雨の日の図書室は窓を……

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雨の日の図書室は窓を……

 雨の日の図書室は窓を閉め切っていて、音楽室の演奏も聞こえて来ない。  雨粒が視界をさえぎって、吹奏楽部の人達も、ぼんやりと霞んで見える。  二日続けてM2号は図書室に来ている。珍しい事である。昨日は雨がやむとさっさと帰って行った。今日は何時頃迄いるんだろう。何だか落ち着かない気分だ。いや、もちろん彼女にだって図書室に来る権利はあるんだから、こんな事言っては駄目なんだけど。ただ、頭では解っていても、心臓の方は穏やかならざる状態になっちゃうのよ。  ちらっと見ただけだが、M2号は歴史に興味があるのか、昨日は網野なんとかという人の本を読んでいた。今日は阿部なんとかという人の翻訳した、愉快ないたずらがどうのこうのという本を読んでいるみたい。  いたずらかぁ。高等部の問題児さんに(なら)って、何か良からぬ事を計画しているんだろうか。  ぼんやりと窓の外を見ていると、文芸部の梅村先輩が声を掛けて来た。 「ねえ、たまには毛色の変わった小説も読んでみたらいいんじゃない」 「といいますと?」 「文芸部が過去に作った文集はあらかた読んじゃったでしょ? でもね、そこに入り切らなかった作品もあるのよ。そういうのはネットで読める訳。ここにアクセスしてみて。文芸部員の過去の作品が読めるから」  おすすめは、これね、とメモを渡してくれた。下町出身の梅村さんとは、同じ都内の人間というので割と気が合う。下町育ちさんのおすすめの作品だったら読んでみようかな、と思ったの。 「読んだら感想聞かせてね」 「はい」  という訳で、帰宅後、パソコンでインターネットに。で、小説を読み始めたんだけど……。えっ、これが下町育ちさんのおすすめ? めちゃくちゃいやらしいじゃないか!  男女の営みがみっちり描かれていたかと思うと、今度は男二人のからみがこってりと描かれているし、最後は女同士の交わりに男が加わって、という具合に、ひたすらエロい。もう、わたしなんて3ページに1回は顔が真っ赤になっちゃったよ。  まったく、何が感想聞かせてね、だ。あの人も案外いたずら好きなんだな。  去年迄、文芸部にいた人が書いた、と言っていたから、作者はもう卒業しちゃったのかもしれない。高校生って、こんなに卑猥な小説書いちゃうもんなの?  ただね、この小説、ひたすらいやらしくて赤面しちゃうんだけど、おっ、と思うセリフも出て来るの。こんな感じ。 ――芸能週刊誌に、芸能人に恋人ができた、という記事が出るだろ。その時、交際相手が異性だと、『熱愛発覚』なんて書かれるんだけど、相手の人が同性だと、『同性愛疑惑?』なんて書かれるんだ。片っぽが『熱愛』で片っぽが『疑惑』だってさ。人を愛する気持ちはどっちも変わりがないのにね。  なるほどねえ、わたし、そんな事、今迄気付かなかったよ。人を愛する気持ちに変わりはない、か。こういう読んでて赤面しちゃう様な作品に、突然真面目なセリフが出て来るんだね。そうすると印象に残るんだね。  で、次の日、下町育ちさんに会った時、先輩、余りにもいやらし過ぎるじゃないですか、あれ。わたし、そう言った訳。すると先輩、にやっと笑って、まあ、ああいうのは図書室には置けないからねえ、だって。 「先輩、あれはどう考えてもR18ですよ。中学一年生に読ませちゃ駄目なんじゃないですか」 「ははは、でも、あの小説、去年中学三年だった子が書いたんだよ」 「ええっ! ほんとですか」  じゃあ、今は高校一年なんだ、その人、まだ。 「今年からソフトボール部のマネージャーになったんで、文芸部の方はやめちゃったんだけど、また書いてもらいたいねえ、ああいう小説……おっ、噂をすれば影。あの人よ、作者は」  見ると、高等部の女子生徒が二人連れで図書室に入って来た。えっ、という事は、あの赤面小説、女の子が書いたの? 一人は背の高い女子。おお、これは例の問題児さんではないか。今日は穴のあいたブルー・ジーンズに、「HONESTY」と書かれたTシャツを着ている。どういう意味なんだろう。もう一人は、身長はそれほどでもないが活発そうな女子。ミニスカートにポルカ・ドットのブラウスを着て、どこかフィフティーズっぽい感じ。二人は下町育ちさんに話し掛けた。 「梅村先輩、久し振りです」 「お元気そうね、望月さん、カンナさん」  二人はびっくりして下町育ちさんを見た。 「先輩、どうしたんですか、そのしゃべり方!」 「先輩、いつもの、てやんでい、という口調はどうしたんですか!」 「いや、その、私も来年は卒業だし、お上品な女性のしゃべり方をしなければ、と思って……」 「先輩、お上品な女性は机の上で胡坐(あぐら)をかいたりしませんよ!」 