一日目

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 ここはどこなのだろう。今更ながらの疑問を浮かべて、ぼうっとした。  彼は、逃げると言った。逃げるって、痛いのを先延ばしにすること、だった気がする。  今は彼と二人きりになっている。僕は彼に売られたのか、彼は僕を買ったのか。そんなことを思った。  意識の波に漂ってふわふわしてと、彼がバスルームから出てくる。湯気を上げながら、ジーンズだけを履いた状態。  ぎゅっと胸が絞られるようになるけど、痛ませない。それは、解っている展開だから。  上半身はタオルだけで、髪から雫を垂らしている。雫は床に落ちて、水溜まりを作る。水溜まりは、蛍光灯を反射した。  彼は手にリュックをぶら下げていた。荷物なんか持っていたんだと考えた。  そして、僕の隣に座るとリュックからトレーナーを引っ張る。次から次へと取り出して、トレーナーに重ねた。  そこには、もう一枚のジーンズとトランクス。アニメの柄の新品で、清潔な感じ。  着替えるのかと思っていたのに、それを手渡してくる。 「その服は嫌だろ。そんなの捨てちゃって、これに着替えな」  受け取ったけれど、僕は迷った。  サイズは僕に合わせたものではないから、彼のものだろうことは解る。それを着てもいいのかなって、疑問になった。  また彼は僕の髪を絡ませると、好意は素直に受け取りなさいと笑う。渋々と頷き、僕はバスルームへ向かう。服を脱ぎながら、僕は彼のいる部屋を振り返る。不思議とはてなが、頭の中に溢れかえっていた。  部屋から、何か音楽が漏れている。ラジオをつけたのだろうか。静寂を好まない性格みたい。いつも鼓膜に突き刺さっていたのと違う、柔らかい音色が漏れて聞こえる。  それからバスルームへ入ると、念入りに体を磨いた。黄色だったり、緑だったりする肌がぴりぴりする。殴られたところは、明日になると腫れているだろうと思った。殴打された箇所は、熱に当てるとひどくなるから。  それでも、なるべく手早くすませ部屋に戻った。すると、彼はソファで眠っていた。  テーブルには包帯やシップが転がっている。彼はどこか怪我をしていたのだろうか。  拍子抜けして、床に腰を下ろす。つるりとした表面を指でなぞると、どこまでも滑っていく。  冷たいフローリングは熱された体に心地いい。ひんやりしてて、じんじんするのが遠退いていく。  ラジオからは、男の声が流れていた。それに意識を向けて、何も考えないようにした。 ――エデンの園にいた、アダムとイブは蛇の奸計により楽園から追放されました。それが皆さんご存知の、失楽園のあらすじです――  バックには賛美歌が流れている。僕とも、彼とも、やつらとも、この男は関わりがないのだろうなって思った。  僕はそう思った。 ――エデンの園というのは、楽園の代名詞です。『創世記』によると、東の方にありアダムとイブが管理を任されていました。園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられていました。その知恵の樹からなる、善悪の知識の実を食べたことにより、アダムとイブは――  彼を見る。イビキもない、安らかな寝息が聞こえる。  彼が起きたらきっと、何かが始まる。そうであってほしいのか、ほしくないのか解らない。  とうとう困惑して、僕は体を縮めるしかなかった。
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