翌日の休み時間……

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翌日の休み時間……

 翌日の休み時間。上級生がわたし達の教室に来て、門野様、これ、お願いね、とプリントか何かを手渡して帰って行った。こういう事はよくある。何をお願いされているのか、それは分からないんだけど、いろんな学年の先輩達が、M2号をちょくちょく訪ねて来るのだ。 「何でミカッチの事、門野様とかミカ様って、上級生は呼ぶのかねえ」  わたしの隣の席の子がぼそっと呟いた。 「ああ、それは……」  と、わたしはこの間聞いた話をその子に教えた。いじめっこをぶん殴ってえ、背中に汚いものがくっついてえ、という例の話ね。 「え、何、何? それ、誰から聞いたの?」  M2号が耳聡(みみざと)く聞き付けて、わたしの席の方へやって来た。 「誰って、カンナ先輩だけど……」 「うわっ、カンナ先輩か。また、あの人の作り話だよ」  クラスメイト達が、おっ、これは面白い話が聞けそうだぞ、という顔をして集まって来た。別にわたしの話が面白い訳じゃないよ。カンナ先輩がらみの話だからみんなが期待して群がって来ただけだからね。 「カンナ先輩から聞いたのは……」  と、わたしはM2号に確認を取りながら話を始めた。 「ひどいいじめっこの荒熊寅男という人が、門野様の友達をいじめているので腹が立って、その人にアッパーカットを喰らわせたら、ものの見事に吹っ飛んだ、て事なんだけど……」 「いや、そっからおかしい。いくら何でもあんなに大きな人を吹っ飛ばせる訳がない。だいいち、あの人、寅男(とらお)じゃなくて、宙男(そらお)だから」 「でも、喧嘩にはなったんでしょ」  とクラスの女の子が尋ねた。  ま、まあ、それはそうなんだけど、とM2号は、彼女にしては珍しくはっきりしない声で認めた。 「で、荒熊さんという人が吹っ飛んだ先には、犬を連れて散歩しているお爺さんがいて、お爺さんと犬は慌てて避けたんだけど、そこにあった、犬のうんちのところに倒れたもんだから、背中に汚いもんがくっついちゃって……」  クラスメイト達は、みんなにやにやし始めた。おお、カンナ劇場が始まったぞ、てな感じ。 「犬のうんちのところは、完全にカンナ先輩の作り話だね。さっきも言ったけど、あの人、吹っ飛んでないから」  M2号はそっけなく言った。問題児さんはきみにも見せたかったよ、なんて言ってたんだけどね。 「でも、殴ったのは本当でしょ?」  とクラスメイト。 「うーん、そりゃ、まあね……」  と、歯切れの悪いM2号。 「そして、小学生の女の子に殴られたもんだから、今迄いじめっことして恐れられてたのに、全然睨みが利かなくなっちゃった。それでいじめが収まった。だから、いじめっこキラーの女の子が『門野様』、『ミカ様』と呼ばれるようになった、という話だったんだけど……」 「も~、あの人、話を作り過ぎだよ。それで、『様』付けなのか。やっと解ったよ」  M2号は頭を抱えた。 「だいたいさ、わたしとあの人が喧嘩したのって、スーパーマーケットだよ。そんなところで犬の散歩なんて、出来る訳ないんだから」  いやいや、俺はカンナ先輩の方を信じるぞ、と誰かが冗談めかして言った。 「その方がおもしれえじゃん」  みんな、にやにや笑いをしながら頷いたね。  なるほど、こういう人達なら、「背中に汚いものが……」という話をどんどん広めちゃうだろうし、そんな事になったら、寅男だか、宙男だかという人も、威張ってられないよね。いじめっこの看板を降ろす事になるかも。 「わたしがカンナ先輩から聞いた話はちょっとちがうのね」  今度は、空手少女のサヤカちゃんが口を開いた。 「ユミちゃんがいじめられてるので、ミカッチがおこったのね。