五日目

2/4
前へ
/26ページ
次へ
 僕は反芻する。彼は頷いた。  だけど、僕は首を振る。どこかと聞かれても、答えられる場所がない。  少しだけ考える。今まで見た景色を振り返って、行きたいところを探してみる。  どこか。  どこかに行く。  どこか。  記憶を引っ繰り返しても、どこかがどこか解らない。場所の区切りを明確にしようとして首を傾げる。  あの地下室、そして彼のいるここ。  どこへ行ってもやつらは追いかけてくる気がして。  僕がいるのは、やつらの手の平に思えた。  それから、窓を見る。ガラスが外界を区切っていた。  だけど、今、こうしている時だって。 「解らない」 「じゃあ、どこか考えておいて」 「どこか」 「北とか、南とか、そんなんでいいんだ」  実は、俺もなにも考えてなくてさ。彼は最後に付け加える。 「そうだ、例えばさ」  彼は僕を手放し、カバンを漁りだす。衣服を散らかして、一冊の本を出した。  僕の胸に抱えられるような大きな本。英字は知らない単語で、内容が掴めない。  ソファに座り彼はページを捲る。ぺらぺらと静寂に紙を捲る音が響く。彼はふと顔を上げて、手を振った。僕を招きよせる仕草は柔らかい。 「こっちにおいで」  膝を叩かれ、僕は言われるがままにそこに腰を下ろす。彼はにっこりとする。そして、僕を抱きしめるような形で本を開いた。 「ここがいいなーとか、ないかな」  邪魔にならないように体勢を逸らす。そうすると背中に彼の体温を感じる。あったかくてどこかぬるい。  彼が見ていたのは空の絵だった。  あおあおとしている。空が奇妙に青く色づいている。変だとは感じたけれど、どこか知っている色彩。  空が青い。  僕は彼を忘れてじっと見つめる。  コンピュータで色を塗ったのだろうか。そうは思えない、これは異なる。  色が自然に、本当はこんな色だというようにここにある。  赤くもなければ、灰色でもない。透き通っていて、どこまでも続きそう。  青い。  色で言えば、水色に近い。しかし、青だ。  興味を隠せないのは、驚愕したから。  こんなのはありえない。  瞳が自然に広がっていく。  それは心が魅了された感覚だった。信じられないという不安と恐ろしさ。だけど、安定した青が視線を引き剥がさせない。  頭上から笑い声がした。はっと現実に帰る。  恥ずかしさと怯えが遅れてやってきた。無防備を晒しさ気まずさに僕は俯く。 「青空だよ、見たことない」  あおぞら。  僕は首を振った。 「俺も写真でしか見たことないけどね」  写真。  僕は彼を振り返る。頭の上に彼の顔がある。どこか悲しそうで、憧れを伴う表情をしている。 「……この街は、灰色の空だからね」  噛み締めるように呟く。 「青空」  本当に存在するのかと疑う。にわかに信じたがくて否定する。  だけど徐々に肯定に傾いていく。こんなのない、あるわけない。だけども。  心が馬鹿みたいだと嘲笑っても、理性がそっと諭していく。  写真だから。そうかと頷いてしまうから。こんな美しい色を、存在を、人間の手で作れるはずがないと思うから。  この空がどこにあるのかなと想像する。この世の中にはない気がする。  だけど、それはないと言い聞かせる。常識に欠如した思考でも、写真はある景色しか撮れないくらいは教えてくれる。  海外、なのかもしれない。 「青……」  そうして、やっと気付く。彼がこの空と同じ青い瞳をしていることに。 「同じ色」  彼の顔を覗き込む。もっと見ていたくて近寄る。彼は不思議そうに首を傾げる。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加