電車の本数が少な過ぎる……

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電車の本数が少な過ぎる……

 電車の本数が少な過ぎる。ここは本当に東京か、と言いたくなるぐらいだ。授業が終わってすぐに帰ったとしても、どうせ駅のホームでずっと待ってなきゃなんない。それだったら、と思って、図書室で少し本を読んで、時間を潰して学校を出る。それが習慣になった。  図書室のある校舎は第一校舎。その反対側の第二校舎には音楽室があって、放課後は吹奏楽部が練習をしている。わたしは時々気付く、自分は本を読んでいるより、向こうの校舎を見ている事の方が多いんじゃないかと。文字があんまり頭に入ってないみたいだ。 「窓、閉めようか」  突然、背後から小さな声が聞こえた。 「あっちの演奏、うるさいでしょ」  振り向くと、図書委員をやっている上級生が吹奏楽部の方を指さしている。スリムな黒のパンツに、オリエント急行のイラストが描かれたシャツを着たお姉さんだ。 「いえ、全然気になりません」  わたしも小声で言った。 「あなた、もしかして、電車通学?」 「ど、どうして分かったんですか」 「だって、あなた、いつもおんなじ時間に図書室を出て行くでしょ。たぶん、電車の時刻に合わせてるんだな、と思ったの」  見抜かれていたのか、そこを。 「あなた、一年生でしょ。どっかのクラブに入った?」 「いえ」  スポーツは苦手だし、不器用だから、わたしに出来そうな事ってあんまりない。 「じゃあ、いっそのこと、文芸部に入部しなよ。どうせ図書室で読書してるんならさ」  その先輩、わたしの隣に腰掛けて、こう言った。あのさ、文字を読むというのと、本を読むというのは違うって知ってるよね。 「え、どういう事か……」 「吾輩は猫である。名前はまだ無い……どうして、『まだ無い』なんだろう。ただ単に『名前は無い』じゃなくて」 「えっと。そ、それは……」  わたし、今迄そんなの考えた事なかったよ。 「まだ無いって事は、いずれ名前が付けられるだろう、そう、猫が思っているというか……。人間が飼い猫に名前を付けるのが当たり前と思っているか……」 「そうそう」  その先輩はにっこり笑って言った。 「そうやって、細かい所まで読み込んでいく。それが『本を読む』って事だよね。何となく本の中を探検するみたいじゃない」 「はあ、探検ですか」 「あなたは本を読んでて、何やら引っ掛かる、って思った事はない?」 「そうですねえ……」  わたし、そんなに読書家って訳じゃないんだけどなあ。これ迄に読んだ本を思い返してみると……。 「そういえば、地方出身の小説家が書いた本の中に、高円寺(こうえんじ)が下町とか、三軒茶屋(さんげんぢゃや)が下町、なんて書いてあるのを見て、こりゃ変だな、と思った事ならあります」 「そりゃあ、ひでえな。下町てえのは浅草(あさくさ)神田(かんだ)の方でえ。高円寺や三茶(さんちゃ)は下町じゃねえ。ま、下町的な良さがある、てんならわからねえでもねえが」  先輩、急に話し方が変わったね。 「あら、いけない。つい、昔住んでた所の口調が」 「先輩、下町の出身ですか」 「稲荷町(いなりちょう)の方ね。でも、そっから通うんじゃくたぶれる、いや、くたびれるから親戚のとこに私だけ引っ越したのよ」 「へえ、そうなんですか」  それからしばらく下町育ちの先輩――梅村さんと話し込んだ。晴海埠頭(はるみふとう)の公園は眺めが最高だったのに、とか。(ゆめ)(しま)の熱帯植物館の食虫植物は見てるだけで楽しい、とか。上野(うえの)からスカイツリーを見ると、気のせいか左に傾いて見える、とか。そんな事を話しているうち、成り行きで文芸部に入部する事になってしまった。 「部活といったってたいした事はやってないのよ。ただ、学園祭の時に薄っぺらい文集を出すぐらいだから。普段は呑気に本でも読んでりゃいいって訳」  はあ、それならわたしにも出来そうです。と、うっかり言ってしまったので、わたしはいつの間にか文芸部に入る事になってたんだ。自分は慎重というか臆病な性格だから、何かをこんなに早く決めてしまうなんて珍しいんだけど。  ま、いいか。
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