一日目

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 ああ、ここでやるのかと思ったり、疲れてないのかなと呆れたり。 「喉乾いたよね。お腹は減ってない?」  ふらふらと、彼は冷蔵庫を開く。ビールとか炭酸飲料がずらずら並ぶ。僕は首を振る。  空腹感はあったけど、なんにも受け入れたくない気分。 「喉が乾いたら、ここの冷蔵庫のものを飲めばいいよ」  彼はミネラルウォーターを手にして一気に飲み込む。ごきゅごきゅと音をたてたり、口の端から垂らしたりして。  そうやって飲み干すと、彼は困ったように笑う。 「とりあえず、くつろいで大丈夫だよ。今のところはね」  低くてのんびりした声色。命令されたのに、行動に移せない。うろたえて俯く。意味が解らなかった。  くつろぐ。  とりあえず、くつろぐ。  心のどこかで覚えていそうだけど、じっくり思考できる余裕がない。  何もしないで突っ立っていると、さらに焦ってくる。気を悪くされそうで、イラつかせてしまうそうで。 「ソファに座って……休みな。体の力を抜いていいよ」  彼は困惑を隠さずに言い直す。慌ててソファに尻を下ろすと、ふわっと体が沈む。それは少し楽しくて、倒れこみたくもなる。  彼を盗み見ると、彼と目が合う。あの読めない瞳に、どうしたらいいのかと迷いが生まれる。彼の瞳はこれから僕をどうしたいのかがまったく読めない。どこを殴るのか、切るのか……殺そうとするのかも。  彼の視線が突き刺さる。そして何も考えられなくなる瞬間。  彼はベッドに腰を下ろす。沈黙が流れると、困惑してしまう。彼はそばにあるリモコンで、テレビを点ける。耳に届いたのは、喘ぎ声。  やっと読めた行動に、ようやく緊張をとけた。そういうことをするのかなと、安心と恐々が入り乱れる。  だけど、彼はチャンネルを切り替える。次に聞こえたのは笑い声。  彼は同じように軽く笑って。その間も、休まず僕を見つめて。  いつも、自分はどうしていたかな。そればかり考えて、体が震えてきた。  テレビから聞こえる、場違いの談笑。それは部屋を満たして、気温を下げていく。 「テレビ、嫌い?」  彼はふと口にした。  僕は視線を落とす。  正解が掴めないから答えられない。どうしたら彼が気に入るのか掴めない。迷っているうちに、彼はテレビを消してしまった。  そして訪れる静寂。  彼は深く息をついて、髪を撫でる。不快そうな空気を感じて、僕は視線を彷徨わす。  どうしたらいいのか。彼はテレビが見たかったのだろうか。それを共に楽しまないから、イラついたのだろうか。  彼は立ち上がって、ゆっくり僕に近づく。フローリングが鳴って、静かに影を作る。僕の目の前で止まる。そうして手を伸ばせば触れられそうに、覗き込む。瞳と瞳を合わせる。  どきっとした。  心臓が強く動いた。それは、予知の恐怖ではなく未知への動揺。何を考えているのか解らない、別の世界にあるみたいな瞳。  一拍の間、何も考えられなくなった。思考を吸い取るみたいな色彩をしていたから。  次に彼は手を上げた。風を切る動きは、僕はまだ推測できていなくて。  殴られる?  反射に僕は体を強張らせる。とっさの判断で頭を庇った。  なのに痛みはやってこない。  目を開いて、それで僕は目蓋を閉じていたことを知る。鼓動の早まりに、歯を食い縛る。  彼は、何もしなかった。正確には軽く僕の頭に手を乗せた。  そのままフードを外し、髪をぐちゃぐちゃに絡ませる。 「……やつらの勢力圏からは外れたし」  彼は摩擦を止めない。  僕は震えを少しでも止めようとしたけれど、無駄だった。もし、震えていると解られたら。  癪に触るかもしれない。 「もう大丈夫だよ」  彼は目を細めて、ぽんぽんと僕の頭を叩く。  まだ冷えない彼の体温。それは触れるたびに熱を伝えてくる。 「汗、かいた。俺は風呂入るけど、先入りたい」  急いで首を振った。横に振った。ただ、震えていたのかもしれない。  彼は頷く。そして、バスルームへ消えてしまう。その後ろ姿を見送る。僕は深く深く息を吐いた。喉が痛むほど続けて、ぽかんとする。  首を傾げて、彼の手の平を思い返す。何か思ったのだけど、それを表わす言葉が出てこなかった。  それから、バスルームに思考を傾ける。  このまま彼が出てきたら、僕も入るのだろうかって考えた。それは少し嬉しいこと。  昨日から許可をもらっていない。だから頬が弛むのは止められない。へばりつく不快感が、少し軽減される。その解放感を夢想する。  しかし、その後に待っているものを考えて、憂鬱に襲われた。  体を丸めると、彼が服を脱ぎすてる音が耳に入る。僕は自分の手の平を見つめる。ちょっと土色で、なんか黄色い。汚いなって思った。
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