「そうですよ先輩、それじゃまるで牢名主じゃないですか!」  下町育ちさんは後輩の指摘に恥じ入って……という事は全くなく、へらへらしながら、望月、君の読者が一人増えたぞ、と言ってわたしの事を紹介した。望月さんという人があの、何というか、あの手の場面がやたらと出て来る例の小説を書いた当人らしい。  小説家さんがわたしに言った。 「あら、あなたも梅村先輩みたいにエロい小説が好きなの?」 「そんな事ないです! そんな事ないです!」  わたしは慌てて即座に全力で否定した。 「しかし、望月の小説ってさあ」  と、問題児さんが首を傾げながら言った。 「男女の(から)みは別に構わないし、女同士の関係も別にいいけどさ、男同士の交わりなんて、望月は一生体験出来ない訳だろ。そういうの書いちゃうのって、リアリティーとしてはどうなの?」 「おいおい、カンナ、お前みたいに普段から出まかせばっかり言ってる奴からリアリティーなんて言われたくはないぞ。だいたい、この間の試合でも、敵のチームの4番に、『お前のカレシが浮気してたぞ』なんて全くの出鱈目を吹き込んだりしてさ」 「うははは、そういえばそうでした」 「別に、経験した事がなくても、それを小説に書いてもいいんだけどね」  下町育ちさんが正論を述べた。 「だって、宇宙を舞台にしたSF小説なんて、完全に空想の産物でしょ。自分の体験を描いた訳じゃないよね」 「それもそうですね」 「だから同性愛だろうと異性愛だろうとエロければそれでいいのよ」 「梅村先輩はそれですか!」  先輩、それは正論じゃないです。 「ところで最近は、同性愛者は子供を作らないんだから不自然だ、なんて事を言う人もいるみたいね」 「そうですね」 「でも、江戸時代は、仏教のお坊さんなんかは妻帯しなかったんだから、当然子供は作らなかった。でも、立派なお坊さんだったら尊敬されたし、子供を作らない人間なんておかしい、などとは言われなかったんだけどね」 「さすが梅村先輩、寺が多いところに実家があると言う事が違いますね」 「おかしいどころか、立派なお坊さんだったら、その親類も得する事が多かったんじゃないかな。『あの和尚さんの御親戚の方なら、さぞ立派なお方に違いない』なんて言われてさ。仕事を世話してもらったり、結婚相手を世話してもらったり。縁者に立派な人がいると、何だかんだで得をしたと思うの」 「だったらこの近辺だってそうじゃないですか」  と問題児さんが言った。 「この学校の近くに修道院があるけど、シスターだって、神に仕える身なんだからやっぱり子供を作らないし」 「あそこの修道院は生活に困っている人を助けたり、児童養護施設を運営したりと、地域社会に貢献しているから、地元の人達からも評判いいね」  と、これは赤面小説家の望月さん。 「そうそう。アンチ同性愛の人達って、子供を作りさえすれば偉いと思ってるのかしらね」 「子供って、産むだけなら十か月ですけど、育てるにはもっと掛かりますけどね」 「そういえば、あそこの児童養護施設に、また新しい子が入ったんだってね」 「聞いた、聞いた。今度のも親から虐待されて、施設に入る事になったんだってさ」 「あたしは地元の人間だから、親からほっぽり出されて施設にやって来た、なんて子はしょっちゅう見てるからなあ。だから子供は産むだけじゃ駄目なんだよー、きちんと面倒見なければ、と思っちゃうけどな」 「だから同性愛者は子供を作らないから……なんて言う人には違和感を感じちゃうわね」  そうか、この近くには児童養護施設があるのか。親から虐待されて施設に入る、なんて子もいるんだね。 「親から虐待された訳じゃなくても、昔は医学が発達してなかったから、幼い子供を残して親が死んでしまった、なんて事はよくあっただろうし、現代だって、交通事故で両親を亡くした、なんて子供は多いし。だから、そういう子供を引き取って育ててる人を軽視しちゃ駄目だと思うけどね」 「そうそう、同性愛者だろうと異性愛者だろうと、自分で子供を作らなくても、親を亡くした子供の為に何かをする、ていうのは立派だし、自分で子供を作らなくても、町や村を良くする為に働く、てのも立派だし」 「親が二人いる子と、親が一人の子、親がゼロ人な子とで、大学の進学率が違うってえのはまずいよね。もちろん大学に行けば偉いって訳じゃないけど」 「私ね、アンチ同性愛の人達が、同性愛者をおかしいとか不自然とかって言う時、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を思い出しちゃうの」 「どういう事ですか、梅村先輩」 「『鏡の国』は物事がひっくり返った世界だから、先ず罰を受け、次に裁判が行われ、その後で悪事を働く訳」 「順序があべこべなんだ」 「でね、性に関するありとあらゆる事を研究して、それで同性愛は不自然、という判断を下したんなら分かるのよ。