でも、場所は図書館なの。ミカッチがアラクマさんとかいうひとをぶんなぐったら、あのひとが図書館の本棚にぶつかったのね。あのひと、体がでかいから、本棚にあった本がぜんぶ落っこちちゃったのね。そしたら図書館の司書さんが、地震だ、とかんちがいして、あわててそとに飛びだしていったの。それで、あんまりあわてたもんだから、そとに飛びだしたとたんに、ラーメン屋さんの出前とぶつかって、まわりにラーメンが散乱して……」  それもすごい展開だな、とクラスのみんなは頷きあった。 「わたしはその話をずっと信じてたんだけど」  空手少女がそう言うと、M2号は苦い顔をした。 「もう。サヤカちゃん、何でそういう話を信じるかなあ。わたしとあの人が喧嘩になった時、サヤカちゃんもその場に居たでしょうが~!」 「あ、そういえば、そうでした!」 「もー、サヤカちゃーん……」 「サヤカちゃんてばあ……」  空手少女は自分の頭をこつんと叩いた。  結局、真相はどうなってるの、とクラスの男子が尋ねた。 「……もちろん門野が喧嘩に負けるとは思わないけど」  うむうむ、と周りのみんなは賛同した。 「別に勝ちも負けもないよ」  M2号は語る。 「こっちが殴ったり、あっちがぶたれたりしただけだから」  おや? という事は勝敗は……。 「いや、喧嘩の後でね……」  M2号は、しゅんとした口調で言った。 「修道院にシスター・アンジェラっていう人がいるんだけど」  と、わたしに説明をした。 「この人が、めちゃくちゃおっかない人で、『喧嘩はいけませんよ』と延々と説教食らった訳」  シスター・アンジェラって、そんなにおっかない人だったかなあ? 他の子達は、口々にそう呟いて首を傾げた。もっともわたしは、その人については全然知らないんだけど。 「『いじめっこや乱暴者というのは、学校にいる間は威張っていられるけれど、社会人になったら、そうはいきませんよ』と言うんだよね。  例えば、いじめっこが学校を卒業して、パン屋になる。いじめっこのパン屋がこねたパンを食べたいと思いますか、だって」  ああ、それは何となく嫌だなあ。そんな声があちこちから聞こえて来た。 「あるいは、いじめっこが学校を卒業して、鮨屋になる。いじめっこの握った鮨を口に入れたいと思いますか」  うわあ、それは絶対嫌だなあ。俺も。私も。何か不味そう。というか、不潔な感じがする。そんな声が四方八方からあがったよ。 「あるいは、元いじめっこが、医者になる。風邪をひいて注射をうってもらう時、そこの病院に行きますか。元いじめっこが、歯医者になる。虫歯になった時、元いじめっこの歯科医に虫歯を削ってもらいますか」  ゲーッ、俺、死んでもそんな歯医者に行かねえ! 俺だって絶対嫌だ! いじめっこに虫歯をガーッ、て削ってもらう? そんなの考えられない! 「だから、シスター・アンジェラによると、いじめっこは、学校を卒業してからは、だんだん落ち目になっていくんだって」 「なるほどねえ」 「そうか、そうか」 「あと、結婚についてもなんだけど」  M2号は続けた。 「結婚する前、相手がどんな人だか、興信所に頼んで調べてもらう、なんて事がよくあるじゃない。で、その時、相手が学校に通ってた時分、いじめっこだったと判明したらどうするか。『わー、この人、いじめっこだったんだ。ラッキー、絶対この人と結婚しよう』なんて言う人はいるだろうか」 「はっはっは、そんなやつ、いねえよな」 「俺、いじめっこの女とは、絶対、絶対結婚しないよ」 「というか、付き合うのだって嫌でしょ」 「あたし、地球上に男が一人しか居なくても、そんな男とは結婚しない」 「シスター・アンジェラが言うには、仕返しが怖いから、学校にいる時は、『いじめはやめなよ』とはなかなか言えないんだって。