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一日目
かちゃかちゃと手錠を鳴らす。じんわりと指先が痺れて、窮屈な手首に汗が伝った。
それなのに暑さが肌一枚で止まっている感覚がする。湿気と熱気が香る空気に、季節は夏だって思い返す。
薄暗い部屋で、吊すされた腕を確かめた。壁から突き出る鎖で、僕は右手首が拘束されていた。これのせいで、眩暈がしても倒れこむことができない。どこか息苦しくて、でも深呼吸するともっと苦しくなって息を止める。顔が熱くなる頃、やめた。それから上を見る。換気扇がぐるぐるしていた。窓のない部屋は酸素が少ない。外へ続く扉が開けばいいのになと思ったけれど、あの扉が開く時はいっぱいいっぱい怖くなる。
開かなければいいのにって思ってから、でも開いてほしいとも祈る。いっぱいいっぱい怖くなるけど、どうなるかどうなるかという恐怖もないから。
コンクリートだけの部屋は蒸していく。暑いけど、寒い。空気は皮膚で遮断されて離人感だけを生み出す。いつも季節は遠くて、目の前を漂っているだけだ。ぽっかりと穴が空いたみたいに寂しい。涙が出てきそうだった。夏は染み込まないで腐っていくだけだから。
壁に凭れる。一点を見つめてみた。壁には染みがある。それは血痕にも土にも見える。
ぱら、ぱらら。何かが聞こえた気がした。ぱらぱらぱらら。なんとなく雨だと思った。
俯いた。肩まで伸びた髪が視界に入る。それは先端で丸く焦げていた。燃やされたんだってもう一回実感して、震えてしまう。確かぼうっと一瞬燃えたがそれだけで終わった。瑞々しさの欠片もないせいかもしれない。バラバラになった艶のない髪が垂れる。臭気はまだはれていない。嫌な匂いを発している。あの時、やつらは嬉しそうにしてた。すぐつまらなそうに殴った。
体を温めるように縮める。動くたびに、節が痛んだ。でも、我慢する。じっとしてても頭が混乱してくるから静止はしたくない。きっと泣き叫びたくなるから。
足音が聞こえた。一つ、聞こえた。それは近づいてくる。びくんと胃が痙攣した。恐れを製造して脳に出荷して心で消費する。
こうしていたい。なのに、早くドアが開かないのかなとも思った。恐怖があるのに待ちわびている、気持ちの食い違い。
扉を見る。今度は凝視する。瞬きもできず、瞳が乾いていく。
鍵を回す音がする。がちゃがちゃ。がちゃがちゃ。迷うように扉が揺れる。
そして、扉が開かれた。やつらが来たに違いない。次はどこを痛くされるのか、今回は何を苦しくされるのか。
いざやってくると頭が真っ白になる。頭皮がじーんと痺れて、ざわざわ虫が這うようだ。見たくはない気持ちと認めなくてはならない気持ちがごっちゃになる。
待って、もうちょっとだけ。
無情に漏れこむ光が、僕を照らしだした。
眩しさに、目をしかめる。背中に冷たいものが落ちる。汗と、恐怖が背筋を刺激する。
続いて、眩しさの中から何かが落ちた。黒い箱みたいなものだった。がしゃんと派手な音を響かせる。喉から心臓を吐き出しそうだった。
そして静寂がやってくる。ゆっくり視線をあげると、誰かがいた。見たことのない青年だった。
やつら、だろうか。次はどこを痛くされるのか、今回は何を苦しくされるのか。
喉が痛みだした後に指先から凍っていく感覚がする。硬直するって意味を肉体で理解する。
知らない人だ。だけど解る。きっと恐ろしいことをする人。ここに来る人は、それだけしかいない。
金色の髪がさらさら揺れて、きらきら煌めく。それを見ていると、気絶したい気持ちと叫んで暴れてしまいたい思いが胸を廻る。
それなのに――どうしてだろう。
彼そっと、微笑んだ。信じられないけれど、安心したように笑った。
僕は暴力の気配のなさに訝しむ。彼はまるで、やつらじゃないみたいだったから。天使、みたいだったから。
部屋を映す彼の瞳はここでは見たこともない色をしている。手を振り上げたり、蹴りあげる予兆さえ彼にはない。危害を加えるつもりがないような、人間。
やつらとは違う、違和感の固まりの青年。
放心しかけて、僕ははっとした。慌てて壁に擦り寄るけど、隠れる場所もない。
なんなんだろうか、彼は。
不気味さが膿んだ防御の判断は、焦燥を作り出す。
……怖い、怖い、嫌だ。
逃げ場なんてなくて、鎖ががちゃがちゃ締め付けてくる。
涙が目尻に溜まる。そして、股に床に雫を落とす。泣いてしまうのは、彼の次の行動が予測できないからだった。ここで見た、どんな瞳よりも彼は理解ができなかった。
何かされるかとおののく。何もされないといつやってくるのかとわななく。理解できないのはどきどきに似てる。気味が悪い。思いがけなさが、恐怖を大量生産する。
次に叩かれて、後に打たれる。その未来がまったく見えない。どこを緊張させて、どこで耐えるべきなのか解らない。それが怖くて、僕は彼から遠ざかる。
だから、次の彼の行動に泣いてしまう。とうとう感情を爆発させてしまう。
やめて、と叫んだり泣いたり。それから彼を見る。彼はただ僕を見ていた。
彼は僕の頬を両手で挟む。涙で濡れた睫毛を指で擦り、そっと囁く。
「……静かにして」
必死に頷き、僕は唇を噛み締めた。黙れた。意外に早く、静かにできた。
「……泣かなくて、いいんだ」
手錠に鍵を差し込み、彼は静かに回す。鍵が外れて解放された腕が重力に従い落ちていく。
「立って、足は何もされてないか? 走れるか?」
僕を見ずに彼は言う。痺れた足に力を入れて、壁に手をつく。
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