを軽くさせる魔法みたいで。半分のパンを受け取る流れに運ばせる。
そして僕も簡単に。
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼の表情はとても綺麗。にこにこと華やぐ。澄んだ裏のない感情は、胸にするりと染み込んでいく。やつらが楽しんでいるのは醜かったと思い出す。なのに、彼は汚泥の一雫もなく、美しい。
どうしてだろう。
残ったパンを食べる。彼のものを奪ったのに、彼はとても嬉しそう。
どうしてやつらではないのだろう。
そして彼は、僕の髪の毛をぐちゃぐちゃにする。短い繋がりで解った彼の好み。僕の髪を乱れさせる行為。
それは、悪いものではない。
正確には……。
「今日はすぐにここを出ないから、ごろごろしていよう」
「ごろごろ」
「夕方には、出るかな」
「それまで、ごろごろ」
「うん、ごろごろ」
ごろごろと転がる。
手本のように彼がベッドに足を伸ばして、寝転ぶ。
食べ終わった僕も隣で横になる。ぎゅっと抱き締められて、またころりと反転する。筋肉の弾力があったり、骨がごつんとぶつかったりする。顔を見合わせる。
どうしてなのかなと疑問を胸に遊ばせる。行ったり来たりの解答を迷わせる問い。
「どこか、行きたいところはあるかな」
そうして、彼は聞いてきた。
「どこか」
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