でも、卒業しちゃえばそんな事どうでもいい訳だから、興信所の人が調査に来た時、『あの人はいじめがひどくてねえ』なんて、べらべらべらべら喋っちゃうんだって」  そういう話を延々と聞かされて、だからいじめっこや乱暴者はいけないのですよ、とお説教を食らったという訳でした、M2号はあの時は疲れたよ、という表情で言った。 「へえ、そうだったんだ」 「いよっ、乱暴者、門野ミカ!」  男の子の一人がおどけた調子で言った。 「うわーっ、やめてえ!」  M2号は心底嫌そうだ。 「いよっ、学園最強女子!」 「ハード・パンチャー・ミカ!」  もちろん、「いよっ、乱暴者!」というのは冗談で言ってるんだよ。みんな、M2号が友人のためにパンチを放った、というのは分かってるんだから。  いやいや、最強女子はわたしじゃないでしょ、とM2号は抗弁した。 「サヤカちゃんは、小学校の時から空手やってるんだし、わたしより強いって」 「いやいやいや、ミカッチの方が強いよ」  空手少女のサヤカちゃんは言う。 「いや、サヤカちゃんだって」 「ミカッチだって」 「サヤカちゃんだって」 「ミカッチだって」 「サヤカちゃんだって」 「ミカッチだって」 「おーい、お前ら、いい加減にしろ!」 「切りがないぞ!」 「あ、わたし、春休みにね」  空手少女は思い出した、という風に話を始めた。 「自転車に乗って商店街を走ってたら、脇道かららんぼうな運転をする車が急に飛びだしてきたのですよ。それでとっさによけたんだけど、接触しなかったのに、転倒しちゃって」 「うわっ、危ない」 「そのとき、ああ、ミカッチだったらぜったいにコケたりしないんだけどなあ、とおもったのですよ」 「いや、わたしだって、とっさに車をよけたらコケる事だってあるよ」  とM2号。 「でも、門野だったら、その後、運転手をぶん殴りに行くんだよなっ」 「いよっ、乱暴者、門野!」  その言い方やめてー、とM2号は情けない声で言った。 「でもさあ、たとえ接触しなかったとしても、自転車が転倒したんなら、ドライヴァーは謝るべきじゃない?」 「サヤカちゃん、そいつ、停まりもしないで走り去ったの?」 「いや、とまったよ。電信柱に車をぶつけて」 「それは停まったんじゃなくて、事故ったんじゃない?」 「近くの交番からおまわりさんたちが駆けだしてきましたよ。わたしは自転車のかごに荷物を入れてたんだけど、転んだとき、それが飛びだしちゃって。商店街のひとたちがひろってくれたのですよ。その中に、ちょうどバザーで買ったばかりのかわいいクッションがあったんだけど、おじさんがひろってくれて、ポンポンとほこりをはたいたのね。そしたら、ドッカーンと爆発音がして」 「え! クッションが爆発したの!?」 「いやあ、音が鳴っただけだったんだけど。婦人警官のおねえさんがきて、クッションを見てたんだけど、『火薬のにおいはしないけど、カンナさんのにおいがするわね』だって」 「おお、ここでまたカンナ先輩が出て来るのか」 「やるなあ」 「でも、それ、本当にカンナ先輩の仕業なの?」 「あ、それは、あの人、自分で、ブーブー・クッションを改造したって言ってたよ」  わたしがそう言うと、みんな、へえ、やっぱり、と納得したみたい。ただM2号は、 「カンナ先輩の事となると詳しいよね。もしかして親戚なの?」  と、わたしに言う。 「えー、全然違うよお」  意外な事を言うね。 「そうなの? わたしさ、入学式の時、『あ、カンナ先輩によく似た顔の人がいる』と思ってさ。それで、もしかしたら親戚かなあ、カンナ2世かなって警戒してたんだよね」 「うっそー、全然似てないよおおおお!」  け、警戒してたんですかっ。こっちが向こうを警戒してただけじゃなくて、向こうもこっちを警戒してたんですかっ。 「いや、似てるって。