3人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
地方に住んでいる人は知らない様だが……
地方に住んでいる人は知らない様だが、「都内」という言葉は、「23区内」という意味だ。それ以外のところ、市や村は「都下」という。ニュース等では東京都の中という意味で都内という語を使う事もある様だが、立川市や府中市に住んでいる人が、「私は都内に住んでいる」などと言う事はない。
でだ。都内に住んでいるわたしが都下の、それも西のはずれの方にある中学に入学する、というのだから、何か理由があるんだなって解るよね。どうしても地元の中学には行きたくなかったんだ。
六年生の時、ネットでいろいろ調べてみたところ、文机学園というのが、自由な校風で良い、とあった。自由な校風なんてあてになるものか、と思ったし、第一、この学校、自由な校風以外に誉め言葉がないじゃないの。ただねえ、わたしの成績だとここぐらいしか受かりそうにないのよねえ。じゃなけりゃ地元の区立中学になっちゃう。それは絶対にいや。
お母さんに、この、フミなんとかガクエンというのを受けてみたいんだけど、と言ったら、それ、フヅクエガクエンて読むのよ、中高一貫教育の学校で、女子のスポーツの強いとこよ、と言われた。でもあなたには無理じゃない、学校名も読めないんじゃ。はあ、ごもっともで。
受験の日は寒かった。東京都は、島々の方を別にすれば、東側が海、西に行くと山だから、西に向かうほど寒くなる筈。あとで聞いたんだけど、都心の気温というのは千代田区で測った気温で、多摩地区の気温とは少し差があるらしい。何でも、夏の最高気温、最低気温は都心と多摩地区ではほとんど同じ。冬の最高気温もほぼ同じ。でも冬の最低気温となると、都心より多摩地区の方が2℃低くなったり5℃低くなったりするらしい。寒い訳だよ、こりゃ。短いスカートで来たのは失敗だったかも。北風がびゅうびゅう吹いてたしね。だから入学試験にどんな問題が出たのか全く覚えてない。よくまあ合格したもんだ。
入学式の日は緊張した。この学校は中等部も高等部も私服。何を着て行くかは重要だ。絶対に目立つ恰好をしてはいけない。周囲から浮いてはいけない。それでいて、好感度のある服装でなければならない。スカートの丈は長過ぎず短過ぎず。無難なところで。でも見た目で馬鹿にされるのは非常にまずい。
わたしが選んだのは白いブラウスに紺のブレザー。そしてハウンズトゥース・チェックのスカート。鏡に映してみて、悪くない、と思ったものの……。これ、どっかの学校の制服みたいじゃん。自分の独創性の無さにあきれ返るね。でも、うっかり目立って目を付けられるよりはましかも……。
だけど結局浮いちゃったんだよね。まさかみんなスニーカーとは。都内の中学生はみんな革靴で登校するけどな。こっちじゃ男子も女子もスニーカーか。一人だけ入学式にローファー履いて行っちゃったよ。中学生は普通ローファーでしょ。違う?