でもそうじゃない。  先ず、同性愛はおかしい、という判決を下しちゃって、それから何故おかしいのか、という証拠だけを集めにかかってる。同性愛は別におかしくない、という証拠は集めない」 「判決が先で、証拠集めは後、て訳ですね」  そうか、わたしも『鏡の国のアリス』は読んでたんだけど、そこ迄は気が付かなかったな。 「よく、『物事はいろんな角度から考えると良い』って言うわよね」  下町育ちさんは続けた。 「だったら、同性愛も、『遺伝子』という観点から考えてみるといいと思うの。  そもそも、子供というのはお父さんとお母さんから遺伝子を受け継いでいる訳だから、自分と自分の子供は、遺伝子に関しては、50パーセントの確率で、共通したものを持ってるよね。  それに対して、親戚やきょうだいというのも――遠い親戚の場合もあれば一卵性双生児の場合もあるから一概には言えないけれど――何パーセントかは、『自分の持っている遺伝子と同じ遺伝子』を持っているよね」 「ですね」 「だから、遺伝子という観点に立つんなら、自分の子供もきょうだいも親戚も、『自分の持っている遺伝子と同じ遺伝子』を持っている『共通のグループ』って事になる」 「パーセンテージが違うだけでね」 「そう。とすると、必ずしも自分で子供を作らなくてもいいんじゃないか。  きょうだいや親戚の、プラスになる様な事をしてあげればいいんじゃないか。  『共通のグループ』の為になる様な事をすればいいんじゃないか。  例えば、きょうだいや親戚の育児や家事を手伝う。そういうやり方だって良いよね。  或いは、学問や芸術やスポーツで高い評価を得る。そうなったら、自分だけでなく、きょうだいや親戚だって、いい思いが出来る筈でしょ。余得に預かれるよね。そんなやり方もある。  こんな風に、いろんな方法で、『遺伝子に関して共通のグループ』を、助ける事が出来る訳よね」 「確かに」 「自分の子供を作って育てるという、『直接的なやり方』だけが全てじゃないって事よね」 「なるほどね。アンチ同性愛の人達は、そういう種類の、『同性愛者を擁護する証拠』は集めようとしない訳ですね」 「そうそう」  わたし、先輩達の話を聞いてて思ったんだけど、この人達って、ホモセクシュアルやレズビアンに対する偏見てないのかなあ、と不思議な気がしたの。そしたら丁度、そんな話題が先輩達の口から出て来たの。 「そもそも、この学校は、同性愛に対する偏見ってあんまりないよね」 「そりゃ、やっぱり、教師の中に同性同士のカップルがいるからじゃない」 「ええっ、そうなんですか!?」  わたしはびっくりして声をあげちゃったよ。 「うん、知らなかった? 雪山先生と島村先生って女同士の事実婚よ」 「だからと言って、別に何とも思われないし」 「だいたい、何十人に一人かは同性愛者なんだから、教師の中に一人か二人、異性よりも同性が好きって人がいてもおかしくないし、生徒の中にだって、クラスに一人か二人、同性に惹かれるって人がいてもおかしくないよ」 「あなたの小学校にはホモセクシュアルやレズビアンの先生っていなかったの?」 「さあ、いなかったと思いますけど……」  わたしは小学校の先生達を思い出してみたんだけど、それっぽい人はいなかった様な気がする。 「あなたの地元って港区(みなとく)でしょ。あの辺りってそんなにお堅いところだったっけ」 「おかたいところではない筈ですけど」  港区でかたいのは青山(あおやま)墓地の墓石ぐらいだ。 「おっと、いけない。忘れるところだった。梅村先輩、実はですね……」 「どうしたの、カンナさん、突然声をひそめて」 「実はですね、男と女が寝ているところを密かに撮った映像がありましてね。子供には見せられない様な恥ずかしい姿がばっちし写ってる、という代物で。コピーを手に入れたんですけど、先輩、観ます?」 「むふふふふ。観たい、観たい、観たい!」  下町育ちさんも声をひそめて言った。にんまりと笑いながら、わたし達に気前好くアイスクリームをおごってくれて、早く家に帰って観てみよう、と言いながらいそいそと帰って行った。だけど、次の日会ったら不機嫌な顔をしてたよ。 「何が男と女が寝ているところを密かに撮っただよ。国会中継で国会議員が居眠りしてるところを撮っただけじゃねえか!」  おやおや、そんな物だったのか。  エッチな映像が観たかった先輩は憤慨していたけれど、確かに国会で議員が眠りこけてたら、子供には見せられない恥ずべき姿ではありますね。  
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