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二日目
がたがたんって落ちた。
耳に届いた物音にびくっと体を縮こませる。おたおたして、彼に注目する。
いつのまにか、ソファの下に彼は寝ていた。どうしてだろう、なんかカエルみたいな格好をして。
昨日は確か、ソファで眠っていたのに。
疑問が浮かんで、首を傾げる。落ちたのかもしれない。カエルになりたかったのかも、しれない。うぐぐと、不明瞭な呻き。うーっとか、いたたーとか繰り返している。彼は自分の頭を撫でて、騒いでいる。
どうしたらいいのだろう。迷ったけれど、立ち上がる。踏み出すと、一歩が重い。それは、色付いた箇所が痛みを発しているせい。足はやっぱり腫れている。だけど、留まるままがとても怖い。何をされるか、待つのが嫌だ。
どこかでじっとしていたいといってるのに、僕は彼を見下ろしていた。
そうして、彼と目が合う。
彼はほんの少し頬を染めている。ソファに片足を乗せて、面はゆそうに唇を歪める。彼は笑いかけてきた。反応を求める仕草。にたにたとか、へらへらとかではない表情。痛みがあったくせに、僕で憂さ晴らしする感じがない。
ここは、どうすることが正解なのか。僕は何かを始めようとしたのに、彼が始めたのは何か以外。だから、マヌケにもぼうっとしかできない。
どうしたらいいのかなんて、根本的な疑問。それは、心をそわそわさせる。だから、動かない。焦燥が行動をまごつかせる。せいた気持ちは視線を彷徨わせ、僕は唇を噛み締める。
ゆっくり起き上がり、彼は背筋を伸ばした。それは、僕の恐怖を受け取らない空気で。
「眠っちゃった、寝れた?」
眉を歪な形にして、大きな欠伸を漏らす。涙がつううと垂れて、彼の頬を滑る。彼は目を瞬かせて、涙を拭った。
「最近さー、運動不足かもしれない。筋肉痛だよ、まいったなぁ」
ぶつぶつ蠢く唇。僕と反対にくるくる動いている。彼を見上げたまま、僕は重苦しさに沈黙を続ける。
「あ、そうだ」
そう呟いて、彼はきょろきょろしたりして。そして、テーブルを見る。包帯やシップがじっとしていた。
彼はテーブルにある包帯を手に取る。指で転がしたり、潰したりして遊んでいる。そうして彼は、僕の前に座り込む。
「怪我してる。いや、してるに決まってるよな。ごめんな、昨日あがるの待ってたら寝ちゃったよ」
包帯を伸ばしながら、彼は眉毛を下げた。ごめんな。彼は何に対して謝っているのだろう。ごめんなさい。だから、僕も謝ってしまう。
ごめんなさい。
解らないことばかりの中、僕ができることは二つある。その一つは謝罪。彼は何で謝るのと言いながら、シップを取り出す。
ぴりりとビニールを剥がす。つんとシップ特有の匂いが鼻につく。どうしたらいいのだろう、何をしたらいいのだろう。謝罪が禁止されて居たたまれなくなるけど、時間はただ過ぎていく。
ごめんなさい。再び口にしてしまったのに、彼は無言で僕の髪を掻き上げる。そして、額にシップを貼った。
「……?」
僕はきょとんとして、シップに触れた。彼は僕に、ただ、シップを貼った。
冷たくて、なんかおかしな気分。もやもやしてて少し邪魔。でも気持ちいいななんて考える。
それから彼は、体の痛む部分に同じよう貼ったり巻いたりして。肌に違和感が増えていく。体を眺めると、怪我人みたいに真っ白になっていた。
それは、悪い気分ではない。だけど、どうして僕の体を手当てなんかするのかが不明で。
そして、自分が震えていないことに気付く。恐怖を軽んじている。
でも、何故か今は怖くはない。
疑わないと、耐えないと。そうしないといけないのに。
服を捲ったりはしても、彼は何もしない。彼は僕に手当てをしている。それだけで。
ぼそぼそと、ありがとうございますと口にした。僕ができる二つ目は感謝。いつもは言うたび気分が悪くなるのに、不快感がない。
「いや、いいんだよ。気にするな」
「ありがとうございます」
視線がしっかりと定まる。これは、筋肉の緊張がなくなっていくことだった。
それなのに、やはりじっと見つめるのは慣れなくて。やっぱり俯いてしまう。
彼はしっとりとした声で言った。
「どういたしまして。でも敬語使わなくていいよ、ありがとうでさ」
僕は瞬きをする。思いもよらない彼の言葉のせいだった。
どういたしまして。
なんだか懐かしい響きに顔を上げる。何かを思い出しかけて、でもやっぱり何かは解らない。
ありがとう。ただ、オウム返しに繰り返す。単調な口調にも関わらず、彼は僕の頭をぐしゃぐしゃにした。
「どういたしまして」
その後は彼に言われるまま、ここにいた。
昨夜と同じように、壁ぎわに僕がいて。そして、ソファに彼が座る。
しーんとした静寂が鼓膜を揺らす。彼も僕も無言を貫き、時間を流している。
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