どうやらこの学校、高等部の生徒でお洒落な人は磨き上げた革靴で来る事もあるけれど、大抵の人は歩きやすいスニーカーで来るらしい。知らなかったよ。初日から変に目立っちゃったよ。ああ、誰もわたしの足下を見ませんように。
本当かどうかは知らないけど、スニーカーの方が猪に追いかけられた時に逃げやすいからだ、とか。冗談であってほしい。
入学式は講堂で。普通こういう場合、新入生というのはカチカチになってるもんだと思うんだけど、みんな何故だか緊張感ゼロ。ほとんどが地元の子の様で、お互い小学生の時からの知り合いらしいんだ。ぺちゃくちゃおしゃべりしてるんだ。
中にはお兄さん、お姉さんがやっぱりこの学校に通ってる、なんて人もいるみたい。後ろの方に陣取っている上級生に手を振ってる人もいる。わたしの近くにいる女の子達も高等部の生徒の方を見ながら知り合いの噂話をしている様だ。
「ねえ、あそこにいるのって、カンナさん? あたし、しばらく会ってなかったけど、身長伸びたね」
「カンナ先輩は背も伸びたけど、胸の方も」
「成長したねえ」
「性格の方は成長してないって、うちの姉ちゃんは言ってたよ」
「ええ、じゃあ、相変わらず問題児なんだ。それはそれは頼もしいこって」
「うん、それでね、何でもこの間……」
うわぁ、この学校にもやっぱ問題児っているんだ。高等部の……ははぁ、あそこの胸の大きい女子か。係わらないように気を付けよう。あれ、その人の後ろの方にいる人、すごい美人だなあ。いるんだ、あんな綺麗な人。何だかこっちを見てるみたい。って、わたしを見てる訳じゃないよね。新入生に知り合いでもいるのかも。顔も美人だけど、ファッションの方もおしゃれだなあ。八分音符やら四分休符やら三連符やら、音楽記号が散りばめられたスカート履いてるの。いいなあ。どこで買ったんだろう。
校長先生は何故だかスキンヘッドだったが、優しそうな顔立ちの人で、学問というのはどうたらこうたらで、と話をした。わたしなんかは勉強は出来ないし、スポーツは出来ないし、地元の中学には行きたくないからここに来たってだけなんだけど。成績の方で期待されてもなあってところです。
わたしは一年一組になった。周りの子達は一緒のクラスになれたねえ、なんて話している。ニックネームで呼んだり呼ばれたりしているから、前々から友人同士なんだろう。けど、わたしの小学校からここに来たのはわたし以外にいない。小学校の時のわたしを知ってる人はいない。あちこちのグループから笑い声が聞こえる。でも、わたしは一人静かに椅子に座っているだけだ。
そんな時、後ろの方から何だか聞きなれた様な声が耳に跳び込んで来た。えっ、まさかと思って、振り返ると……。
ここにMがいる! 何故? どうして、どうして、どうして。
Mと同じ学校に行きたくないから、わざわざ家から遠く離れた中学に入ったというのに。顔も見たくない相手が同じクラス? そんなあ……。
Mから見つからないように顔を伏せたまま、あっちの方をさり気なく探ってみた。男みたいなジャケットを着て、髪がくしゃくしゃなのも気にしてない様だ。あれ、よく聞いてみると……。周りにいる女の子達からは、「ミカ」と呼ばれている様な……。
Mじゃないのか。顔はそっくりだが。もっともミカというのもMとよく似た名前だ。もしかして姉妹? Mに双子の姉妹なんていたか?
担任の先生が来た。先生は簡単に自己紹介を済ませ、出席を取り始める。
「門野」という名前が呼ばれ、わたしはびくっとした。そして、Mそっくりな彼女が「はい」と元気に返事をした。
カドノだって! Mと同じ苗字じゃん! これは絶対、Mの家族か親戚だ。苗字が門野で顔も名前もMとよく似てるんだから間違いなくMと何か繋がりがある。悪夢だ。これは悪い夢だ。ああ~あ。何てこったい。
今日は入学式とガイダンスだけなのだが、ガイダンスの間、わたしはどんよりと曇り空の様になったお腹をずっと押さえていた。先ずは学校の図書室に行ってみたいと思っていたのだが、何だか気がふさいで、身体も急に重くなり、椅子から立ち上がるのもおっくうだ。ガイダンスが終わったら、もう、帰ってもいいんだけど、入学早々憂鬱な気分だ。
飛行機の見える海浜公園に行きたいな。ジェット機の離着陸を見てると何だか気分が落ち着くの。でも、こっからだと遠いなあ。
などと考えているうち、今日の日程は終了。溜息をつきながら帰り支度を始めたよ。
と、その時。
「門野ミカって人、いる?」
廊下から呼び掛ける声が。その名前を聞くとびっくりするよ、わたし。見ると戸口には、入学式で見掛けた高等部の美人さんだ。うわあ、この人、声も爽やかでやさしそうな美声なんだ。でもMのそっくりさんに用なのか。
側にいた一年生が、ミカならさっきまで居たんですけど、どこに行ったのやら、と答える。
「ふーん。じゃあ、いいや」
美人さんが帰ろうとすると、別の上級生もやって来た。
「あれ、毬輪ちゃん、こんなところで何やってんの」
マリワ? マリヤ? そういう名前なのか。かわいらしい名前だなあ。あれ、でも、マリワさんだかマリヤさんだかに話し掛けたのって、問題児とか言われてた女の人じゃない。
「門野ミカって子に会っておこうかな、と思ってね。私は会った事はないんだが、親父の草野球チームでタイムリー・ヒットをかっとばしたらしくてね」
「へえ、あいつ、野球も出来るんだ。じゃあ、うちらのソフトボール部に誘おうかな。だけどさ、毬輪ちゃん、門野ミカじゃなくて、門野様、もしくはミカ様だから。呼び捨てはいかんよ」
「うむ、それもそうだね」
門野様? ミカ様? なんじゃ、そりゃ!
