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0日目
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目覚めてから気付いた、悪夢を見ていたことに。
そうだ僕はずっと夢を見ていた。ここはなんて場所なのだろう、死体だらけだ。
盲目になっていた心に光が差し込む。目に映らなければ存在しないと同然だったもの、それらが認識されていく。網膜に、舌に、鼻腔に、地上の汚れが染み付いていく。
現実に落とされた体は、ふわふわ浮いているかのように現実感だけがなかった。
肌を掠る風は皮膚で止まって、瞳に採光は届かずに朽ち果てていく。鼻は血の香りに包まれて、目覚めた視界がボヤけていく。
確かに、あれは質の高い悪夢だったと思う。夢の中で、現実だと錯覚するぐらいに。
僕は起きてしまった。夢から覚めてしまった。
あの場所へ二度と帰れない。
すべてを受け入れると、涙が溢れた。
僕は帰れない。
――耳を通過する、叫び声。
どこからか聞こえる音楽。スピーカーから流れているんだろうけど、探しても狭い部屋には機械がない。それなのに絡むギターの歪みと、心臓を掴むドラムと打楽器に近いベースのリズムが部屋を反響してる。時々、叫びは歌になる。耳をすませば、咆哮にもきちんと音階がある。それは言葉ではなく、声のみで感情を伝えるみたいに聞こえる。
殺害、淘汰、破壊。
僕は鼻を啜った。多分、鼻水。僕は泣いているんだと思う。音が煩くて、誰も気付いてないけれど。それは爆音で、泣き声を消されているから。
それが少し嬉しい。まるで僕が始めから存在しないかのようだから。どこかで安心する。怒られないから。
ぴくりと足を動かした。下腹部をいっぱいいっぱい突き上げられたせいで、じくじくした。お腹の疼痛は、いつも僕の体を支配してる。
痛みに、ふと僕は冷静になった。ぐったりしていられない。音楽なんか、聞いている場合じゃない。
また、殴られる。きっと蹴られる。次に訪れるものを想像して、びくっとした。自分で作り上げた恐怖に震えだす。おののきながら、そうしたって痛いのがなくならないのは決まっている。でも震えは収まらない。がくがく、がくがく、がくがくって。
歌の隙間から、本当の、生の悲鳴が聞こえた。
それで、この部屋にいる自分以外の人間を思い出す。僕の横で少女が暴れていることを。
だけど、少女の抵抗は藻掻きにもなっていない。もじもじと蠢いて、首と腰だけを回している。少女は腕を縛り付けられている。だから、それだけしかできない。
悲鳴はもうノイズに紛れて聞こえない。少女は口をぱくぱくさせていた。ちょうど金魚が、酸素を欲するみたいに。
目を閉じたいと思った。こっそり目蓋を下ろしてみた。無駄だった。「やつら」がそれを禁止する。髪を引っ張られて、吊るされて。皮が痛かった。見たくないなんて願いも届かず、見開く。
怖い、でも見なくちゃいけない。僕は揺れながら少女を観賞する。
切る、回る、飛び散る、削る。刻む、裁つ、刎ねる、ちぎる、そぐ。抉る、刳り貫く、ほじくる。彫り、刺し、突き。ざくり、ばっさり、じょきじょき、すっぱり。ぐさり、ずぶり、ぶすり、ぶすぶす、掘って、うがって。
少女は足を電気ノコギリで切断される。その切断した部分を、やつらがナイフで遊ぶ様子。僕はそれを目に焼き付けている。
少女は頬を歪ませていた。痛い痛いと喚いているのだろうか。もしかしたら、殺せ殺せと怒鳴っているのかもしれない。そんなの解らないし、解りたくもないことだ。
きっとこの後、少女は芋虫になる。同じ形になってしまう。そうして、売られる。
過っていく記憶。僕はそんな人たちを何人も見てきた。だから知っている。
蒸し暑さと生臭さが鼻に届く。そして、吐きたくなってきた。飛び散った血が僕に降りかかる。やつらの興奮が耳を湿らせる。夏の気温が空間を熱していく。
目の前には残虐さ。転がっているのは原型のない少女。熱は光景を陽炎のように揺らめかす。
この部屋にあるもの。それは生と死の生々しい共存。傷つけるものと傷つけられるもの、その両者でなりたつ法則だ。
今、僕のいる位置を思う。傷つけられる側の人間で、殺される方に僕はいる。
ここは毎日毎日絶え間なく悲しかったり怖かったりする。痣と血と精液に塗れて生きていくしかなくて、肉体は痛むことしかない。いつも体はどこかがひりひりして、心は震えているのが日常だったから。
いつかこの痛みに慣れるなんて夢想してみたりもする。それはいつなんだろうって疑問と切望しか湧かない。それは、いつまでたってもやってこない。ただ悲しくて、目に映るものすべてが苦しいのに。
ふいに体が拘束から解放される。吊るされた髪が離された。それに気付いたのはぐにゃりと地面に伏してから。ほっとしたり、息を飲んだり。床に額を擦りながら僕は顔を上げる。
何かが投げ付けられた。降ってくる、影。
それが床にバウンドする。なんなんだろうと思う。鼻先に何かがある。果物か何かだって感じた。よく見てみる。瞬間、背筋が凍る。それは、少女の手だった。
手首から上の部位。切り落とされ手首は、イソギンチャクのようで、でも違って、気味が悪くて、悲しかった。
やつらは蹲ったままの僕の髪を掴み、女の股の間まで引きずる。床と皮膚が擦れる。やつらが何かを言っていた。そいつをこいつの中にぶっこんでやれよ。そんな風に聞こえる。のぶとい、飛ぶ唾と汚い声色。
やつらの指さす場所は、赤く濡れた性器。開いたまま、ゆっくり閉じようとぴくぴく動いてるのが解る。
女の性器を見ると、漠然と思い出すことがある。いつかあった、セピア色の記憶。それは、血の匂いと叫び声だった。涙で濡れた女の人の顔が浮かぶ。鼓膜に再生される、刃物が肉体に埋め込まれる時にする嫌な音。それらが重なった、ひどく残酷な光景。
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