特にツインテールをやめてからは」 「似てないってばあ」 「似てるって」 「似てないって」 「おーい、お前ら、いい加減にしろ!」 「切りがないぞ!」  だけど文芸部って不思議なとこだよね、と側に居た男子が言った。 「僕がこないだ図書室行ったら、絞め技だか関節技だかの練習をしてたけど」 「……あれはハードボイルド小説に出て来た格闘シーンを先輩が解説してただけだから」  不思議というんなら、門野様とカンナ先輩はよく、二人でどっかに行っちゃうけど、わたしは疑問符付きの言葉を呟いた。 「あれは、新しいいたずらの相談とか?」 「いや、全然違うって」  M2号はぶんぶんと首を横に振った。 「あのさ、うちの孤児院に、ものすごく頭の良いのがいてさ、もう、東大合格間違いなし、というぐらい抜群の頭脳の持ち主がいるんだよ」  M2号はわたしに説明した。 「それでね、この学校の先輩達はそれを知ってるから、面倒な宿題が出た時は、わたし経由でその子に宿題を頼む訳。誰の宿題でも引き受ける訳じゃないんだよ。修道院のやってる慈善活動を手伝ってくれた人だけね。カンナ先輩もその一人なんだ。……けどね」  ここでM2号はにやりと笑った。 「カンナ先輩、どういう訳だか、自分だけが宿題をやってもらってる、と勘違いしてるんだよね。だから他の人と違って、いつもこっそりと、ばれないように、宿題の依頼に来る訳よ」 「あ、それで時々、門野様の事を連れ出しに来るんだ」 「そうそう。あ、これ内緒ね」  M2号がにんまりと笑うと、クラスのみんなもにんまりと笑った。わたしも一緒ににんまりと笑った。ふふふ、秘密を共有しちまったよ。 「たぶん、今日あたり、また宿題頼みに来るんじゃないかな」 「あ、そうだ。ついでだから聞いておこうかな」  と、わたしは言った。 「これ、カンナ先輩からの情報なんだけど、門野様って、大盛りラーメンを10杯食べた事があるとか?」 「そんなに食べられる訳ないじゃん!」  M2号は、まさかあ、という顔をして、完全に否定した。 「ものすごくお腹が空いてる時に、大盛り2杯食べた事ならあるけど」 「じゃあ、あんころ餅37個食べた事は?」 「そんなに食べられないって! ものすごくお腹が空いてる時に10個食べた事ならあるけど」 「じゃあ、チーズバーガーは……」 「だからさ、カンナ先輩は大ぼら吹きなんだから。ものすごくお腹が空いてる時、17個食べた事ならあるけど」  チーズバーガー17個はかなりの量だと思うけど……。 「あとさ、わたしの事、門野様って呼ぶのやめてくんない。出来ればミカッチと呼んでよ、麗子ちゃん」  と、彼女はにこやかに言った。  麗子ちゃんか。わたし、クラスメイトから麗子ちゃん、て呼ばれるのは随分、随分、随分、久し振りだよなあって思ったの。自分の名前を普通に呼ばれただけなのに、何故だか不思議な気分だなって感じたの。  こんな言葉を使うと、大袈裟って言われちゃうかもしれないけど――  何だかとってもすがすがしい風が吹いて来た様な気がしたよ。  太陽が気持ちよく顔を出した様な気がしたよ。  胸の奥の方があったかくなって来た様な気がしたよ。 「オーケー。じゃあ、ミカッチね」 「うん」  この学校で、わたしを最初に麗子ちゃん、と呼ぶ事になるのが門野ミカだとは、全く思いもしなかったな。  その時。  おーい、門野、いる? と問題児さんがわたし達の教室にやって来た。 「似てるー!」  とミカッチが大声で言い、わたしが、 「似てないー!」  と叫んだよ。  クラスのみんなは、あはは、と笑い、問題児さんはきょとんとした顔をしていたよ。  わたし、いつの間にか、この学校になじんで来たみたいです。
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