何で中学一年生が高校生から様を付けて呼ばれるんだ?
一体何者だ、Mのそっくりさんは。
「ところで毬輪ちゃん、そのスカート、すっげえ、いいじゃん。どこで買ったの」
問題児さんがマリなんとかさんに尋ねた。
「買ったんじゃなくて貰ったんだよ。いとこが海外旅行に行って、そのお土産」
「海外か。豪勢だねえ。あたしなんか海外といったら新大久保ぐらいしか行った事ないよ」
「新大久保は国内じゃなかったか、確か」
「音楽記号が描かれたスカートなんて、まさに吹奏楽部にぴったしだよね。その、お尻のところにあるのはヘ音記号?」
「馬鹿者、ト音記号だよ」
美人さんは笑いながら言った。
門野様にはまた今度会えればいいや、そう言って彼女は去って行った。くるっとターンをした時、セミロングの髪がふわっと舞った。
わたしのクラスの中には問題児さんと知り合いの子がいるらしく、先輩、先輩と話し掛けている。
そこへ、何処へ行っていたのか、M2号が教室に戻って来た。
「おう、門野」
問題児さんが声を掛けた。門野様じゃないのね。
「あっ、カンナ先輩」
「入学おめでとう。今日はびしっとキマッテルね。60年代のイギリスのモッズみたいじゃん」
「そうですか。適当に古着を見繕って来ただけなんですけどね」
「もしかして学校へは、Vespaで来たとか」
「中学生が免許持ってる訳ないでしょ!」
「いやいや、君の運動神経なら免許無しでもスクーターぐらい乗れるだろう、この問題児が」
何、M2号は問題児さんから問題児と呼ばれているのか。
「誰が問題児ですか。それより、カンナ先輩、聞きましたよ。夕べ、森林公園でやらかしましたね」
「は? 何のことやら」
「とぼけても駄目です。森林公園のベンチでアベックがいちゃいちゃしてたら、突然ベンチがひっくりかえって二人は水たまりの中に落っこちたそうじゃないですか」
「へえ、誰の仕業かねえ」
周りにいた女の子達も笑いころげた。
「もっちろん、カンナ先輩です。こういう事をやるのはカンナ先輩です。たっぷり時間をかけてベンチに細工をしてたって、ホームレスのおばちゃんの目撃情報がありますから」
「何だ、見られてたのか」
先輩、やりますねえ、とクラスの女の子達は上級生というより同い年の子に話しかける様な口調。かなり親しげなんだ。
M2号が続けた。
「ただ、わたしが不思議なのは、ここ何日も雨は降ってないのに、どうして水たまりがあったんだろう、って」
「確かに」
「そういえば」
そりゃあさ、と問題児さんが言った。
「森林公園で煙草なんか吸ってると火事のもとだろ。あいつらその辺に煙草をポイ捨てするからな」
「ほお、それで火の用心のために水たまりを作ったと」
「そこに手抜かりはないよ、あたしゃ」
「でも、そこまで手のこんだ事をするんなら、自分で宿……」
「おっとっと、門野、門野、こっちへ来たまえ」
問題児さんはM2号を連れて何処かへ行ってしまった。
この学校の人達ってみんな仲がいいんだな。わたしの知らない場所の話で盛り上がってるし。そんなところへ一人侵入したみたいな感じのわたしは、友達が出来るかちょっと心配しちゃう。それにMのそっくりさんの事も気になる。そもそもMのいじめがなければわたしはこんな遠くの中学に入る羽目にはならなかった訳だしね。M2号が意地悪なやつじゃなければいいんだけど。
最初のコメントを投稿しよう!